2022年4月16日 (土)

Visiting a garden : 三法院庭園 醍醐寺 京都

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 Daigo-ji                 Apr.4.2022

 帰省の帰り、京都に5時間滞在。まだ行ったことがない醍醐寺に行ってきました。貞観16年(874年)空海の孫弟子にあたる聖宝理源大師により開創された真言宗のお寺です。訪れてみたいと思ったのは、日本画家の奥田土牛さんがこの寺の桜を描いた『醍醐』(1972年)を見てから。やっと桜の時期の訪問がかないました。

『醍醐』は切手にも使われましたが、山種美術館で20数年前、実際の作品を見ました。桜を中心に据えたシンプルな構図。春のぼんやりとした空気の中、白壁を背景とした桜のはんなりとした色が優しく、私たち日本人が桜を見る喜びをそのまま表しているような作品。

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太閤シダレザクラ  

三法院の門をくぐると、多くの人が写真を撮るのに集まっていたので、この木かなと思って近寄ってみました。ちょうど、土塀が曲がっている部分がキーポイントなので、このあたりからかな、とシャッターを切りました。

しだれ花火のように花が下に向けて降るように咲いています。高さは何メートルあるのでしょう。大きな木です。左に伸びていく枝は、朽ちたのでしょうか、切られていましたが確かに「この桜だ。」とわかる枝ぶりでした。

樹齢170年だそうです。

実際の桜を見ると、幹の太さと比べると花の径は案外小さく、絵に描かれた桜は一輪の大きさを大きくふっくら描いていることがわかりました。奥村土牛の『醍醐』は、私達が花見の時に自然と花に近寄って一輪の花を見て、「かわいい。」と感じる気持ちと樹全体を覆う桜色の花のボリュームを見て「春が来たな。」と安堵の気持ちを持つ、両方を一枚の作品で表現していると気が付きました。

さてさて、幸運なことに三法院の特別拝観が行われていましたので、ここは、是非にと、拝観させていただきました。庭園のみ撮影が許可。

表書院と純浄観という2つの建物に面して南側に庭園が広がっていました。

 

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広い庭園で石が多く使われています。大きなクスノキが築山の奥に生え、高さもぐっと感じる庭です。

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ここは、室町時代には、金剛輪院という名前の寝殿があり、元はその南庭として造られた寝殿系庭園であったそうです。

応仁の乱の時に醍醐寺は戦火で焼かれ、多くの建物が焼失しました。その後、豊臣秀吉が晩年に醍醐寺にしばしば花見に訪れるようになり、慶長3年(1598年)有名な「醍醐の花見」を催すために桜を7000本植え、寺の建物を再建。自ら庭園も書院造系庭園に大改造しました。しかし、その年に秀吉が亡くなり、庭は未完成であったので、住職の指揮の元、小堀遠州の片腕として働いていた庭師 賢庭が引き継ぎ、1623年頃に完成させたということです。

小堀遠州は、宣教師から西欧の建築や庭園について学び、幕府関係の建造物に西欧の技法を様々な所で使っており、ここにもその頃珍しかった花壇を作ったようです。また、今もソテツが植えられていますが、南国の植物のソテツもずい分ハイカラであったようです。

表書院に上がらせていただきましたが、襖絵にソテツと孔雀が描かれていました。それも今で言ったら、「パームツリーと・・・、イルカ?ラッセン?」はちょっと違うかな?、とにかく、この土地のものではない、南の植物を楽しむことが流行であったようです。今と同じですね。

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三段の滝 高さを持たせた石組で水の流れ落ちる音がお庭に響いていました。

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醍醐寺 冊子撮影

渡り廊下を奥に進むと本堂がありました。そこには、端正なお顔立ちの弥勒菩薩坐像がおられました。全体の高さは1mくらいでしょうか、人、一人拝むのにちょうど良い大きさの仏像で、自然と向き合い手を合わせました。この出会いが今回、一番心に残った時間。建久3年(1192年)後白河院追善のため若き快慶が造った仏像でした。いつもは、非公開(2017年 奈良国立博物館での快慶展で公開)なので、一生に一度の拝観であったような気がします。

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三法院を出て、奥の伽藍に行く道すがら、多くの桜が開花していました。清瀧殿のまわりに可愛い桜がありました。バラのフェリシテ・エ・パーペチュに似ているような感じ。敷地内の桜は、寄進によって植えられたようで、一本一本に名前の書かれた木札が立てられていました。

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清瀧宮のたたずまいと奥の桜の対比が美しかった。

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奥に進むと桜の囲まれて、五重の塔がどっしりと建っていました。軒を支える組み物ががっしり太い塔でした。

天暦5年(951年) 醍醐天皇を弔うために建てられたもの。京都で一番古い木造建築です。1071年も経っています。

 

背後には、笠取山があり、山上には、最初にお堂が建てられた上醍醐があるそうです。そこには、行けませんでしたが、いつか上ってみたいなと思いながら、ここを後にしました。

