2017年8月25日 (金)

Visiting a place :Japanese Olive

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Shodoshima Aug.1.2018

 小豆島に渡り、バスに乗ると、島のあちらこちらにオリーブが育てられていました。青みがかった葉色は、すぐにオリーブと分かります。島の南側中央部にあるオリーブ園に行ってみました。

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オリーブの実がたわわになっていた!!関東では、こんなに地植えで実がなっているのを見たことがなかったので、「すごい!」と思いました。1907年にオリーブの試験栽培を各地で行った結果、小豆島のオリーブだけが結実したそうです。。受粉後、日本では梅雨に入り、雨があたり、結実できないことになってしまうのですが、夏場の雨の少ない瀬戸内気候は、どうにか結実を邪魔しなかったというわけです。

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小豆島で育てられている品種は、ミッション、ルッカ、マンザネロ、ネバディロ・ブランコ。この時は、オリーブの株元にだけ潅水をしていました。そもそもなぜ、オリーブを日本で育てなければいけなかったのかということについては、「イワシの缶詰」に使うためだそうです。いわゆるアンチョビーの缶詰のことかな。


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作業している方にお話を聞きました。

雨が少ないといっても、当然、台風はやってくるので、収穫前に台風が来た時、実が傷ついたりしてしまうそう。傷がついたものは、オイルには加工できるが、塩漬けなどには、出来ないとのこと。

収穫は、手摘みで行うそうで、大変な作業だと思いました。

私は、2年ほど前から、オリーブの塩漬けを使ったモロッコ料理を作っていますが、それが出来るようになったのも、小豆島産の塩漬けグリーン オリーブが出回るようになったからでした。

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ここは、日本の地中海?と思うような景色を眺め、小豆島の人々が大事に栽培してきたオリーブや自然の美しさをじわっと味わわせてもらった一日でした。


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2017年8月23日 (水)

Visiting a place : Shodshima

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On the deck     Aug.1.2017          photo by cheer

 朝早く家を出て、小豆島に向かうフェリーにお昼前に乗り込んだ。新岡山港から小豆島の土庄港行きのフェリーで70分の小豆島に到着。息子が『小豆島は醤油の蔵が並んでいる所が良かったよ。』とすすめてくれていたので、まずは、『醤(ひしお)の里』と呼ばれる醤油や佃煮の会社が並ぶ地域へ。

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Wooden barrel to make Soy source  

島内南側沿岸部を通るバスに乗り、島の南東部に位置する創業1907年の「マルキン醤油記念館」へ。工場前にはかつて使っていた醤油色の杉の板で作った大型の樽が並んでいた。この一樽で1リットルの醤油5000本分が作れるそうだ。直径2m超え。
記念館では、昔使っていた樽や道具、麹室などや醤油作りの工程を説明した展示などがあった。

蒸した大豆や炒った小麦に麹菌をつけ「醤油麹」を作り、食塩水と混ぜた「もろみ」を樽の中で発酵、熟成させていくことで醤油が出来る。

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Marukin shoyu factory

記念館の建物も工場の蔵の建物群も昔ながらの木造。国の登録有形文化財となっている。焼杉張りの建物の一群で静かに敷地内に集まっていた。写真突き当りは、海。出来上がった醤油は船で運ばれていったことを思った。

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いつ頃建てられたのだろう。南北に長い建物で、天窓がはめてある。帰宅後、調べてみると100年以上経っている95mもある天然醤油醸造蔵であった。この中に先ほどの木樽がいくつも置いたあり、静かに醤油になろうと発酵しているらしい。ひっそりとしていて、」何してるんだろうね?」なんて私は言っていた。
木樽も建物の内部や梁や土壁などにも木の繊維や無数の孔の中にさまざまな酵母菌や乳酸菌が棲みついており、その蔵独特の風味が生まれるそうだ。温度や湿度は人工的に管理されていない自然の風や気温、湿度の中で蔵の中のひっそりうまみ成分たっぷりの醤油が作られていたのです。

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先ほどの蔵の北側には島内で最も高度のある山々に続く。山々の岩肌を見ると、瀬戸内海の多くを覆う花崗岩が見えた。景色と醤油作りは関係のないことにも思えたが、家に帰ってあれこれ調べてみると、小豆島でどうして醤油作りが盛んに行われるようになったのかがわかってきた。

江戸時代、この花崗岩は、近畿へ建築材料として船で運び出された。大阪城の石垣にも使われた。

島では、帰りの船に大豆や小麦を積み、新しく伝わった醤油作りの技術と島で作られる塩を使って、江戸時代から醤油作りが始まったということだ。

実は、「丸大豆醤油」とか、「天然醸造樽仕込み」などの違いや値段の差などの違いがスーパーの棚に並んでいるときに分かっていなかった。

今回、日本の醤油作りにおいても初期に生産を始めた小豆島へ行って、関心が深まった。美味しい醤油が欲しくなった。

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2017年4月 5日 (水)

Favorite place : 宮島 Miyajima

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                                                              Aug.10.2016
宮島の島端。水平線が向こう側にも見え、瀬戸内海の島影のグラデーションの重なり合う景色がいい。

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                                                              Aug.18.2015

写真は、夏休みに写したものですが、春休み帰省の折、宮島へ行ってきました。必ず、帰省中に一度は訪れ、何かしら発見がある島。奥深さにわくわくしながら、歩き疲れてへとへとになりながら帰ってくるのが常。

父は、この島の形をよく、「女の神様の形をしているんだよ・・・。」と何度も私や孫に説明してくれたけれど、私は未だに見立てた方が分からない。子どもたちは、にやにや分かっているような感じだけど・・・・?

