2017年11月20日 (月)

About An Artist : Ryuichi Sakamoto :CODA

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昨日、有楽町の映画館に坂本龍一さんのドキュメンタリーを見に行った。
先週ニュースでこの映画のことを知り、どこで上映しているか、調べると、東京でも2館のみの上映で、見逃してはなかなか見られないかもしれないと思い、行ってきた。昨年は、娘が"Revenant"の試写会に抽選であたり、実は初めて坂本さんのピアノ演奏を聞くことが出来るという幸運に恵まれた。治療のため、お休みされて以来、久しぶりの映画のため作曲された作品で、ストーリーも厳しいが音楽も絶望の淵に吸い込まれそうな大変厳しい音楽であった。今回の映画でも語られていたが、やはりご本人も厳しい状況での仕事だったようだ。以前の記事はこちら

今まで、紹介されてきた活動や演奏の足跡を追ってきたTV映像なども使われ、新たな映像、もちろん音楽とともに、ご本人の回想インタヴューとともに綴られていた。

タイトルのCODAって音楽の記号。to Vide_2「コーダへ」という部分から小節の左上のVide_2Codaへ飛び、そして、曲は、終結部に入り、終わりを迎える。それまで、さんざん繰り返し記号で初めへ戻ったり、もう一度印象的な山場を演奏したりした挙句、CODAが出てくると、いよいよ終わりに近づくよ、となる印だ。Vide_2は、イタリア語で゛Vide"「見よ」という意味だそうで、それまでは、無視して演奏するが、最後はしっかり見て終結部へ向かうように楽譜の中でも目立つ形にしているらしい。

映画で時代を追いながら、見ているとどうしても自分のことも思い出された。YMOとの出会いは『ライディーン』だったが、大学時代、先輩が、バンドを学園祭に向けて、結成するという。なんでもYMOの曲をするとか、なんとか・・・。それにつられて、入り、キーボード担当で楽譜もコピー譜をもらったが、家には、アップライトのピアノしかなく、キーボードなどない。そこで、高校時代の友人のKurzweilのキーボードを借りにいった。映画の中でシーケンサーを使う場面が出てきたが、結局、説明書もなく借りたので、シーケンサーも上手く使いこなせなかった。みんなもタイトなリズムキープは出来ずにYMOのコピーは、崩壊してしまった・・・ことなど、恥ずかしいことを映画の後に思い出した。

まねしたくなるほど、私は「YMOはかっこいい!」と思っていた。

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Kamaishi port in Iwate prefecture            Aug.11.2011

震災で水に使ったピアノを坂本さんが弾くシーン。

2011年3月11日。東日本大震災の後、震災のニュース映像がテレビに映された時、倒れて、泥にまみれたピアノを見た。あのピアノを弾いていた人の普通の暮らしが津波に奪われた。突然、多くの人が津波にのまれたことを思うと、心残りであったろうと思わずにはいられなかった。

その後、8月に東北出身のGeographerであった父がこの震災の状況を私や孫たちに見せたいと被災地に連れていってくれた。それは、TVでは表現できない津波の凄まじさを私たちに伝えるものだった。

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震災後、皆、出来ることは何か考えたと思う。また、人生の終わりの日は突然訪れることも自覚したと思う。その後、父も闘病の末、他界した。極寒の地から灼熱の地まで調査に出かけた父は、今までの仕事をすべて、整理し、記録を残してくれた。まだ、全部は読むことが出来ないが、書いたものから父の考え方を知ることが出来る。1,2年のうち一晩ぐらい、笑顔の父が夢に現れ、大事なことを伝えに来てくれる。本当のことだ。

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今年4月に出たアルバム『async』にまつわるシーン。

一緒に映画に行ったパパさんは、先日、娘に「一番好きな映画は何?」と聞かれて『惑星ソラリス!』と答えたばかりだったそうで、映画の後、「すごーい。坂本さんと趣味が同じだ!」と喜んでいた。パパさんは20歳ぐらいの時に見たそうだ。そういえば、パパの撮る写真に映像が似ているような気もした。

私は、『惑星ソラリス』〈1972年 タルコフスキー)については知らなかったが、そこで、BGMにBachの゛ Ich ruf zu Dir, Herr Jesu Christ (BWV 639)"を挿入している場面を今回の映画で見た。

