2017年4月 5日 (水)

Favorite place : 宮島 Miyajima

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                                                              Aug.10.2016
宮島の島端。水平線が向こう側にも見え、瀬戸内海の島影のグラデーションの重なり合う景色がいい。

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                                                              Aug.18.2015

写真は、夏休みに写したものですが、春休み帰省の折、宮島へ行ってきました。必ず、帰省中に一度は訪れ、何かしら発見がある島。奥深さにわくわくしながら、歩き疲れてへとへとになりながら帰ってくるのが常。

父は、この島の形をよく、「女の神様の形をしているんだよ・・・。」と何度も私や孫に説明してくれたけれど、私は未だに見立てた方が分からない。子どもたちは、にやにや分かっているような感じだけど・・・・?

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                                                              Mar.27.2017

フェーリは、行きがJRフェリーだとこの写真のように鳥居と社殿が浮かぶように立っているのを海上から見れるよう運航してくれる。この背後の弥山をふまえた上での厳島神社、山の青緑と朱の社殿、そして海の青。これらが世界遺産の地域に含まれています。平安時代の平清盛も厳島神社に参拝する時、この景色を船から見たのかと思うと不思議な気持ちになります。また戦国時代には、この海にいっぱい船が集まって、戦もあった。そして、2016年、アメリカのオバマ大統領の平和公園訪問の際、米軍岩国基地と広島の昔の西空港との間を移動する際、この上空をヘリコプターとオスプレイ数機が横切っていいたそうです。母曰く、「帰りも通っていったよ。」そんな新たな歴史をしっかり見続けながら、この島は今も存在し、大事に守られてきたことに驚きを感じます。

船を下りて、海岸沿いに遊歩道があり、厳島神社に向かって人の流れは、右になりますが、ここであえて江戸時代に埋め立てられて作られた「町屋通り」に迷い込むのが最近のマイブーム。左に行くと、海水浴の出来る包みが浦に行くバスあり。いろいろ散策しながら、楽しめる所が宮島の魅力。

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地元の人が使う道であり、「ふと人影?」と思いきや、鹿さんでした。以前NHKのテレビ番組で、宮島の鹿さんたちが、湾を渡るところを取材していました。野生のまま、たくましく生きています。

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                                                             Aug.18.2015

夏に山を歩いていると、出会うこともあります。この鹿は、森の中で涼んでいました。今回も神社の裏手で小さなバンビちゃんに出会いましたが、何も知らずにビニール袋をもぐもぐしていたので、娘が口から離そうと必死でバンビちゃんと引っ張り合いっこしました。娘の勝ち。「だめだよ。」って言ってお別れしました。

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町屋通りに入ると、昭和の私の子どもの頃見たような、魚屋さんやお菓子の紙箱を作っているお店、おばちゃんがやっているような個人商店が点在しています。ここ2~3年で古い民家を改築し、お店にしたりした所もあり、町並みが整ってきています。また、路地を入ると、宮島の杓文字やろくろ細工のお盆「を作っている作業所もあり、秘かな島のLive spot。5~6年前からでしょうか、帰る度にフランス等ヨーロッパからの観光客が多くなっているなと感じるようになってきて、もうここ最近は、いつでも人がいっぱいになってきています。

30年前、私が島を訪れた時、島の高齢化が心配され、日本三景として素晴らしい自然や文化は知られていたけれど、観光地として低迷していた時期もあり、夕闇の路地を歩いて、心配になったことを覚えています。

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その頃より、宮島に景観に関する条例があることは、亡き父から聞いていました。屋根の色は周囲と調和の取れる無彩色などにすることや島内に新しく建物を建てる時は高さの制限があること。自然保護の観点からは、原生林の森を維持していくために、倒木も運び出さず、自然に朽ちさせていく。サルが以前弥山の山頂にはいましたが、観光目当てに外から連れてきたので、サルを捕獲して生体サイクルを元に帰していったこと等。

そんな昭和から平成にかけての努力もあり、世界遺産に認定されたのだと思いました。今年は世界遺産認定20周年だそうです。現代の便利さや利潤追求からすれば、取り残され島のようにも思えた時期もあったけれど、そういった今の人間のためだけのメリットではなく、歴史を重ね守られてきた島の自然や文化の良さを第一に大切にした考えは、世界に人たちにもしっかりと伝わる価値を備えていたものだったのだと改めて思っています。

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Tsutsumigaura                                                  Aug.18.2015

夏に海水浴をする包みが浦に連れていってくれるマイクロバスには、フランスからの家族と同乗することが多く、彼らは、リッラクスしながら夏の日差しの中、島の緑陰や海の青さをぼーっと眺めて楽しんでいます。何かのフランス語の観光ガイドに載っているのだと思うのだけれど、本当に"Très bien"っておすすめしてくれているから、また皆さん来られているのでしょう。

島がもし大きな看板で営業しているお店が並ぶ観光地であったら、ブブ~!次にはつながらない。


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2017年3月31日 (金)

Favorite place:Hiroshima ANDERSEN

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春休み、息子と娘と一緒に広島に帰省してきました。いつも必ず、本通りにあるアンデルセンに行って、好きなものをたらふくいただくのが、我が家の恒例。この日も昨年から本店建物が老朽化のために改築中となっているので、あきらめようかと思っていましたが、息子が「やっぱり、アンデルセンのBLTサンドが食べたいな。」となつかしがるので仮店舗に行ってみました。

ビルの1,2階部分に仮店舗は入っていて、1階はパンとフラワー、2階はレストランが移転していました。外壁はスモーキー ブルーに塗られ、マーガレットやエニシダの鉢物と合わせてアンデルセンらしい趣味の良い外観となっていました。本店の入り口に飾られていた人魚姫のレリーフも移設されていました。

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食事後、本店に行ってみました。北東角の入り口には、1925年に旧三井銀行広島支店として建設され、1945年原爆で被災したこと等がわかるよう表示板があります。1967年よりアンデルセンとして使われるようになったそうです。

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今でも、2階部分は、建設当時の外観を見ることができます。柱頭にアカンサスの飾りがあり、洋風建築として立派な銀行であったことがわかります。外壁には花崗岩が使わているそうです。


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現在は、入ることができませんが、これは2012年に撮っていた写真です。この内部の吹き抜け空間にある天窓を見ると、子どもの頃にアンデルセンに行った時のことを思い出しました。

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私が初めてピザを食べたのが、このアンデルセン。その当時から「ここは、パンの焼けるいい匂いのする素敵なお店!」とわくわくして連れて行ってもらったものです。

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店内2階からアーチ型の窓を見ながら食事。何気なく広島の人たちは、このお店で食事したり、買い物をしていたけれど、空間として、現代の建物では簡単には出来ない意匠を多く含んでいる空間に私たちはいたのでした。

原爆で傷みながらもそれを修復し、大事に使い、戦後の広島に北欧の食文化や生活文化を紹介し、明るく前向きに生活することを提案してきた広島アンデルセン。

2020年まで、ゆっくり考え、じっくり改築してまた再開していってください。しばらく「アンデルセン本店ロス」な気分ですが、家族と過ごした思い出を懐かしみながら待ちたいと思います。

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