参考文献

醍醐寺 パンフレット

『日本庭園のみかた』 宮元健次著 学芸出版社

 

 

 

 

 

 

 

 

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2022年3月21日 (月)

Visiting a garden : 曹源池庭園 天龍寺 

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                                                  March.20.2018

久しく桜を見に行こうと思っても飛び出せない状況が続いています。そんな中、4年前の桜の時期に京都に行って桜を見た光景が最近、頭の中をよぎります。よかったな~。保津川下りをして、嵐山につき、天龍寺へ。

 

竹林を通り、敷地内に入ると少し斜面を下るような感じで池のところまでたどり着きました。その間、枝垂れ桜や石楠花など見事に開花した姿が一気に春が来たと感じさせてくれました。

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南側には嵐山。手前の山の端が亀山。断層によって、嵐山は隆起しており、間に保津川(桂川)がある。

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亀山は、天皇陵であり、その裾野を平らにして天龍寺の敷地がある。

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遠くて肉眼では、よく確認できなかったので、カメラには収めておいた写真。

池の中ほどの向こう側には、鯉が滝を登っていくように見えるという岩や釈迦三尊に見立てた立岩が据えてある。

広々とした池でよどみを感じさせない。水面にさざ波がおこるぐらい、自然に溶け込んでいる。

この庭以降の庭が意図的に様々な景観を凝縮したようなパーツありきの作庭となっていくが、この庭は、石組も昔からここにあったように感じさせる。

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天龍寺の開山が夢窓疎石が71歳の時。鎌倉の瑞泉寺の作庭が53歳というから、今までの作庭の集大成。

多くの地で修業し、悟りの境地に至るのに迷いに迷ったと思われる夢窓疎石。その中で、室町時代が始まる頃に足利氏、後醍醐天皇側にも信頼され、仲立ちをしていったという。

このお寺そのものがそういう目的で建てられたもの。

 

訪れる人を感動させる庭の秘密は、夢窓疎石がたどり着いた境地が根底にあるからだ。

 

 

 

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2021年12月 6日 (月)

Visiting a garden : 瑞泉寺 鎌倉

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 Zuisen-ji                Dec.2.2021   

 お休みの日、鎌倉の紅葉を見に行きました。今回は、瑞泉寺にまだ行ったことがなかったので、ここをメインにルートを決めて。

あちこち、寄り道しながらでしたが、たどり着いた時には、大きな杉のある寺までの階段の前で溜息。圧倒的な緑に囲まれて、山奥深くにきた感じがしました。この辺りは、まだモミジは紅葉しておらず、陽ざしに透けた柔らかなモミジの黄緑の葉陰がきれい。

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階段が二手に分かれていて、苔むした男坂と呼ばれる方を上りました。

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山門に入る前に立てられていた昭和47年製の絵図。分かりやすい。左下に『客山富士山』と書かれています。背後の山に登ると、富士山を望むことができるようです。この絵図を見ると、宮島の大聖院の背後を上って弥山の頂上に上がると、枯山水の庭園が模したような瀬戸内海に島々が浮かぶ景色を望むことができるという山登りと似ていると思いました。お寺は鎌倉時代末期(1327年)に夢窓疎石によって開山。疎石53才頃の作庭。様々な寺で修業しながら、自然に対する畏敬の念を持ちながら、作庭していった僧侶。仏殿に手を合わせ、庭園に回ってみました。

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「これは!!!」庭園というより、敦煌莫高窟、石仏、という言葉が思い浮かびました。鎌倉の地質に多い凝灰岩の崖にお堂のような洞穴を掘っています。

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花頭窓のような形の部分にかつては本尊が彫られていたように見えます。作られた時には、浮彫りされた釈迦の姿があったのでは、

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右の方に目をやると、小さなアーチ型の祠が一つ。また、その右には、絵図で確認すると上部より水が流れてくる滝の水が通る窪みが垂直に彫られていました。

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雨戸が閉まっている仏殿裏手からこの庭を望める。現在の建物は、大正以降の再建だそうです。

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左手には、橋が2つかかっており、その奥の岩肌には階段が掘られているよう。ここから山の方へ上っていけたようです。

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かなりのショックを受けながら、仏殿前に戻りました。

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色変わりしている椿の花が咲いていました。

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家に帰ってからも「あれは、何だっただろう!」とぐるぐる考えていました。5日目の朝、起きる前に頭の中で私の中でひらめいたことがあります。

疎石があの庭で伝えたかったことは、「生きることは、あの岩肌のような壁が眼前に立ちはだかることばかりで上手くいかない。けれど、じっと耐え、努力を重ねていると、一筋の水の流れが現れる時がある。その時を狙い、鯉が滝を上るように這い上がれば、別世界に到達できるかもしれない。」と。

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鎌倉末期から室町にかけて生きることそして亡くなることについて自分の足で各地を回り修行してきた疎石が確信した考えを形に表したものが庭。700年前の疎石の伝えたかったことが、じわじわと少し分かってきたような気がしています。

