2009年11月 3日 (火)

About An Artist : Motokoさん

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 高校の美術部で後輩だったMotokoさんの展覧会に娘と行ってきました。現在、イラストレーターとして、様々なお仕事をてがけていらっしゃいます。今回は、「おっちょこちゃこちゃん ケーキを届けに」という絵本の原画展で、その本に描かれているお菓子をお友達のケーキサークル主宰の方が再現されました。ギャラリー内のカフェでそれをいただける甘い誘惑付きの展覧会。

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絵本に描かれているお菓子が食べられるなんて、夢のような体験。白鳥のシュークリームは、昔、母が作ってくれたことを思い出すお菓子。ダコワースのあの楕円で表面がごつごつして、口に入れるとふわっと軽い感じを羊さんに見立てたもの。ハリネズミは、チョコレートケーキをダイス状に切って、もう一度チョコレートでまとめ、ちょっぴり岩塩を効かせた味にしたもの。

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ゆっくり、一つずついただいては、絵本の巻末にあるレシピを見ました。娘も最近、一人で簡単なお菓子を作れるようになってきたので、今日の展覧会は、とっても楽しかったと思います。

高校時代、同じ町に住んでいたので、一緒によく帰ったMotokoさん。父親の職業も同じだったせいか、家庭環境が似ていたようで、お互いのんびりたわいもないおしゃべりをしながら帰った仲。

美術の仲間は、お互い作品を通して、相手のことを理解しようと自然としています。彼女の高校時代の油絵も覚えているし、他の人の作品も私の記憶に残っています。私自身が忘れていた絵に関して、「先輩のあの絵が、本当にそこに枯葉があるようで・・・」と後々評されたこともありました。

だから、会話だけのお友達関係より、一歩踏み込んだ間柄に感じています。

昔より、彼女の持っているかわいい世界が表現できるようになってこられた感じます。また、それは、多くの人の「いいね。」という声から、彼女の世界がますます広がってきたのだと思います。

Motokoさんも絵本に出てくるお菓子を食べてみたいな~と子どもの頃、思ったことがあったのでしょう。

「願えば、夢は実現するんだな。」とおうちに帰ってから、ふと思いました。

私も人から見えない「夢」を持ち続けながら、「夢に終わらせない努力」を日々重ね、実現させていくような前向きパワーで暮らしていこうとまた、思いました。

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2009年5月30日 (土)

The Cinema : 夏時間の庭 : L'Heure d'été

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先日、久しぶりにパパと映画を見に行きました。十何年ぶりでしょうか。オルセー美術館が収蔵品を貸し出し撮影協力したということでも話題の映画。チラシの写真もきれいだったので、どんなお庭が出てくるのかな、なんて絵的なことに興味を持ち出かけましたが、ストーリーに引き込まれそれらは、すべて自然な背景。

映画の感想は、家族のことを描いた作品だったので、いろんなシーンが自分と重なる話だったな、と思いました。

音楽も気持ちをチェロの低音の響きや、ピアノの音色がたどるように表現しているところなど、涙がじわりじわりとにじみました。たぶん、サウンド トラック版があれば、また、涙が出てしまう。あらすじや画像など公式ホームページで見れるので、そちらを。

いろいろな視点からの感想は、あるけれど、特に美術の面でのことを。

オルセー美術館で展示されている自分の家にあった大叔父や母が好んで使っていた机やガラス器が展示品として置かれるようになり、それを観賞する人たちが斜め見しながら通り過ぎるのを見て、主人公たちが寂しく思うシーン。

このシーンは、印象的だった。改めて作品の一つひとつには、このようなエピソードがすべてについていることに気づかされた。

母親が使っていたガラスの花瓶も母の家で、庭の花を飾り、お気に入りの場所に置かれていたときの美しさを知っている家族にとって、主から離れたモノは、輝きを失ってしまったようにも思えるでしょう。

逆に同じ作家のガラスの花瓶を形見分けとして、いつも女主人のために花を生けていたお手伝いの女性が、価値も知らないまま、と大事そうに家に持ち帰るシーンもあった。

これも一つのモノにとっての新たな道。思い出とともにその美しさをわかってくれる人に使われるという幸せな道。

評価されたものが集まる美術館。だけど、その中の一つひとつすべてを直感的にも知的にも価値を見出し、本当にいいと思える人はどれだけいるのだろうか。

オルセーの場面は、美術館の側からもモノだけの陳列にすべてを語れないことをを示唆していて、興味深いシーンだった。

しかし、展示の中から、自分にとって美を発見する人もいるわけで、そのような機会になれば、展示品も新たな輝きを加えられることになる。

個人の手にある作品が公開され、あらたな評価を受けることで、それは、立派な「美術品」となっていく。

パパが「美術って何?」と聞いてきたけれど、「人間が美しいものを作ろうと格闘した歴史」と答えた。

その営みに敬意を払って、作品を見ていきたい。天窓により自然光あふれるオルセー!私は、好き。
また行きたいな。


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2009年1月29日 (木)

About An Artist : ジョン ヘンリー ダール :「生活と芸術 - アーツ&クラフツ展」 2

モリスの仕事を手伝った人に弟子の John Henry Dearle という人がいました。18歳でモリスの工房の見習いとなり、モリスが1884年より社会主義運動に力を傾けるようになってから、工房の監督を引き継ぎ、その後50年近くモリス商会の芸術監督を務めたそうです。モリスのスタイルを踏襲しながら、彼自身の才能も開花させた人だと思います。

