2022年8月 6日 (土)

The Cinema : The postman from Nagasaki 長崎の郵便配達Ⅱ

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 昨日より公開となった映画『長崎の郵便配達』を観に行ってきました。川瀬美香監督とイザベラ・タウンゼンドさんが舞台挨拶に登壇され、今までの制作の苦労等、直に聞かせていただき、一鑑賞者の立場ですが、本当によかったと思いながら帰ってきた次第です。

映画の話は、しないでおいて、とにかくこの記事を読んだ人に観に行ってもらいたいと思うばかりです。核の話がニュースでも飛び交う最近の状況ですが、原点のないところでそれを話しても嚙み合わないのだと改めて思いました。

今まで、被爆して戦後も生き抜いてきた人々が、その体験を話してくださいました。私は広島で育ったので、地元の番組で放映された被爆者の方々の話を聞いたり当時の絵を多く見て、どんな様子であったのかを知る機会が比較的多かったと思います。話を聞きながら、自分の身に置き換えて考え、涙でぐちゃぐちゃになっていました。

しかし時が経ち、それを語ってくださっていた方たちがどんどん他界されていく中、今回の映画のベースとなったピーター・タウンゼンド氏が取材した16歳で被爆した谷口さんの話を丁寧に再現するように伝えることは、感受性の強い若い人たちが、核を考えるにあたって、とても重要なものとなっていくと思いました。

若い人だけでなく、私自身も想いをまた新たにしています。

イザベラさんのお父様 ピーター・タウンゼンド氏の国境を越えて人間としてこの事実を世に知らせたい、という強い思いやイザベラさんがお父様のその思いを紐解くように気付いていった瞬間など映像で克明に記録されており、同じく亡父を持つ身として感情が揺さぶられました。

戦争が起こり、真実が見えなくなってきている今、平和について考えるきっかけにさせてくれる映画です。

 

 

 

 

 

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2022年7月 9日 (土)

The Cinema : The postman from Nagasaki 長崎の郵便配達

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   独身時代、Ralph Laurenの広告写真がとってもかっこよくて、その世界観に憧れて、背伸びしてお洋服を買っていました。素材や縫製もよくて、実は今でも数点現役。ベルトはヴィンテージ感が出て、娘が使ってくれています。そのブランド・イメージを強烈にしたのが、モデルの Isabella Townsend イザベラ・タウンゼントさんの凛とした美しさ。ただの美人さんではなくて、風景の中で遠くを見つける眼差しや子どもと一緒のシーンなら母性やたくましさを感じさせるもので、「こんな女性になりたいなー」なんて一枚の写真から物語を感じさせるものでした。写真家は、Bruce Weber。

2019年9月、沖縄のやちむんを展示しているギャラリーで彼女の写真が載った映画のチラシを見つけました。映画監督の川瀬美香さんの新しい映画の『長崎の郵便配達』という映画で、イザベラさんのお父様が1982年、長崎に行き、取材した16歳の時に被爆した谷口さんの話をまとめたドキュメンタリー小説 ”The Postman’s from Nagasaki” の舞台に娘のイザベラさんが訪れるというドキュメンタリー映画のようでした。映画の公式サイトはこちら

公開された時には、絶対に行こうと思っていたら、コロナの影響で公開の予定が立たなくなってしまいました。監督のブログを時々チェックしていましたが、かなりの待機状態となっていました。この間、イザベラさんと彼女の娘さんと長崎の高校生がオンラインで話をする機会を持ったり、広島の映画祭で上演したりしたようでしたが、劇場公開も決まらず…の状態であったようでした。

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そして、先月、インスタグラムでイザべラさんの近況を伝えるコメントを見たら、「映画が8月5日から公開されることになった!」と書いてあり、日本でのこの夏公開のことを知った次第です。

映画はイザベラさんがお父様が長崎を歩いた場所や感じたことを文章や音声テープから辿る旅で、亡きお父様への彼女の心の隙間を満たしたことでしょう。さらに被爆地である長崎のことを彼女自身が一人の人間として知ることで、彼女自身が平和への願いを確固としていった旅となっていったのではと推測しています。

私の父も、海外に長期滞在が多く、子どもとしては、ちょっと寂しかったような気もします。しかし、むしろ必ずスライドやビデオを見せて現地の様子を話してくれたので「こんな場所が世界にはあるんだ。」と自分の世界観に影響を与えてくれました。

私は父の仕事の関係で広島で生まれ育ったので、原爆に関してもいろいろな話を聞いてきました。今でも帰省する度に必ず平和公園に必ず立ち寄り、平和への誓いを心に刻みます。