 

 

 

                               

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2021年5月16日 (日)

Visiting a garden : La petite boutique de roses

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La petite boutique de roses    per Laurent Borniche    Mai.15.2021     

 昨年6月にJR桜木町駅から徒歩で3分という位置に移転した横浜市役所のアトリウム で開催されている『ローズ フェア with 趣味の演芸』に行ってきました。

一番のお目当ては、ローラン・ボーニッシュさんのコーナー。昨年は、NHKの『あさイチ』に出演され、ブーケを作るところを紹介してくださいましたが、娘がその番組を録画しておいてくれ、彼女自身もローランさんのファンに。その時の日本語のおしゃべりがとてもかわいく、(もちろんブーケの美しさが一番気に入っていましたが)今回、ローランさんの展示を見たくて、私と同行してくれました。

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今年のテーマは、小さなバラのブティック。今回の展示を見て、1992年、パリに行った時に、本当にそんなバラの専門店があったことを思い出しました。色とりどりの花びらが、丸いガーデン・テーブルのひらひら落ちたまま。テラコッタの大鉢やアイアンのフラワー・スタンドなどがとてもお洒落で滞在中、何度かのぞいていました。夏のバカンス中でずっと閉まったままでしたが、夜もバラのディスプレーにスポット・ライトを当て、パリのエスプリを感じたことを思い出しました。

ローランさんの展示は、その時のように異文化との出会い、そして興味をいつも刺激してくれるものです。

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Left side

店のカウンター。シックな黒の大理石のような石材。モノ・トーンやアース・カラーの中にバラの濃いピンクや植物のグリーンが鮮やかに見えます。ここでローランさんが、グリーンがかったヘレボルスの茎をカットして、さっとガラス瓶に活けてらっしゃいました。

床材のチェッカー模様が引き締め役。

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斜め左手の開口部より

今回の会場は、アトリウムという天窓や壁面にガラスを多く使った天井高のある空間。自然光に近い状態で、展示をみることが出来ました。

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Front

壁面のグレーのコンクリート打ちっぱなし風パネル。都会にあるけれど、店内は、植物を愛する店主の好みが出ている感じ。

シャンデリアは、トークショウの時に、『ガラスがバラバラになっていたのをなおした。』というお話があったもの。

何事もなかったようにぶら下がって、電球色がきらきらと乱反射しながら、シンボリックに輝いていました。

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Right side

季節のアジサイの水色も見え、手前のえんじ色の葉との対比がきれいでした。奥のバラは、この日の娘のお気に入りのバラとなったフランス Dorieux ドリュ社の新品種 ’Pink vintage' ピンク ヴィンテージ。

外側は、ピンク色で、中の花びらは、少し、くすんだオレンジ。

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右斜めから

赤の太めのストライプ生地を張ったアーム・チェア。この生地は娘の好みのパターンで、私もピアノの椅子のカバーに使ったことがあります。

全体的にParisian Chicというのでしょうか、ピリッと小気味よい感じがする展示でした。

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お昼ごろ、ローランさんのDemonstration.

この日も、「外に出て、みつけた雑草もブーケに取り入れるといいですよ。」とがちがちなバラだけのブーケではない、部屋に飾った時に、自然を感じられるブーケ作りをすすめていらっしゃいました。

最初、国際バラでデモンストレーションをされた時は、通訳を介してでしたが、今は、日本語でお話され、実演も同時進行。

よりご自分の意図する花に対する世界観を私達にも伝えやすくなってきていらっしゃると感じました。

日本に来てくれて、ありがとう!

Merci beaucoup!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2021年5月10日 (月)

Visiting a Garden:香りの庭 港の見える丘公園

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未来のばら園   山下公園            May.3.2021

 先日、朝早く家を出て、7時前に快晴の山下公園に到着。3月のチューリップ フェスティバルの時に開花前のばら園を訪れるとグリーンのつややかな葉が茂り、どのバラも蕾が上がり、スタンバっているな、と思って愉しみにしていたので、この景色は、圧巻。

とにかく、地植えと管理の良さで、バラの株が放射状に生育し、元気の良いバラの姿が見れ、夢のような時間でした。

この場所は1923年の関東大震災後、瓦礫を埋め立て、作られた地域。その5年後に博覧会を開くため、この花壇も作られたそうです。海岸なのでさぞかし風当たりも強いことだと思いますが、日照に影響するようなビルに囲まれた場所ではないので、しっかりバラが育っているよう。

瀬戸内育ちの私の感覚としては、海岸線は南に面していると思いがちですが、ここは北東に面しています。南側は、フランス山などの丘陵があるので、風当たりは、ダイレクトではないのかも。

それから沈床花壇と呼ばれる造りで掘り下げられている場所なので、これがまた、風当たりを弱めているのかな。

2017年に横浜で行われた「全国都市緑花よこはまフェア」を機会にバラ園がリニューアルされ、HT中心であったバラ園が古今の新旧交えた品種を使い、配色よく考えられた植栽に変わっています。

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Rosa ’Jubilee Celebration’   ER, David Austin, U.K ,2002

昨年は、行けませんでしたが、国際バラとガーデニング ショウのなくなったことも相まって、ここ最近、毎年山下公園には訪れています。

今年は、香りの立ち込める中、ただただ、ゆったり楽しませてもらいました。

その後、今までバラの季節には訪れていなかった港の見える丘公園にも足を延ばして行くことにしました。

 

ずっと歩道橋が整備されており、車道沿いを歩くことなしWalking.