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                                                              Mar.27.2017

フェーリは、行きがJRフェリーだとこの写真のように鳥居と社殿が浮かぶように立っているのを海上から見れるよう運航してくれる。この背後の弥山をふまえた上での厳島神社、山の青緑と朱の社殿、そして海の青。これらが世界遺産の地域に含まれています。平安時代の平清盛も厳島神社に参拝する時、この景色を船から見たのかと思うと不思議な気持ちになります。また戦国時代には、この海にいっぱい船が集まって、戦もあった。そして、2016年、アメリカのオバマ大統領の平和公園訪問の際、米軍岩国基地と広島の昔の西空港との間を移動する際、この上空をヘリコプターとオスプレイ数機が横切っていいたそうです。母曰く、「帰りも通っていったよ。」そんな新たな歴史をしっかり見続けながら、この島は今も存在し、大事に守られてきたことに驚きを感じます。

船を下りて、海岸沿いに遊歩道があり、厳島神社に向かって人の流れは、右になりますが、ここであえて江戸時代に埋め立てられて作られた「町屋通り」に迷い込むのが最近のマイブーム。左に行くと、海水浴の出来る包みが浦に行くバスあり。いろいろ散策しながら、楽しめる所が宮島の魅力。

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地元の人が使う道であり、「ふと人影?」と思いきや、鹿さんでした。以前NHKのテレビ番組で、宮島の鹿さんたちが、湾を渡るところを取材していました。野生のまま、たくましく生きています。

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                                                             Aug.18.2015

夏に山を歩いていると、出会うこともあります。この鹿は、森の中で涼んでいました。今回も神社の裏手で小さなバンビちゃんに出会いましたが、何も知らずにビニール袋をもぐもぐしていたので、娘が口から離そうと必死でバンビちゃんと引っ張り合いっこしました。娘の勝ち。「だめだよ。」って言ってお別れしました。

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町屋通りに入ると、昭和の私の子どもの頃見たような、魚屋さんやお菓子の紙箱を作っているお店、おばちゃんがやっているような個人商店が点在しています。ここ2~3年で古い民家を改築し、お店にしたりした所もあり、町並みが整ってきています。また、路地を入ると、宮島の杓文字やろくろ細工のお盆「を作っている作業所もあり、秘かな島のLive spot。5~6年前からでしょうか、帰る度にフランス等ヨーロッパからの観光客が多くなっているなと感じるようになってきて、もうここ最近は、いつでも人がいっぱいになってきています。

30年前、私が島を訪れた時、島の高齢化が心配され、日本三景として素晴らしい自然や文化は知られていたけれど、観光地として低迷していた時期もあり、夕闇の路地を歩いて、心配になったことを覚えています。

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その頃より、宮島に景観に関する条例があることは、亡き父から聞いていました。屋根の色は周囲と調和の取れる無彩色などにすることや島内に新しく建物を建てる時は高さの制限があること。自然保護の観点からは、原生林の森を維持していくために、倒木も運び出さず、自然に朽ちさせていく。サルが以前弥山の山頂にはいましたが、観光目当てに外から連れてきたので、サルを捕獲して生体サイクルを元に帰していったこと等。

そんな昭和から平成にかけての努力もあり、世界遺産に認定されたのだと思いました。今年は世界遺産認定20周年だそうです。現代の便利さや利潤追求からすれば、取り残され島のようにも思えた時期もあったけれど、そういった今の人間のためだけのメリットではなく、歴史を重ね守られてきた島の自然や文化の良さを第一に大切にした考えは、世界に人たちにもしっかりと伝わる価値を備えていたものだったのだと改めて思っています。

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Tsutsumigaura                                                  Aug.18.2015

夏に海水浴をする包みが浦に連れていってくれるマイクロバスには、フランスからの家族と同乗することが多く、彼らは、リッラクスしながら夏の日差しの中、島の緑陰や海の青さをぼーっと眺めて楽しんでいます。何かのフランス語の観光ガイドに載っているのだと思うのだけれど、本当に"Très bien"っておすすめしてくれているから、また皆さん来られているのでしょう。

島がもし大きな看板で営業しているお店が並ぶ観光地であったら、ブブ~!次にはつながらない。


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