以前は、遠い国の美しいミューズのような存在であったイザベラさんがこの映画を通じて、より現実にこの世界をともに生きる人間として共感を抱く存在となっていくような気がします。

 

 

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2021年6月 2日 (水)

The Cinema : La fine fleur

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 5月28日(金)より公開されている『ローズ メイカー 奇跡のバラ』を見に行きました。

フランスのバラ メーカーが協力していると聞いていたので、興味深々。

園芸雑誌やTVでもいくらかは見たことのあるバラの育種会社の温室の様子やパリのブローニュの森で行われるバガデル公園のバラのコンクールの様子などが、大画面で見れ、自分もそこに入り込んだような気持ちになれました。

圧巻は、斜面に広がるバラの畑の一年の様子を定点カメラで撮影しているシーン。冬の枯れ木の状態から春の萌芽、青々とした葉が茂り、ピンクや赤、黄色、白とバラが花を一斉に咲かせる喜びの瞬間がフィルムに収められています。

あらすじには触れないとして、周辺情報をフランスの映画紹介サイトで見つけたので、少し、紹介します。参考サイト ALLOCINE

監督であるPierre Pinaud (ピエール・ピノ―)氏自身、小さい頃から花が好きで、祖父母の庭の一部に理想の庭を作らせてもらったという思い出のある方で、バラの創作(育種)の映画を作りたいと思っていたそうです。

監督のイメージにあるバラの畑は、多くのバラの生産会社が集まる Lyon(リヨン)では、住宅や商業施設に畑が囲まれ見つからなかったのですが、近くの Montagny(モンターニュ)にある家族経営の Dorieux(ドリュ)社の畑がイメージピッタリで、そこで撮影されました。

確かに、のびやかに丘の斜面に広がる畑は、日当たりも良く、のどかな風景。

撮影用にいくらか、建物や温室、インテリア等改築、改装したそうです。

Dorieux社については、ラベンダー色の鉢に入った苗を思い出します。先日、横浜で見た’ピンク・ヴィンテージ’は、最新の品種として日本でも販売されています。

映画はフィクションですが、Meilland (メイアン)社の協力も得て、作られています。

主演の Catherine Frot カトリーヌ・フロ さんは、とても器用な方で、受粉の時の手の動かし方など、忠実に再現できているそう。彼女の主演の 'Les Saveurs du palais' (大統領の料理人)2012も見ましたが、ぐっと、引き込まれる演技で、知り合いの年上の女性のような親近感を感じる女優さんです。いつも、戦っている。

全体としては、Comedyで、笑いながら見ていましたが、監督としては、バラの育種の世界が、『今日の非常に競争の激しい社会と類似点を感じた。』ということで、問題提起が隠喩されています。ん~。なるほど。

また、登場人物の設定もそれぞれに訳ありの状態で、それぞれが成長していく様子が描かれ・・・。

最後に出てくるバラは、「たぶん、これかな~?」とDorieux社のサイトで見つけたのが、’Galgala’。アイボリーと縁がコーラル・レッドという色の組み合わせが似ていますが、もしかしたら、似ているけれど違うバラかも。

 

 

 

 

 

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2020年7月 6日 (月)

About An Artist: Vincent van Gogh : At Eternity’s gate

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昨年11月にゴッホの映画を観に行った。昔作られたカーク・ダグラスが演じたゴッホの映画を観たが、その後作られた映画は観ていない。映画や小説でその人の人生を追うよりは、その人が残したものから、こんな風に考え描いたのではと自分なりにゆっくり考えていくのが好きだ。

今回のゴッホ役は、ウィリアム・デフォー。なんだか、二人ともマーベルの映画に敵対する役で一緒に出ていたが、確かにゴッホに顔が似ている俳優さんだ。

しかし、今回のジュリアン・シュナーベル監督の本作は、制作中のフィルムなどの公開などから、描かれた場所に行き、撮影が進められたということを知っていたので、是非、大画面で見たいと思っていた。監督自身も絵を描いていた人。

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映画の冒頭の完全にゴッホの見ていたようにカメラが動くシーン。絵の具やイーゼルを運び、家に帰ってくるシーン。

学生時代にモチーフを探しにスケッチに出かけた頃を思い出した。

手を動かせば、絵は描ける。しかし、何を自分のものとして一枚のキャンバスに残せばいいのか、迷った。

あの頃はスケッチしながら、人の評価を気にして、絵を描くのが辛い頃だった。

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ゴッホが日記のようにいろいろなものを描いたのには、決定的な評価が得られなかったためにいつも迷っていたからだと思う。