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フランス山

フランス軍のキャンプ地、フランス領事館があったことから、この地域はフランス山と呼ばれるそうです。

ここも植栽を以前よりも変更していて、この日は石楠花の花が木陰の中、輝くように咲き、楽しめました。

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ちょうど、この日の次の日、NHKの大河ドラマで横浜の焼き討ちの計画(未遂)を立てている場面がありましたが、そういう事情を踏まえ、1863年、ここにフランス軍が進駐を始めたそうです。横浜港を見下ろせる眺めのいい場所です。

この古い写真は、現地にあった看板を撮影したものですが、手前の円形の花壇や道は当時と同じものが、今も現存していることがわかりました。心の中では、芭蕉の「兵どものゆめのあと」という句が浮かんできました。

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Rosa ’Francis Debreuil’ The Roses,Debreuil,France,1894

 さらに上り、有名な港の見える丘の展望台の先に「香りのばら園」はありました。ここも以前訪れた時は、西洋ツゲが植えられた沈床花壇であったことは、覚えていますが、がらっと変わって、立派なバラ園になっていました。

出迎えてくれたのは、深紅のフランシス・デュブリ―。花びらの形の切れ込みが大きく、花形が綺麗で、しっかり咲いていたので、「最近のバラだろう。」と最初、思いましたが、名前を見て、「あれ?」ということで、家に帰って調べてみると、作出1894年!明治27年・・・。日清戦争!といった頃のバラ。

フランスのリヨンのデュブリ―は、元は仕立屋で晩年から、バラの育種を手掛けたそうです。彼の娘は、Antonie Meilland (Papa) アントニ―・メイアンと結婚し、その娘に捧げられたバラは、20世紀最も有名なバラ ’Mme A Meilland’、あの ’ピース’ だそうです。

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ここも沈床花壇になっています。

英語では’Sunken Garden’ サンクン ガーデンと呼ばれますが、最初、英文を読んでいた時 ’sun’ [太陽」に関係あるのかな、と思ったような…勘違いをしていました。’sink’の過去分詞で受け身の形容詞的用法で「沈められた花壇」という意味になります。

地面を掘り下げ、まわりにカイヅカイブキなどの常緑の針葉樹で囲むことで、花の香りがよくたちこめるように考えられた形をとなっているそうです。ここも階段で1mは下ったような。

4つの香り、ダマスク、フルーツ、ミルラ、ティーの香りで植栽を分けていました。

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Rosa ’Sir Paul Smith’  Climbing Rose, Beales, Britain, 2006

アーチでひときわ目立っていたのが、サー・ポール・スミス。初めて見たのは、国際バラのBarakuraのショーガーデン。濃いめのフューシャ・ピンクが目に飛び込んできたことを思い出します。外側がわずかに色が薄いリバーシブルの花弁であるところも、なかなかExtraordinaly!

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アーチのバラも花盛り。全体のスケール感が山下公園よりもこじんまりして、秘密の花園のよう。

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外周は、ゆったりとしていて、バラを遠くから眺めながら、ベンチで一休み。

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Rosa 'Kazanlik'  Damask Rose  1689     

なかなか、育っているのを見ることが出来ないブルガリアのバラの谷に咲くという精油をとるバラ カザンラク。

ダマスク香とは、このバラ由来。

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Rosa  ’Maigold'     Shrub Rose  Kordes, Geramany, 1953

ジャクリーヌ・デュ・プレの交配親。確かに雄しべがピンク色。あの花の雄しべと花形はここからきている。ミルラ香。

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Rosa ’Duchesse de Brabant’  Tea Rose  Bernerd, France, 1857

とても、かわいく旺盛に咲いていたデュシェス・ドゥ・ブラバン。ピンクの花弁が透けているような感じでフワフワ咲いていた。

陽を浴びて、元気いっぱい。

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最後に登った階段のアーチ。娘が「あのバラが好き!」と言ったのが,これからもっと咲きそうだった中央から左に見えたコーネリア。

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Rosa ’Cornelia’  Hybrid Musk  Pemberton, Britain, 1925

ムスク香の植え込みのところにも咲いていて写真を撮っていました。蕾が幾分赤みが強く出るので、コーネリアとわかる。

国際バラに出た時、このバラを手伝ってくれたMちゃんが持ってきてくれてパーゴラにかぶさるように置いたことを思い出します。

多くの人に「あのバラは何?」と何度も聞かれるほど、女性に大人気でした。

 