この人のデザインした柄のサンダーソン社のカーテンをリビングルームにかけているので、ダールについてもう少し作品の実物を見てみたいと思っていました。オークの葉とドングリをデザインしたカーテンは、プリントの版数などは、モリスよりも少ない分、平面的かつ少し現代的。また、植物の描き方がモリスよりもふっくら、模様の動きが大胆な感じです。
展覧会でも名前が確認できたので、携わった作品をじっくり見ました。

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図版は『芸術新潮 特集 ウィリアム モリスの装飾人生  1997 6月号』 新潮社刊より

モリスとともに作ったタペストリーは、『森』という名前のタペストリー。真ん中にライオン、両脇にクジャク、ウサギ、キツネ、カラス。モリスの好きなアカンサスの葉が渦蒔きながら動物たちを囲んでいる。手前にはチューリップ、デージー、ゲウム?、ワスレナグサ、コーンフラワー、スイセンなどが咲いています。わからないものもあり、ヨーロッパに生息する野草の本など見たけれど、ん~特定できない。この植物のデザインがダール担当なのだそうです。

ライオンの顔が優しい。ふと、モリスの風貌を思い出し、「このライオンはモリス自身?」と思いました。子どものころ森を歩くのが好きだったモリス自身がそこに投影されているかのようでした。

言葉が書かれています。『荒れた森の野獣は、静かにたたずみ、動きも急ぎもせず。』

荒れた森というのは、その頃から特に開発が進んだ森のことかな。自然保護、文化財保護の活動も熱心に行ったモリスのメッセージのこもったタペストリー。

タペストリーに使う糸の染めもモリスは天然染料を研究して、染め出し、模様の一つひとつを糸を替えながら織ったのだそうです。微妙なグラデーションや、細かな表現もされ羊毛と絹を使ったもの。

ダールのデザインはやっぱり、ふっくらした形と軽やかなラインかな。他にも会場の作品の中で最も大きい『果樹園または四季のタペストリー』、『装飾刺繍パネル』も ダールのデザインでした。

参考文献『図説 ウィリアム モリス ヴィクトリア朝を越えた巨人』 ダーリング ブルース、 ダーリング 常田益代 著 河出書房新社刊

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2009年1月27日 (火)

About An Artist : モリスについて:「生活と芸術 - アーツ&クラフツ展」1 

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昨年より楽しみにしていた 「生活と芸術 -アーツ&クラフツ展」東京展 初日に行ってきました。一夜明けて、自分の家のカーテンを開けながら、会場入ってすぐのパネルに書かれた『役にたたないもの、美しいと思わないものを家においてはならない。』というウィリアム モリス(1834~1896)言葉が朝陽とともにきらっとよぎりました。

これは、ものがあふれている今の私たちの生活でもじわっと染み入る言葉です。家の中を落ち着いて片付けをすると、いらないものを溜め込んでいることにため息。最後に残るのは、『役に立つもの、美しいもの』です。そして、気になっていた片付けが終わると、心の中はすっきり。

今回の展覧会は、産業革命の末、そんなジャンクなものが大量に出回ったイギリスにおいて、「こんな質の悪いものばかり出回っていいのだろうか。こんなものに囲まれていては、人の心まですさんでしまう。(私的解釈)」と考え、生活の中で役に立ち、美しいものを作ろうと活動した人です。モリスは単なるクラフトマンではなく最終的には、生活を取り囲む環境や社会の仕組みまでも、あるべき美しい形にデザインしようとした人です。

1883年の講演の言葉 「芸術の目的」より

『芸術の真の様相とはどんなものか。率直に考えて見よう。まず、お願いしたいことは、芸術という言葉を広義に解釈していただきたい。絵画や彫刻、建築物といったいわゆる芸術作品に限定せず、生活に用いるさまざまな品の形や色、いやそればかりか村とか牧場の中での耕作地の配置、あらゆる町並みや道路の運営でさえも含めることを。つまり、生活をとりまくすべてのものに芸術という言葉を広げていただきたい。生活を取り囲む環境が、美しいか醜いか、私たちを高めるか卑しめるか、作り手を苦しめ重荷になっているか、それとも楽しませ心を癒しているかで判断されなくてはならない。このところ、私たちをとりまく環境はどうなっているのか。何千年にもわたる争いや無頓着や私欲の荒波をかいくぐり、なおも美しい状態で先祖が引き渡してくれたこの世界を、私たちはいじり回している。いざ子孫に譲りわたすだんになって、いったいどんな申し開きができるというのか。』


1884年の講演の言葉 「芸術と社会主義」より

『誰もが、する価値があり、それをすることが喜びであるような労働をすべきである、ということは正当で必要なことだ。』

参考文献:『図録 ウィリアム モリス ヴィクトリア朝を越えた巨人』 ダーリング ブルース、ダーリング常田益代 著 河出書房新社刊 ふくろうの本

モリスの警告したことは、現代にも響いてくる言葉です。紹介した本のタイトル 「ヴィクトリア朝を越えた巨人」は、このようなことからつけられたのでしょう。

私のやっていることは、モリスの千分の一ぐらいしかないが、私を取り囲む空間が少しでも美しくなれば、と思って手を動かしていることはモリスと似ていると思いました。人の心の通っていないモノや空間は、こちらまで、無感動で悲しくなります。例えば、見放された場所に花が咲くと、人の心も変わってきます。それは表面からは見えないようだけれど、その花を植えた人には、他の人の変化がわかってきます。私は、そんな出会いの喜びがうれしくて、活動しています。

モリスは、もっともっとそんな人の心を動かす仕事をして、それを生きがいにますます仕事をしたのでしょう。人の10倍は仕事をしたと言われています。

彼のめざしたユートピアは実現しなかったけれど、彼の作品に備わっている「美」は、今もなお、私たちの生活を心地よく変え、豊かな気持ちにさせてくれていることは事実であり、魔法のような技だと思います。


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