でも、サン・レミの修道院に入ってからは、スケッチに行けないので、逆に心の中にある美しい色、形を自由に表現していった。

あの時代、心の動きともとれるSchrollうねりというタッチでキャンバスの上に表した画家は、ゴッホ以外にいただろうか。

ニューヨークのMOMAにある『星月夜』は、ゴッホの残した作品のベストだと思う。色の研究によって意図したであろう補色対比である濃紺と黄色の組み合わせは、純粋に美しい色面だ。モチーフの糸杉は画面の中の垂線となり、月や星の散らばる夜空につながるように描かれている。宇宙という果てしない世界がここには描かれている。

天にも届きそうな糸杉は、ゴッホの願い「いつかは、天国に召されたい」というキリスト教的な気持ちを隠喩しているように感じる。

現実の世界では、理解してもらえないゴッホはこの絵の中に、自分の心が解放され、受け入れてもらえる自由や安心感を感じる世界を作り出した。

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映画から南仏の景色や光、風など疑似体験させてもらえたし、油絵を描く気持ちも思い出させてくれた。

パンフレットに使われていたこの黄色。

ジョーンブリアン, カドミウム イエロー? 懐かしい色名が浮かんだ。

油絵の具は顔料の違いで微妙にチューブの中の絵の具は塗った時に今、多用されているアクリル絵の具とは違う濁りを含んだ色面を作る。

展色剤として揮発性の油もあるが、一般に乾きも遅く、前に描いた絵の具がぬるぬるして、塗り重ねるのに時間がかかる。

だから、一般的に油絵は時間をかけて制作されるものだ。

ゴッホの作品の中で何度も本物で見た作品は、その常識を覆している。

ゴッホ最後の地、オーベル・シュル・オワーズでの作品、ひろしま美術館蔵の『ドービニーの庭』は、チューブからそのまま置いたのでは、と思われるぐらいパレットで混ぜた痕跡のないような絵の具が粗いタッチで置かれ、セラドン・グリーンの空の美しい色が特に印象的な作品だ。

べたつく油絵の具を乾かしては塗るということはしないで、早く完成させたいからともとれるが、今となっては、自分に残された時間がないことを悟っていたのかなとも思うと悲しい。

帰省の際に、機会があれば、ひろしま美術館を訪れ、天窓のあるドーム型の常設展示室の作品を観に行くが、やはりこの絵は上部の色とタッチを確認するように観ている。

「確かにこの絵の前でゴッホは筆を動かしたのだ。」と感じる。

 

 

 

 

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2018年8月22日 (水)

The Cinema : 『プロヴァンス物語 マルセルの夏』 と『プロヴァンス物語 マルセルのお城』

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La Gloire de mon père et Le Château de ma mère

8月に入って、無性に見たくなってネットで見れないかと検索していた『マルセルの夏』と『マルセルのお城』。1990年フランス初公開の映画で、私は、レンタルビデオで見たような・・・。借りている間、面白くて繰り返し見た記憶があります。とにかく、子どもの頃の夏休みの思い出を子どもの視線で描き、南仏の荒涼とした岩山やセミの声や夏の暑さをも伝える映画として、心に残っていた映画だったから、夏が来ると、また見たいと思っていた映画。

Trailerは見ることが出来たけれど、昔見たように全編は見れないので、あきらめていると、なんと願いがかなったように恵比寿で8月4日からデジタル リマスター版を上映するというお知らせをいただきました。

娘にも大画面で一緒に見せたかったので、奮発して、2作同時上映に行きました。とにかく、フランスの生活文化が描かれ、フランス文化が好きな人には絶対おすすめ。お母さんの作るお料理も美味しそうだし、家族がやりくりしながら生活している様子もリアルで、共感。手作りのお揃いの洋服を着て、ヴァカンスに行くのも、母がそういえば、帰省する時、お揃いの服を作ってくれたことを思い出したり・・・。父、母.兄弟とのやり取りも「あるある!」と思いながら、笑いながら見ていました。国は違うけれども、自分の子どもの頃を思い出し、今は亡き父をも思い出しながら、故郷を偲ぶ映画となりました。たぶん、長くなってきた私の人生の中で一番好きな映画であると今回確信しました。

