2017年8月28日 (月)

Visiting a place : Paper Lanterns

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Hiroshima peace memorial park Aug.6.2017

今まで8月6日に平和公園を訪れたのは、子どもの頃、一度だけ.。自分の中では、6日は遺族の人が平和公園を訪れる日であり、帰省中は、日をずらして慰霊碑に行くようにしていた。

今年は、ドキュメンタリー映画『Paper Lanterns』を見て、私も6日の夜の灯篭流しに行って見たいと思い、母と娘と一緒に平和公園に行くことにした。母も初めてだった。

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午後5時ごろ。ドーム前の元安川では、子どもたちと二階堂和美さんやオーケストラの小編成による『広島愛の川』の合唱があった。この場所は特別に整備し直した雁木でこの日は対岸から見ると、ステージのようにも見えた。ここで、灯篭流しが行われる。

川では、灯篭流しに備えて、灯篭のベースになる木片を数隻の小舟が運んできていた。今、昔のように雁木に荷を揚げる景色は少なく、灯篭流しのために懸命に働く人たちの姿をじっと見ていた。

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6時過ぎ、夕焼け空がだんだん藍色に染まり始めたころ、色とりどりの灯篭が流され始めていた。川の両岸も橋の上も人がいっぱい。

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私が子どもの頃から遠慮していた灯篭流し。今、新時代になっているのかなと思った。8月6日という日の夜に想いをはせ、平和を誓う時間を過ごそうとしている人たちが世界中から集まっている。

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ドームを見ると、1945年の8月6日の夜を想った。1945年の暮れまでに亡くなった方は、14万人という。

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遠くの川上からも列になって灯篭が流れてくる。川下にもずっと明かりがつながっている。この一つひとつの明かりがあの日いのちを燃やした人たちへの灯りなのだ。

次の日に新聞に『一万の灯篭が流された』と書いてあった。灯篭の光をたくさん見たが、あの日、もっともっと多くの人が奪われたと思うと、ため息が出た。

帰りながら、平和公園の暗闇の中、長い列を作って、多くの人が灯篭を流そうと辛抱強くじっと待っている姿を見た。

現在、広島市による旧市民球場跡地のイメージでは、ドーム北側の地域の川辺を『水辺ゾーン』と計画している。川べりに人が降りやすく整備するものだ。

灯篭流しの場所にも使える水辺の空間を増えれば、それぞれの『平和への想いをはせる』空間の広がりにつながる。早く整備が進めばいいな、と思った。


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2017年8月25日 (金)

Visiting a place :Japanese Olive

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Shodoshima Aug.1.2018

 小豆島に渡り、バスに乗ると、島のあちらこちらにオリーブが育てられていました。青みがかった葉色は、すぐにオリーブと分かります。島の南側中央部にあるオリーブ園に行ってみました。

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オリーブの実がたわわになっていた!!関東では、こんなに地植えで実がなっているのを見たことがなかったので、「すごい!」と思いました。1907年にオリーブの試験栽培を各地で行った結果、小豆島のオリーブだけが結実したそうです。。受粉後、日本では梅雨に入り、雨があたり、結実できないことになってしまうのですが、夏場の雨の少ない瀬戸内気候は、どうにか結実を邪魔しなかったというわけです。

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小豆島で育てられている品種は、ミッション、ルッカ、マンザネロ、ネバディロ・ブランコ。この時は、オリーブの株元にだけ潅水をしていました。そもそもなぜ、オリーブを日本で育てなければいけなかったのかということについては、「イワシの缶詰」に使うためだそうです。いわゆるアンチョビーの缶詰のことかな。


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作業している方にお話を聞きました。

雨が少ないといっても、当然、台風はやってくるので、収穫前に台風が来た時、実が傷ついたりしてしまうそう。傷がついたものは、オイルには加工できるが、塩漬けなどには、出来ないとのこと。

収穫は、手摘みで行うそうで、大変な作業だと思いました。

私は、2年ほど前から、オリーブの塩漬けを使ったモロッコ料理を作っていますが、それが出来るようになったのも、小豆島産の塩漬けグリーン オリーブが出回るようになったからでした。

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ここは、日本の地中海?と思うような景色を眺め、小豆島の人々が大事に栽培してきたオリーブや自然の美しさをじわっと味わわせてもらった一日でした。


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2017年8月23日 (水)

Visiting a place : Shodshima

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On the deck     Aug.1.2017          photo by cheer

 朝早く家を出て、小豆島に向かうフェリーにお昼前に乗り込んだ。新岡山港から小豆島の土庄港行きのフェリーで70分の小豆島に到着。息子が『小豆島は醤油の蔵が並んでいる所が良かったよ。』とすすめてくれていたので、まずは、『醤(ひしお)の里』と呼ばれる醤油や佃煮の会社が並ぶ地域へ。

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Wooden barrel to make Soy source  

島内南側沿岸部を通るバスに乗り、島の南東部に位置する創業1907年の「マルキン醤油記念館」へ。工場前にはかつて使っていた醤油色の杉の板で作った大型の樽が並んでいた。この一樽で1リットルの醤油5000本分が作れるそうだ。直径2m超え。
記念館では、昔使っていた樽や道具、麹室などや醤油作りの工程を説明した展示などがあった。

蒸した大豆や炒った小麦に麹菌をつけ「醤油麹」を作り、食塩水と混ぜた「もろみ」を樽の中で発酵、熟成させていくことで醤油が出来る。

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Marukin shoyu factory

記念館の建物も工場の蔵の建物群も昔ながらの木造。国の登録有形文化財となっている。焼杉張りの建物の一群で静かに敷地内に集まっていた。写真突き当りは、海。出来上がった醤油は船で運ばれていったことを思った。

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いつ頃建てられたのだろう。南北に長い建物で、天窓がはめてある。帰宅後、調べてみると100年以上経っている95mもある天然醤油醸造蔵であった。この中に先ほどの木樽がいくつも置いたあり、静かに醤油になろうと発酵しているらしい。ひっそりとしていて、」何してるんだろうね?」なんて私は言っていた。
木樽も建物の内部や梁や土壁などにも木の繊維や無数の孔の中にさまざまな酵母菌や乳酸菌が棲みついており、その蔵独特の風味が生まれるそうだ。温度や湿度は人工的に管理されていない自然の風や気温、湿度の中で蔵の中のひっそりうまみ成分たっぷりの醤油が作られていたのです。

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先ほどの蔵の北側には島内で最も高度のある山々に続く。山々の岩肌を見ると、瀬戸内海の多くを覆う花崗岩が見えた。景色と醤油作りは関係のないことにも思えたが、家に帰ってあれこれ調べてみると、小豆島でどうして醤油作りが盛んに行われるようになったのかがわかってきた。

江戸時代、この花崗岩は、近畿へ建築材料として船で運び出された。大阪城の石垣にも使われた。

島では、帰りの船に大豆や小麦を積み、新しく伝わった醤油作りの技術と島で作られる塩を使って、江戸時代から醤油作りが始まったということだ。

実は、「丸大豆醤油」とか、「天然醸造樽仕込み」などの違いや値段の差などの違いがスーパーの棚に並んでいるときに分かっていなかった。

今回、日本の醤油作りにおいても初期に生産を始めた小豆島へ行って、関心が深まった。美味しい醤油が欲しくなった。

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