一緒に行った娘は、「一番好きな香りは、ミルラかな!」と言っていました。

なんだか、今まで庭巡りに小さな頃からいろいろ連れまわしてきたけれど、(真夏の桂離宮では、彼女は熱中症っぽくなってしまった)初めて「自分はこの花が好き。」とか香りのことも自ら探していたので、やっと楽しんでくれる年になったんだと思い、うれしかった。

映画やイギリスが好きなので、バラのネーミングの由来も話すと興味を持ってくれていたような。

よかった、よかった。人生。いろいろな愉しみが待っている。

 

 

 

 

 

 

 

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2020年8月17日 (月)

Visiting a garden : クレマチスの丘

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Clematis 'Victor Hugo'          Aug.15.2020

いつか行ってみたい、と思っていた静岡のクレマチスの丘に行きました。

富士山の南西にある愛鷹山の裾野に位置しています。

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なだらかな斜面の中に美術館があり、お庭は、大きく2面に分かれていました。曲線の園路があり、それをたどりながら、イタリアの彫刻家のジュリアーノ・ヴァンジ氏の作品を巡っていきました。作品は大理石の色や模様、質感の違いを使い分けながら彫られた人間の具象彫刻。作品のまわりをぐるぐる回りながら、作品を一つひとつ観ました。

芝生のグリーンがまぶしかった。

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2つめの庭には、睡蓮の浮かぶ円形の池がありました。真ん中に位置する美術館の屋上から見下ろした所。

白の百日紅が光を反射してきれいでした。

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2つめの庭には、NHKの趣味の園芸などでよく紹介されているクレマチス群がアイアンのオベリスクや塀沿いに植えられていました。

真夏なので、開花はどうかな、と思いましたが、いろいろ咲いていました。2番花が咲いていました。    

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Clematis 'Clione'

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Hosta & Fern

日陰の植物もきれい。

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Roses

暑い中、バラも咲いており、手入れが行き届いているな、と思いました。

きらきら輝く植物を目に焼き付かせて、帰路につきました。

 

    

 

 

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2019年8月24日 (土)

Visiting a garden : 足立美術館

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                                                       Aug.14.2019

足立美術館に初めて訪れました。この日は、翌日西日本を縦断した台風の影響で、強風が吹く中の夏の暑い日でした。

館内に入って通路沿いに白砂を敷いた一角に水の流れる鹿威し(ししおどし)がありました。黄緑色にモミジの葉が透けて美しい緑陰に夏の暑さを忘れるような場所。

ここは、少し外に出られ、水の音、風を感じれるので、一番印象に残った一角になりました。

子どもの頃に、遊びに行った古い庭のあるお家のことを思い出しました。そこで松ぼっくりを投げ合ったり、飛石の上をぴょんぴょん飛び越しながら、鬼ごっこをしたことなど、さんざん遊んだことを思い出しました。

この一角に工事中の看板があり、魯山人館を建設中ということでした。

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The Moss garden 苔庭

川の流れのように白砂を敷き廻し、奥に続きながら両側にアカマツが覆いかぶさるように生えています。

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石橋を見ると、白砂は、水の流れ。松が盆栽のような仕上げ。

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枯山水庭園

大きな窓から望める枯山水庭園。クロマツが小さく仕立ててあり斜面の緑につながっていく。

背後には山並みの借景。

ツツジ、サツキの剪定は年に8回行うようです。きれいなドーム型に刈られています。

朝早くに手入れをされるようです。

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クスノキの大木越しに庭園を見る。

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池庭

鯉が泳ぐ池。反射が眩しく、夏の庭の水景色としてホッとする庭でした。

足立美術館の庭はアメリカの日本庭園雑誌 The journal of the Japanese gardening

において2003年より第一位となっているそうです。

 

第2位は桂離宮。

足立美術館は、ガラス越しに観る庭園。桂離宮は実際に庭を歩いて、楽しむ庭園。

そういった面で、楽しむ内容は違います。

 

私が庭を訪れる楽しみは、視覚だけでなく、風や鳥の声,虫の音など自分がその場所に滞在したという記憶を刻むもの。

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2019年8月22日 (木)

Visiting a garden : 桂離宮 Katura imperial villa

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古書院 月見台付近からの眺め  中秋の名月は南東のこの方向に浮かぶ。

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いつか行って見たいと思っていた桂離宮。とうとう、行くことがかないました。

この日は、台風の影響で、風があり、雲も多く浮かぶ夏の日差しがじりじり暑い日。

写真のような眺めとなる古書院は、1615年(江戸)に最初に桂川の水を引き入れ、別荘庭園を八条宮智仁親王が作らせた時からのもので、今でも桂離宮の中心となっている場所です。

