2016年7月10日 (日)

The Cinema : "DARE TO BE WILD"

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昨日は、邦題『フラワーショウ』を観に行きました。原題は、"DARE TO BE WILD"。イギリス映画と思っていましたが、アメリカ映画。イギリスのチェルシー フラワー ショウに2002年 アイルランドから出品したMary Reynoldの実話をベースにした映画。
原題の意味は、あえて自然にという意味でしょうか。園芸という世界の中で植物が物のように配されていたショウ ガーデンに彼女は、違和感を覚え、本当に自分が自然から受けた癒しの美を自分の庭作りにいかしていくという信念でショウガーデンに臨む姿を描いていました。

自分も無理を承知で2006年、日本で最大の国際バラとガーデニング ショウに出品したので、映画を見ながら、苦労したことを思い出しました。一次審査を通過したからには、出品したいけれど、一人ではできないのが庭作り。限られた時間で自然にそこに植物が育つようにセッティングするのは、大変なこと。彼女の庭のサンザシが審査の日に咲いたように、私の持っていったバラもきれいに会期中咲いてくれたことなど、自分の経験とほぼ一緒で、時々、涙が出そうになりながら、観ました。

美術の作品なら、一人で格闘して出品できるけれど、Gardenは違っていました。パパや友人となってくれた造園会社の方がいなければ、絶対出来なかった。それを分からずに飛び込んだ自分の勇気も・・・、今では信じられないけれど。その当時、人としてもう一仕事したいという気持ちが強かったように思います。ArtsTeacherの職を辞して家庭に入りましたが、子育てが少し楽になったころから、植物の世界は魅力的で、どうにかその力を使って、作品を作りたくなり、出品しました。

無理をして乗り切ったことで、自分が出来ることに以前よりも自身が持てるようになったことは確かでした。

どんなことでも信じる道で一生懸命やってみることは、大事なことで、それは、若い人だけのことじゃあないと思いました。

今は、再び、Arts teacherに戻っています。自分のまわりの植物の世話や庭作りを続けていて、もうショウには出ないけれど、あの時の経験は、今の自分の心の中の糧になっています。


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2015年10月13日 (火)

Le Cinema : ヴェルサイユの宮廷庭師

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昨日、娘と映画に行きました。英語のタイトルは "A Little Chaos(小さな混沌)"邦題『ヴェルサイユの宮廷庭師』。娘が小学生の時に世界遺産について調べ、その時、「いつか一緒に行こうね。」と約束しましたが、まだまだ、先でしょう。しかし、映画なら行けるので、公開2日目、早速行ってきました。その時の記事はこちら

ヴェルサイユの庭園の中に『小さな森の舞踏の間』という実在する場所があります。そこを架空の女性の造園家 サビーヌ・ド・バラがル・ノートルの監修の元、その感性をいかして作った、という設定となっていました。ル・ノートルの作った秩序 Order の中に少しの混沌 Chaos を持った部分を女性造園家がもたらしたということで "A Little Chaos" というタイトルになっています。

サビーヌ・ド・バラを演じるケイト・ウィンスレットは、たくましく美しかった。『タイタニック』の時も感じましたが、彼女の横顔は、ギリシャ彫刻のように普遍的な女性美を備えており、今回もそれを感じながら見ていました。

映画の中の印象に残ったフレーズは、正確ではないですが、次のようなフレーズ。

『エデンの園を追放されてから、人間は庭を作ってきたけれど、いまだエデンの園を越える庭を人間は作れないでいる。』

そうか。なるほど、人が庭を作る動機をそこに持ってくるのか・・・。私も平安な気持ちにさせる庭が好きだな・・・・。

『それぞれのバラは、自身が知らないうちに咲き、やがて枯れていく。バラの望むものは、太陽と…(あとは、忘れ)です。』

自らを太陽神アポロンの重ね合わせていたルイ14世に国王として人々の前に君臨する役割を、自然界における太陽の役割にも重ね合わせたサヴィーヌの話がひどく心に響いたシーン。

ルイ14世がどうしてヴェルサイユに宮殿と広大な庭を作らせていったのかを『権力の誇示』だけではない別の面、思想的な面もいろいろあったのではというお話になっておりました。