前回、よく知らなかったことがいろいろわかったので、紹介しておきます。フランスの国民的作家・劇作家・映画人であったマルセル・パニョル〈1895~1974)の自伝的作品 『少年時代』〈1957〉をイヴ・ロベール監督が映画化したもの。

パンフレットには、山田洋二監督のインタビュー記事が掲載されており、『パニョルは寅さんの原点』として、作品作りにおいて、影響を受けたことが紹介されていました。

娘が、何度も「よかったよ。この映画」と言っています。また、「もう一度、見たい。」とも。

本当にそう。映画ならではの魔法を心にかけてくれる作品。

『ここでは、幸せが泉のようにあふれていた。夢なんかどうでもよくて、ほんとうの悲しみはまだ知らず、永遠に続くと思えた幸福な季節…。』 パンフレットより


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2016年7月10日 (日)

The Cinema : "DARE TO BE WILD"

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昨日は、邦題『フラワーショウ』を観に行きました。原題は、"DARE TO BE WILD"。イギリス映画と思っていましたが、アメリカ映画。イギリスのチェルシー フラワー ショウに2002年 アイルランドから出品したMary Reynoldの実話をベースにした映画。
原題の意味は、あえて自然にという意味でしょうか。園芸という世界の中で植物が物のように配されていたショウ ガーデンに彼女は、違和感を覚え、本当に自分が自然から受けた癒しの美を自分の庭作りにいかしていくという信念でショウガーデンに臨む姿を描いていました。

自分も無理を承知で2006年、日本で最大の国際バラとガーデニング ショウに出品したので、映画を見ながら、苦労したことを思い出しました。一次審査を通過したからには、出品したいけれど、一人ではできないのが庭作り。限られた時間で自然にそこに植物が育つようにセッティングするのは、大変なこと。彼女の庭のサンザシが審査の日に咲いたように、私の持っていったバラもきれいに会期中咲いてくれたことなど、自分の経験とほぼ一緒で、時々、涙が出そうになりながら、観ました。

美術の作品なら、一人で格闘して出品できるけれど、Gardenは違っていました。パパや友人となってくれた造園会社の方がいなければ、絶対出来なかった。それを分からずに飛び込んだ自分の勇気も・・・、今では信じられないけれど。その当時、人としてもう一仕事したいという気持ちが強かったように思います。ArtsTeacherの職を辞して家庭に入りましたが、子育てが少し楽になったころから、植物の世界は魅力的で、どうにかその力を使って、作品を作りたくなり、出品しました。

無理をして乗り切ったことで、自分が出来ることに以前よりも自身が持てるようになったことは確かでした。

どんなことでも信じる道で一生懸命やってみることは、大事なことで、それは、若い人だけのことじゃあないと思いました。

今は、再び、Arts teacherに戻っています。自分のまわりの植物の世話や庭作りを続けていて、もうショウには出ないけれど、あの時の経験は、今の自分の心の中の糧になっています。


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2015年10月13日 (火)

Le Cinema : ヴェルサイユの宮廷庭師

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昨日、娘と映画に行きました。英語のタイトルは "A Little Chaos(小さな混沌)"邦題『ヴェルサイユの宮廷庭師』。娘が小学生の時に世界遺産について調べ、その時、「いつか一緒に行こうね。」と約束しましたが、まだまだ、先でしょう。しかし、映画なら行けるので、公開2日目、早速行ってきました。その時の記事はこちら

ヴェルサイユの庭園の中に『小さな森の舞踏の間』という実在する場所があります。そこを架空の女性の造園家 サビーヌ・ド・バラがル・ノートルの監修の元、その感性をいかして作った、という設定となっていました。ル・ノートルの作った秩序 Order の中に少しの混沌 Chaos を持った部分を女性造園家がもたらしたということで "A Little Chaos" というタイトルになっています。

サビーヌ・ド・バラを演じるケイト・ウィンスレットは、たくましく美しかった。『タイタニック』の時も感じましたが、彼女の横顔は、ギリシャ彫刻のように普遍的な女性美を備えており、今回もそれを感じながら見ていました。

映画の中の印象に残ったフレーズは、正確ではないですが、次のようなフレーズ。

『エデンの園を追放されてから、人間は庭を作ってきたけれど、いまだエデンの園を越える庭を人間は作れないでいる。』

そうか。なるほど、人が庭を作る動機をそこに持ってくるのか・・・。私も平安な気持ちにさせる庭が好きだな・・・・。

『それぞれのバラは、自身が知らないうちに咲き、やがて枯れていく。バラの望むものは、太陽と…(あとは、忘れ)です。』

自らを太陽神アポロンの重ね合わせていたルイ14世に国王として人々の前に君臨する役割を、自然界における太陽の役割にも重ね合わせたサヴィーヌの話がひどく心に響いたシーン。