月の名所として古来より有名であった桂で中秋の名月を観るのに合わせて、建物の位置、月見台、池の位置、植栽を配しています。

今では、桂離宮の周辺も住宅が増え、ここからの眺めを維持するために、植栽で覆うなどの手立てを取っているそうです。

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 州浜より天橋立を望む              Aug.6.2019

見学順に紹介すると、こちらは、智仁親王の子 智忠親王が1642年に作らせた辺りです。増改築を自分の婚儀に合わせて行っています。

前田家出身で徳川家の養女となった妃であったことから、故郷の景色を表現しようと海辺の景色や天の橋立に見立てた石橋を造ったそうです。

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松琴亭                     智仁親王期

この建物は、室内も見学可能な場所。いろいろと工夫された意匠を見ることが出来ました。網代戸の焦げ茶色になった古びた色が襖の藍色と合います。和紙は、妃のお国の加賀奉書と呼ばれる和紙を使っています。市松文様は、正方形の格子ではなく、長方形でかなり大きい。よく考えてみると、襖の縦横にちょうど収まるよう格子の幅は等分したから、長方形になったのかな。

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松琴亭の石炉

松琴亭は、特に面白かった亭で、茶室もあるし、池に面して水屋や炉が作られた板の間もあり、こんな場所で「おもてなし」をするのもされるのも楽しそうだな、と思う場所でした。写真の石炉も面白い。ここでは、料理は作らないのですが、池の向こうで作らせた食事を船に乗せ、ここに運び、食べるまでの間、この床の間ほどの面積で床を掘ってある場所に炭を入れ、料理を温めたという場所。

壁には煤がついています。そして、戸袋が上部についていますが、そこに葦にとまるカワセミなどの水墨画がさらりと描かれていました。

娘が「かわいい!」と言うと、ガイドの方が「これは、狩野探幽!」「えー!」と思わず、叫んでしまいました。

後から、調べると幕府の御用絵師である狩野派三兄弟が桂に来て、中書院の襖絵など(未公開)の仕事をしていました。

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賞花亭の手水鉢

山の景色を表したいう大中島は、樹木も針葉樹を植えてあり、山道に見立てた斜面を登ると賞花亭という眺めのよい建物に着きました。実際にあった茶屋を移築し、今でいう展望台休憩所のような開放的な造りで、見学者の人たちと一休み。

立ち上がり、斜面を下りながら、いい形の手水鉢を見つけました。枝垂れかかっているのは、ハギでしょう。もう少ししたら、花が咲きそうです。

この手水鉢、これも後から調べてみると、五輪塔の水輪の転用だそうです。きれいな鉢形で思わず目を引いてしましました。

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古書院に続く土橋付近より

桂離宮と聞いてイメージするのはこの書院の美しい屋根の形。

正式には杮葺き入母屋造り(こけらぶきいりもやづくり)というそうです。瓦の屋根の重厚さに比べ、杮葺きは、簡素。ヒノキ、スギ等の木を薄板にして、少しずつずらして屋根に留めていくもの。

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書院前の広場は、現在は芝張り。本を読んでいたら、昔は白砂敷きであったと書いてありました。

ここで、蹴鞠をしたそうです。また、これだけの広場があるからまだまだ増改築可能であったということも書いてありました。

床が高いのは、桂川の氾濫で浸水の可能性があるのでこのように上げているのだそうです。

でもこの姿が、用途や大きさなど全然違いますが、コルビジェのピロティのある建築とも似ているように昔から感じていました。

そこには、立面図の縦横の比が西欧の建築に多く使われているバランスの良い黄金比を含んでいることを宮元健次氏の本で知りました。

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真の飛石

書院に上がるための玄関に通じる飛石 いろいろなルートが交錯している場所ですが、お客様はこちらをどうぞ、と石を変えて表している所。

このパズルのように組み合わせている飛石部分も黄金比が使われているそうです。

黄金比を使っている建築物としては、法隆寺、薬師寺があるそうですが、それ以降はなく、この桂離宮に突如として多用されているそうです。

それには、智仁、智忠親王とも妃がキリシタンと関係にある家の出であったことも西欧の文化を柔軟に取り入れようとする気風を持った家で

あり、西欧の建築や造園に関する情報を宣教師から教えてもらったという事実があったそうです。

黄金比の他、遠近法なども限られた空間により距離感や立体感を与える工夫がそれとは分からない調子でほどこされている庭であるそうです。

指揮をとったのが智仁、智忠親王であったという説と桂離宮でも出てきた幕府の宮廷付き工人であった小堀遠州説とがあるそうです。

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Pinus densiflora                  

最後に桂離宮の全体生垣も含めて、植栽管理がとても良いなと思いました。

私が今まで訪れた庭の中では、一番です。桂川の氾濫源ということも土壌がいいのか、植物が活きいき育っていました。

この松の緑が夏の光の中、輝いており、印象に残りました。

また、別の季節にも訪れたいなと思いました。

 

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2019年8月21日 (水)

Visiting a garden : 龍安寺

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Ryoan-ji    Front gate                        Aug.6.2019