鳥の声など主人公のいる草むらの周辺から聞こえてくる音に耳を澄ましていると、バッハのオルガンのコラールが流れてきた。自然界の音と音楽、そして映像があっていた。不思議な感じだった。タルコフスキーがどうやって、このアイディアを思いついたのかは、わからないが、子どもの頃、Sunday schoolに行っていた私は、礼拝の初めてと終わりに演奏されるバッハなどの長めの曲をじっと聞いているのが、実はつらかった。しかし、目をつむりながら、頭の中にお話を想像するようにして聞くようにするとなんとかじっと聴けるようになった。もしかしたら、タルコフスキーも子どもの頃、こんな空想体験があったのかもしれないと思った。

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『async』の中の坂本さんの曲「solari 」は、『惑星ソラリス』のバッハのコラール(ルター派の讃美歌)に代わるものとしてとして作った、と言われていた。何か、聴いていると、私は、子どもの頃が呼び覚まされるようだった。夕焼けの中母の元に帰るようなノスタルジックな気持ちになる。それから、子どもの頃聞いた、オルガンのフガフガしたようなシンセサイザーの音色も過去の記憶を呼び覚ます。

『async』には、いろいろな音が存在している。その何かわからない音に聞き耳を立てる。聴覚は、危険を察知するために視覚より早く反射行動を起こすという。この何か得体の知れない音に注意しながら、これは何かと状況を判断しようとしている。

また、以前に知ったことなのだが、小鳥のさえずりとフルートを聴いた時と、脳は、どちらが活性化しているかというとことを調べると、小鳥のさえずりの時なのだそうだ。

こう考えると、今、音楽として限定的に使われている音は楽器や人間が可動できるかという範囲で作られたもので、その中で、喜怒哀楽を表現してヒットしたとか、上手いとか話題にしているものだ。

実は、どんな演奏家も自然の音には勝てない反応を人間の脳は示しているわけで、多くの音楽を演奏し、音を作り、作曲してきた坂本さんはそのことに気づき、何年か前より、自然界の音や町の音などを録音している。やみくもではなく、今の自分の心の風景に合う音を聴きたい、そしてそれを使いたいと探している。それは、新しい音というわけでなく、人の心に過去の記憶を掘り起こす音もある。

ラスト シーン。バッハの平均律クラヴィーア曲集 第1巻「プレリュード1ハ長調」(Das Wohltemperiertes Klavier 1 "Preludium 1 C dur" BWV846 )を一人で弾いていたシーン。

この曲を求めているんだと思うと、最後、涙が噴き出した。

自分も何か嫌なことがあってもこの曲を弾くと、脳幹に響くようで、心が安定する曲だからだ。自分自身に聴かせる曲として位置付けている。癒しの力を持つ音楽は確かに存在する。

音の持つ力を見つけ、また新しい音楽に挑戦している坂本さん。

Vide_2Codaに入ったとしても、poco a pocorit.や日没を表すというPoint_dorguesvg_2を譜面につけVide_2をじっくり感動的に演奏していってほしいと思っています。

 


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2016年7月10日 (日)

The Cinema : "DARE TO BE WILD"

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昨日は、邦題『フラワーショウ』を観に行きました。原題は、"DARE TO BE WILD"。イギリス映画と思っていましたが、アメリカ映画。イギリスのチェルシー フラワー ショウに2002年 アイルランドから出品したMary Reynoldの実話をベースにした映画。
原題の意味は、あえて自然にという意味でしょうか。園芸という世界の中で植物が物のように配されていたショウ ガーデンに彼女は、違和感を覚え、本当に自分が自然から受けた癒しの美を自分の庭作りにいかしていくという信念でショウガーデンに臨む姿を描いていました。

自分も無理を承知で2006年、日本で最大の国際バラとガーデニング ショウに出品したので、映画を見ながら、苦労したことを思い出しました。一次審査を通過したからには、出品したいけれど、一人ではできないのが庭作り。限られた時間で自然にそこに植物が育つようにセッティングするのは、大変なこと。彼女の庭のサンザシが審査の日に咲いたように、私の持っていったバラもきれいに会期中咲いてくれたことなど、自分の経験とほぼ一緒で、時々、涙が出そうになりながら、観ました。

