2021年4月 7日 (水)

Visiting a place : 日本民藝館

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日本民藝館                  Apr.6.2021

 日本民藝館が改修を終えたということを知り、早速出かけてきました。前日、銀座の無印良品で行われている『MINGEI 生活美のかたち』という展覧会(入場無料)を見せていただいた折、チラシがあり知った次第。

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Left : Tokyo Midtown 21_21 DESIGN SIGHT 2018.11-2019.2  

Right : Tokyo Atelier MUJI Ginza 2021.3-5.9 

 現在の日本民藝館の館長である深澤直人氏は、2018年にミッド タウンで行われた『民藝 Another Kind of Art』を日本民藝館の収蔵品を中心に企画されました。この時の展示は、陳列台に民藝の品が並べられているのですが、名札のようなものは、置いてありませんでした。そもそも、民藝の品々は、作者名はないのです。目録はありましたが、最初は、「えっ、どうして?」と違和感を感じました。しかし、だんだん慣れてきて、「一つひとつの形を楽しんで見ていけばいいんだ。」と思うようになりました。

確かに、子どもの時のように文字に頼らず、素朴に「何だろう?」という目でじっくり見ることが久しぶりに出来たような気がしました。

何か、ものを作る時のワクワクした気持ちや作っている時の集中した時間、出来た時の喜び、使う喜び、そういったものを一つひとつのものは感じさせてくれました。

また昔の人々の知恵や工夫と身の回りの自然の材料を上手く利用して作ったであろう品々を見ていくと、なんとひたむきに生活に役立つ品々を作ってきたことかとじわじわと心が洗われるほどに慈しみと感謝の気持ちがわいてきました。いい展覧会でした。

先日訪れた銀座の無印良品のアトリエ展示も深澤直人氏の企画キュレーションで、ミッドタウンの展示を思い出すものでした。

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さてさて、今回の改修が行われた大展示室。1926年の創建時に近い空間にしたそうです。

床が大谷石。微妙に薄緑を帯びた灰色の凝灰岩。壁には、葛布を張り替えたとのことです。

柳宗悦も座ったであろうウィンザー チェアー。国産の洋家具として作られた初期のものでしょうか。座面の材の杢の出方が、使える材を無駄なく使った感じで、今のきれいすぎる仕上がりを求める風潮に私の心に一石を投じてくれたよう。「これでいいんだ!」と言ってくれているようだった。

館内では、日本民藝館のことや柳宗悦の思想を紹介した映像も流すようになり、民藝についてわかりやすくなっていました。Img_9392

角皿       フランス  18世紀

 さてさて撮影可能だった場所のテーブルの上に「これ、何に使うのでしょう?」という四角い皿が。見ていくと・・・、「緑色になるガラス釉がかけられた焼き物だ。粘土だから自由に形が出来るので、四角く作り、取っ手がついている。あの取っ手を自分が持つとなると、こうだから、」と角度を想像すると、オーブンに出し入れしやすい角度のように思いました。左側には、焼き汁が流せるようになっている。私が思うには、この上に肉の塊をローレルなどの香草と一緒に置いて、オーブン(窯)に入れ、じっくりと焼いたのでは?というRoast pan。

ロースト ビーフかロースト ポークがこんがり焼けた塊をイメージしてしまいました。

柳宗悦は、名札に関しては、最小限度の情報のみを黒漆の板の上に朱書きで書いたものを置く、ということを世界中の博物館、美術館を巡って決定したそうです。

これは、人間が作った形は、そのもの自体がすでにその意味を語っているということだと思いました。

 昨日、一番印象に残ったものは、柳宗悦が原稿を書いていた時の机まわりのものが展示されていた中のべっ甲の眼鏡。

つやが美しく色も茶色の飴色というか本物のべっ甲の色。

形は丸形ですが、鼻づるが逆V字型になっていて、機能上なのか、おしゃれなのかわからないけれど、今の感覚からすると、ひねりがあるデザインで、「流石、柳宗悦の眼鏡だな。大事にしていたんだな。」と思って眺めました。

白内障を患った画家のモネの使った黄色いレンズの入った晩年の眼鏡を見た時もひどく感動しましたが、尊敬する人物の眼鏡に私はどうも、弱いらしい。

 