制作は、イギリスのBBC films。フランス語だろうと勝手に思っていましたが、英語で始まったので最初は変な気分でした。
音楽は、その場面ごとにじわじわっと効果的に挿入され、涙をそそるシーンにもピアノが響いていました。
衣装の色、生地に質感、形。これも素晴らしかった。

ということで、良かったです。ファンタジー映画から少し卒業しつつある娘も同感だそうです。

おみやげにヴェルサイユの庭園の庭師であるアラン・バラトン氏 の『庭師が語るヴェルサイユ』Alain Baraton
" Le Jardiner de Versailles"という本を買ってきました。

1990年、1999年と暴風雨で庭園の樹木が相当根こそぎ倒れるということもあったということが、冒頭に書かれていました。樹齢300年、植えて200年の木が倒れたよう。

元の土地が蚊の出るような湿地の森であったヴェルサイユの地質に外来のものも多い樹木が根をどれだけ張らせることができているのかな、とか近頃の気候の変化による被害に対して日本と同じく注意が必要になってきているのだな、とか読みながら思っています。

秩序を維持するための庭師の苦労や歴史的なことなどにも触れているようで、興味を持って読み進められそうです。

ヴェルサイユの景色を想像しながらバラトン氏の本も読んで、いつか、ゆっくりヴェルサイユを訪れたいと思います。ルイ14世おすすめコースをたどるのも面白そう。

『小さな森の舞踏の間』も映画を思い出しながら見るといいだろうな~。

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2009年5月30日 (土)

The Cinema : 夏時間の庭 : L'Heure d'été

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先日、久しぶりにパパと映画を見に行きました。十何年ぶりでしょうか。オルセー美術館が収蔵品を貸し出し撮影協力したということでも話題の映画。チラシの写真もきれいだったので、どんなお庭が出てくるのかな、なんて絵的なことに興味を持ち出かけましたが、ストーリーに引き込まれそれらは、すべて自然な背景。

映画の感想は、家族のことを描いた作品だったので、いろんなシーンが自分と重なる話だったな、と思いました。

音楽も気持ちをチェロの低音の響きや、ピアノの音色がたどるように表現しているところなど、涙がじわりじわりとにじみました。たぶん、サウンド トラック版があれば、また、涙が出てしまう。あらすじや画像など公式ホームページで見れるので、そちらを。

いろいろな視点からの感想は、あるけれど、特に美術の面でのことを。

オルセー美術館で展示されている自分の家にあった大叔父や母が好んで使っていた机やガラス器が展示品として置かれるようになり、それを観賞する人たちが斜め見しながら通り過ぎるのを見て、主人公たちが寂しく思うシーン。

このシーンは、印象的だった。改めて作品の一つひとつには、このようなエピソードがすべてについていることに気づかされた。

母親が使っていたガラスの花瓶も母の家で、庭の花を飾り、お気に入りの場所に置かれていたときの美しさを知っている家族にとって、主から離れたモノは、輝きを失ってしまったようにも思えるでしょう。

逆に同じ作家のガラスの花瓶を形見分けとして、いつも女主人のために花を生けていたお手伝いの女性が、価値も知らないまま、と大事そうに家に持ち帰るシーンもあった。

これも一つのモノにとっての新たな道。思い出とともにその美しさをわかってくれる人に使われるという幸せな道。

評価されたものが集まる美術館。だけど、その中の一つひとつすべてを直感的にも知的にも価値を見出し、本当にいいと思える人はどれだけいるのだろうか。

オルセーの場面は、美術館の側からもモノだけの陳列にすべてを語れないことをを示唆していて、興味深いシーンだった。

しかし、展示の中から、自分にとって美を発見する人もいるわけで、そのような機会になれば、展示品も新たな輝きを加えられることになる。

個人の手にある作品が公開され、あらたな評価を受けることで、それは、立派な「美術品」となっていく。

パパが「美術って何?」と聞いてきたけれど、「人間が美しいものを作ろうと格闘した歴史」と答えた。

その営みに敬意を払って、作品を見ていきたい。天窓により自然光あふれるオルセー!私は、好き。
また行きたいな。


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