朝早く、家を出て京都へ。真夏の市街地を抜け、10時過ぎには臨済宗妙心寺派の龍安寺に到着。緑陰に覆われた山門の前に立つと涼しい風と虫の音で、一気に避暑地に来たような気分。そもそもこの場所は、北側は衣笠山などの山々に覆われた場所で、古くは墳墓、平安時代には藤原北家の徳大寺実能が山荘を構えた場所。

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Nelumbo nucifera

山門脇の水鉢に植えられたハスの葉が清涼感をもたらしていました。

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太鼓橋のかかる鏡容池。大きな池泉式回遊庭園になっています。ピンク色のスイレンや白いハスの花が咲いていました。モネが見たら、びっくりするだろうな、と思うほど、睡蓮がいっぱい育っていました。

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庫裡 Kuri

石段の先に大きな切妻屋根に木組みの柱や梁が白壁にくっきり見える禅宗寺院特有の庫裡と呼ばれる建物が現れました。山荘に到着したような安堵感。このまま、宿泊したいような感じでした。

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素足で方丈に入ると、緑の中、石庭が現れました。花崗岩の風化した石英、長石の多い白川砂を敷いているので、反射光の眩しい瀬戸内海の真夏の海景色にも見えました。

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みんな縁側や回廊に座って静かに枯山水のお庭を見ていました。大きな石は、裏山の墓陵に使われていた墓石がくずれたものが使われているそうです。

墓石を見つめる=「死」を見つめること、「無」を表現しているとされています。僧侶たちは、この墓石を見ながら「無」=「永遠不滅」という悟りの境地を追求したということです。

こうやって、人間の歴史をはるかに超える時間をかけて、作られた石を見つめることは、人間の存在について改めて感じさせてくれる時間になったと私は思いました。

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じっくり見ていくと、入ってすぐの石の大きさは一番大きいものを据えています。これは、絵を描く時に「手前を大きく、奥のものは小さく描くと遠近感が出る。」というのと同じで、限られた空間の中で、錯視によって遠近感を強調させる手法で石組がされています。

また、宮元健次氏の著書によれば、この石庭の縦、横の比率は、黄金比を利用しており(幅24m、奥行き10m)、その対角線上に石組が配置されているそうです。不定形の石なのでランダムな感じがしますが、実はかなり意図を持った配石。

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油土塀の南面側面

菜種油を混ぜて いるという油土塀の色は、弁柄色とベージュの中間色でした。これも方丈から見た時、通常の塀よりもとても高さが低い〈1mぐらい)なのです。外側のグラウンド レベルはぐっと低い。石庭の乾いた空間に緑のフレームが見え、潤いを与えていました。

油土塀の屋根の瓦をふと見上げると、室町時代に龍安寺を作った細川家の五七桐紋が見えました。白壁の方は新しい。

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土地の勾配が方丈に向かって傾いていたり、(奥が高い)左側塀が低まっているそうです。これは、空間も先細っていく遠近法を使っているとのこと。言われてみれば、そうだなと思いますが、何も知らないと気付かない感じ。

本を読んでいて、「勾配が方丈側なら、庭に降った雨は方丈の方に流れてくるのでは?」と不思議に思いましたが、現地に行って見てみると、ちゃんと排水のための溝があり、黒い玉砂利が敷かれていました。

こんな工夫が、とても面白く、感じられ昔の人の知恵に感心しました。

作庭の歴史を改めて帰宅してから書物で読ると、

寺院の南庭は、儀式を行う場所であり、石組や植栽をすることは、禁じられていたそうです。(平安時代『作庭記』)しかし、儀式の場が広縁や室内に移行するに従い、南庭は使われなくなり、1619年の寺院制度の改正により、木や石を持ち込むことができるようになったそうです。龍安寺のように南庭の平庭に枯山水式庭園を作庭するようになったのは、江戸時代以降だそうです。

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『都名所図會』  1780年  離島軒秋里

方丈の中に江戸時代に出版された本の写しが置いてあり、写真に撮っておきました。よく見ると、現在の方丈と枯山水の庭とは違う絵が描いてあるのに気付きました。

図の上の中央に方丈がありますが、廊下のようなものが現在の庭の中央に通っています。現在の庭の場所は、2つに分けられています。

寺のパンフレットによれば、『1797年、火災により方丈、仏殿、開山堂などを失った。現在の方丈は、そのとき西源院の方丈を移築したものである。』とありました。

このことを考えると、油土塀の色が真ん中のあたりが黒くなっていたのは、この火災の跡なのかと思いました。この火災の後、廊下部分をなくし、幅広の敷地に現在の石庭が作庭されたということです。

では、「この石庭を作ったのは誰なのか?」ということになると、諸説あるそうです。

この石庭の作られた年代は1619年から1680年の間。その時期に作庭した可能性があるのは、金森宗和。なぜなら、西源(龍安寺敷地内)の石庭を作庭したという文献があるからです。

それを1797年の火災の後、西源の方丈を移築し、枯山水の庭も移設?