美術の作品なら、一人で格闘して出品できるけれど、Gardenは違っていました。パパや友人となってくれた造園会社の方がいなければ、絶対出来なかった。それを分からずに飛び込んだ自分の勇気も・・・、今では信じられないけれど。その当時、人としてもう一仕事したいという気持ちが強かったように思います。ArtsTeacherの職を辞して家庭に入りましたが、子育てが少し楽になったころから、植物の世界は魅力的で、どうにかその力を使って、作品を作りたくなり、出品しました。

無理をして乗り切ったことで、自分が出来ることに以前よりも自身が持てるようになったことは確かでした。

どんなことでも信じる道で一生懸命やってみることは、大事なことで、それは、若い人だけのことじゃあないと思いました。

今は、再び、Arts teacherに戻っています。自分のまわりの植物の世話や庭作りを続けていて、もうショウには出ないけれど、あの時の経験は、今の自分の心の中の糧になっています。


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2015年10月13日 (火)

Le Cinema : ヴェルサイユの宮廷庭師

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昨日、娘と映画に行きました。英語のタイトルは "A Little Chaos(小さな混沌)"邦題『ヴェルサイユの宮廷庭師』。娘が小学生の時に世界遺産について調べ、その時、「いつか一緒に行こうね。」と約束しましたが、まだまだ、先でしょう。しかし、映画なら行けるので、公開2日目、早速行ってきました。その時の記事はこちら

ヴェルサイユの庭園の中に『小さな森の舞踏の間』という実在する場所があります。そこを架空の女性の造園家 サビーヌ・ド・バラがル・ノートルの監修の元、その感性をいかして作った、という設定となっていました。ル・ノートルの作った秩序 Order の中に少しの混沌 Chaos を持った部分を女性造園家がもたらしたということで "A Little Chaos" というタイトルになっています。

サビーヌ・ド・バラを演じるケイト・ウィンスレットは、たくましく美しかった。『タイタニック』の時も感じましたが、彼女の横顔は、ギリシャ彫刻のように普遍的な女性美を備えており、今回もそれを感じながら見ていました。

映画の中の印象に残ったフレーズは、正確ではないですが、次のようなフレーズ。

『エデンの園を追放されてから、人間は庭を作ってきたけれど、いまだエデンの園を越える庭を人間は作れないでいる。』

そうか。なるほど、人が庭を作る動機をそこに持ってくるのか・・・。私も平安な気持ちにさせる庭が好きだな・・・・。

『それぞれのバラは、自身が知らないうちに咲き、やがて枯れていく。バラの望むものは、太陽と…(あとは、忘れ)です。』

自らを太陽神アポロンの重ね合わせていたルイ14世に国王として人々の前に君臨する役割を、自然界における太陽の役割にも重ね合わせたサヴィーヌの話がひどく心に響いたシーン。

ルイ14世がどうしてヴェルサイユに宮殿と広大な庭を作らせていったのかを『権力の誇示』だけではない別の面、思想的な面もいろいろあったのではというお話になっておりました。

制作は、イギリスのBBC films。フランス語だろうと勝手に思っていましたが、英語で始まったので最初は変な気分でした。
音楽は、その場面ごとにじわじわっと効果的に挿入され、涙をそそるシーンにもピアノが響いていました。
衣装の色、生地に質感、形。これも素晴らしかった。

ということで、良かったです。ファンタジー映画から少し卒業しつつある娘も同感だそうです。

おみやげにヴェルサイユの庭園の庭師であるアラン・バラトン氏 の『庭師が語るヴェルサイユ』Alain Baraton
" Le Jardiner de Versailles"という本を買ってきました。

1990年、1999年と暴風雨で庭園の樹木が相当根こそぎ倒れるということもあったということが、冒頭に書かれていました。樹齢300年、植えて200年の木が倒れたよう。

元の土地が蚊の出るような湿地の森であったヴェルサイユの地質に外来のものも多い樹木が根をどれだけ張らせることができているのかな、とか近頃の気候の変化による被害に対して日本と同じく注意が必要になってきているのだな、とか読みながら思っています。

秩序を維持するための庭師の苦労や歴史的なことなどにも触れているようで、興味を持って読み進められそうです。

ヴェルサイユの景色を想像しながらバラトン氏の本も読んで、いつか、ゆっくりヴェルサイユを訪れたいと思います。ルイ14世おすすめコースをたどるのも面白そう。

『小さな森の舞踏の間』も映画を思い出しながら見るといいだろうな~。

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