ルイ14世がどうしてヴェルサイユに宮殿と広大な庭を作らせていったのかを『権力の誇示』だけではない別の面、思想的な面もいろいろあったのではというお話になっておりました。

制作は、イギリスのBBC films。フランス語だろうと勝手に思っていましたが、英語で始まったので最初は変な気分でした。
音楽は、その場面ごとにじわじわっと効果的に挿入され、涙をそそるシーンにもピアノが響いていました。
衣装の色、生地に質感、形。これも素晴らしかった。

ということで、良かったです。ファンタジー映画から少し卒業しつつある娘も同感だそうです。

おみやげにヴェルサイユの庭園の庭師であるアラン・バラトン氏 の『庭師が語るヴェルサイユ』Alain Baraton
" Le Jardiner de Versailles"という本を買ってきました。

1990年、1999年と暴風雨で庭園の樹木が相当根こそぎ倒れるということもあったということが、冒頭に書かれていました。樹齢300年、植えて200年の木が倒れたよう。

元の土地が蚊の出るような湿地の森であったヴェルサイユの地質に外来のものも多い樹木が根をどれだけ張らせることができているのかな、とか近頃の気候の変化による被害に対して日本と同じく注意が必要になってきているのだな、とか読みながら思っています。

秩序を維持するための庭師の苦労や歴史的なことなどにも触れているようで、興味を持って読み進められそうです。

ヴェルサイユの景色を想像しながらバラトン氏の本も読んで、いつか、ゆっくりヴェルサイユを訪れたいと思います。ルイ14世おすすめコースをたどるのも面白そう。

『小さな森の舞踏の間』も映画を思い出しながら見るといいだろうな~。

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2009年5月30日 (土)

The Cinema : 夏時間の庭 : L'Heure d'été

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先日、久しぶりにパパと映画を見に行きました。十何年ぶりでしょうか。オルセー美術館が収蔵品を貸し出し撮影協力したということでも話題の映画。チラシの写真もきれいだったので、どんなお庭が出てくるのかな、なんて絵的なことに興味を持ち出かけましたが、ストーリーに引き込まれそれらは、すべて自然な背景。

映画の感想は、家族のことを描いた作品だったので、いろんなシーンが自分と重なる話だったな、と思いました。

音楽も気持ちをチェロの低音の響きや、ピアノの音色がたどるように表現しているところなど、涙がじわりじわりとにじみました。たぶん、サウンド トラック版があれば、また、涙が出てしまう。あらすじや画像など公式ホームページで見れるので、そちらを。

いろいろな視点からの感想は、あるけれど、特に美術の面でのことを。

オルセー美術館で展示されている自分の家にあった大叔父や母が好んで使っていた机やガラス器が展示品として置かれるようになり、それを観賞する人たちが斜め見しながら通り過ぎるのを見て、主人公たちが寂しく思うシーン。

このシーンは、印象的だった。改めて作品の一つひとつには、このようなエピソードがすべてについていることに気づかされた。

母親が使っていたガラスの花瓶も母の家で、庭の花を飾り、お気に入りの場所に置かれていたときの美しさを知っている家族にとって、主から離れたモノは、輝きを失ってしまったようにも思えるでしょう。

逆に同じ作家のガラスの花瓶を形見分けとして、いつも女主人のために花を生けていたお手伝いの女性が、価値も知らないまま、と大事そうに家に持ち帰るシーンもあった。

これも一つのモノにとっての新たな道。思い出とともにその美しさをわかってくれる人に使われるという幸せな道。

評価されたものが集まる美術館。だけど、その中の一つひとつすべてを直感的にも知的にも価値を見出し、本当にいいと思える人はどれだけいるのだろうか。

オルセーの場面は、美術館の側からもモノだけの陳列にすべてを語れないことをを示唆していて、興味深いシーンだった。

しかし、展示の中から、自分にとって美を発見する人もいるわけで、そのような機会になれば、展示品も新たな輝きを加えられることになる。

個人の手にある作品が公開され、あらたな評価を受けることで、それは、立派な「美術品」となっていく。

パパが「美術って何?」と聞いてきたけれど、「人間が美しいものを作ろうと格闘した歴史」と答えた。

その営みに敬意を払って、作品を見ていきたい。天窓により自然光あふれるオルセー!私は、好き。
また行きたいな。


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