ここが、はっきりしない。庭の面積も違う場所へ重たい石を運んで移設?と私も考えます。

宮元健次氏は、遠近法、黄金比の活用、借景などの手法からその当時、宣教師から西欧の技術を伝えられた宮廷付き工人であった小堀遠州ではないか?という説をあげていました。禅宗信者でもあった遠州。

しかし、文献には龍安寺作庭に遠州が関わったという記録がないそうです。

遠州がすべて仕事を記録していたわけではないという他の例を見ても、遠州の関与が伺われるようですが、遠州は1647年に亡くなっていることから、1797年の火災後の現在の石組の作庭には関われない・・・のでは、と思ったりもします。

 

 

 

☆参考文献:宮元健次著 『日本の美意識』、『京都名庭を歩く』光文社新書、『日本庭園のみかた』学芸出版社

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2019年6月15日 (土)

Visiting a garden : 明月院 Bright Moon Hermitage

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Meigetsu-in      Kamakura    June.14.2019

あじさい寺として有名な明月院に行きました。アジサイの時期なので、平日早めと思い、朝の9時には到着。でも有名な山門までの階段の景色は人込みでした。淡い水色のアジサイに囲まれながら、いい写真もとれずに本堂に。予備知識もなく訪れたわけですが、本堂前は枯山水の庭が作られていました。臨済宗の禅寺の塔頭(僧の住む住居)として整備された今の建築、庭園。

古くは、この地に1160年に平治の乱で戦死した山内首藤俊通の供養のために子の経通が明月庵を作らせたのが始まりとされます。見渡せば鎌倉特有の砂岩質の山肌を掘り、やぐらも見えました。鎌倉では最大級の横穴式墳墓。国の史跡に指定されています。

その後、この地は北条家のものとなり、「最明寺(さいみょうじ)」が作られました。そして南宋から来た僧、蘭渓道隆(らんけい どうりゅう)により、「禅興寺(ぜんこうじ)」として開山。室町時代に1380年には、足利氏が上杉氏に伽藍を整備させ、寺域を拡大させたようです。開山は密室守厳禅師。

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「明月院絵図」紙本淡彩(南北朝時代)国重要文化財 (拝観券図版より)

「明月庵」は塔頭として「明月院」として整備され、その頃の面影が今の姿に至っているようです。残されている絵を現在の様子と比べると、右下に今は存在しない塔があったことが分かります。

しかしその後、明治初年廃仏毀釈の流れの中で「禅興寺」自体は廃寺となったそうです。

そのような歴史を持つ明月院は、アジサイを戦後、杭のかわりに植えていったそうです。

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Hydrangea Macrophylla subsp.serrata var.amoena

フワっと澄んだ水色のアジサイが道の両側にいっぱい大きく生長し、今は満開。別天地にいるような気持になりました。

寺では、剪定した枝を挿し木にして、このアジサイを育苗していました。挿し木をしてから開花する株になるまで、4,5年かかるそうです。

その作業を何十年も繰り返してきた業の末に、この別天地がここに生まれたのです。

帰ってからこのアジサイの品種を調べると、ホンアジサイと呼ばれるガクアジサイ系とエゾアジサイの交雑種ということが分かりました。

牧野富太郎が昭和の最初の頃、日本の植物を調査した時に、信越地方でこの交雑したアジサイを見つけ、「ヒメアジサイ」と命名したそうです。

そういえば、西洋アジサイを路地植えにして今、あちらこちらで色々な色のアジサイを見かけますが、それに比べ、「線が細い。」といった印象。それは、装飾花の厚みが薄く、一つの装飾花の直径も2㎝ぐらいとこぶりでした。

葉に関しても、つやのない薄手の葉です。

東国と鎌倉の幾たびにもわたる戦いがあった中で、植物は昔から交雑したものが生まれていたと思うと、意味深い感じがします。

また上杉氏は越後の国に移ったので、このヒメアジサイはそのあたりから持ってきた特に美しい品種のアジサイなのかもしれません。これは、私の想像ですが。

以前、明月院を訪れた人の感想を聞いた時、「あそこのアジサイは他とは違うのよね。」と言っていたことを思い出します。

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Iris ensata var.ensata

本堂後ろには、庭園があり、ここも公開になっていました。花しょうぶが満開のまたまた別天地。

なかなか、満開の菖蒲園に行けることは今までも少なく、ラッキー。

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Acer palmatum

秋になると紅葉するモミジ。今は新緑が美しい。脇の山から水が流れてきており、紅葉にはうれしい環境。

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苔の生えている場所の緑陰も美しい。

思い切って、出かけ、満足。ここから、歩いて若宮大路で蕎麦をいただき、鬼頭天薫堂でお香を求め、寿福寺、和田塚に手を合わせ、江ノ電へ。15000歩の1day tripでした。

 

 

 

 

 

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