 

 

 

 

    

 

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2021年3月31日 (水)

Visiting a place : 厳島図屏風

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町屋通り                     Aug.2018

 宮島のことで数年前からあれ?っと思っていた書こうと思っています。

厳島神社を目指して歩く時、私は、フェリーを降りて、そのまま突き当り方向のトンネルを抜け、右折し、左折し町屋通りを歩きます。

昔ながらの通りで、風情があり人通りも少ないので好きなのです。杓子を作る作業所を覗いたり、新しく始めたお店を覗いたり。

ただし、仕入れの車が結構スピードを上げて走るので、気をつけながら。ぶらぶら歩き。スイスの村のように環境のために全車電気自動車、なんてことをしてれるとより、宮島の自然も喜ぶと思いながら・・・。

よく行くお茶屋さんで町屋作りの中庭の緑陰を見ながら、かき氷を食べたり、コーヒーをいただいたり、地元の情報を知ったりして楽しい。

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町屋通りの山側の脇道に前から気になっていた味のある看板があります。「魚之棚町」。地名とロケーションが合っていないのです。

この疑問の答えが数年かけて実感としてわかったことについて。

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町屋通りの山側の一件がなくなっている箇所にその意味がわかる場所がありました。上の家との高低差がこんなにあるのです。

あの高さには、山辺の小径と言われる、昔の厳島神社の参道が通っています。

テレビでも紹介され、だんだんわかってきたことなのですが、もともとこの場所は、海岸段丘であり、現在の車が止まっている高さは、海、砂浜であった、ということなのです。

それでは、この町屋通りが出来たのはいつ?というと「江戸時代初期に埋め立てられた。」ということです。そして、今のにぎわっている表参道は、江戸時代後期ということで、だんだんと自然の浜がなくなっていったようです。

広島の本屋で買った船附洋子さんの書いた「厳島新絵図』という本にこのことが書いてあり、引用させていただきます。

『厳島神社への旧参道といわれる山辺の小径。山の麓に近いのだが、不思議な事に魚の名前が付いた「魚の棚町」がある。町屋通りの宮島市民センターから入った所で、入り口は江戸期の前まで海水が押し寄せる海だった。櫓を漕ぎ、和船がやって来て、魚の荷の上げ降ろしを行っていたため魚の棚という名が付いた。魚の棚は石畳の道で魚市があったという。』               ザ メディアジョン刊

この記述で、看板の意味が「なるほど!」とわかることになりました。

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山辺の小径より眼下の町並みを見る         March.2018

しかし、高台より眼下の海だった場所をイメージしましたが、今一つ・・・と思っていましたら、

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『厳島図屏風』 17~18世紀 紙本金地着色 六曲一双 広島県立美術館蔵

2019年9月15日の日本経済新聞の日曜版にこの屏風絵が掲載されました。宮島の対岸が実家なので、四季折々の宮島の姿を眺めてきた私にとっては、昔の姿は興味深くみることが出来、しばし、隅からすみまで現在の様子との違いを確かめながら、見つめていました。

すると、気になっていた「魚之棚」あたりの様子がしっかり、描かれていることに気付きました。

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画面中央左側 船が集まり、浜があり、簡単な柱が建てられ、山裾に軒を連ねた建物があり、人の通りが多い場所があります。

右側には、秀吉の建てさせた千畳閣が海岸ぎりぎりの崖の上、塔ノ岡に建っていることがわかります。位置関係からしても町屋通りの江戸期の姿がここには、リアルな姿で描かれていることがわかりました。

魚之棚の賑わいがやっと、伝わってきました。また埋め立てがこの絵が描かれた後、現在に至るまでどんどん行われたことがわかります。

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桜の頃                     March.2018

『厳島図屏風』は、各名所の俯瞰した絵と、島の北面全体を屏風に入れるために、かなり横幅の距離は短く描いたことがわかります。それでも観光の名所は、充分伝わり、ドローンもない時代によく細かく描いたな、と思いました。

新聞の記事には、他にも宮島を描いた屏風『厳島・吉野花見図屏風』というものがあり、それはアメリカにあると紹介していましたが、図版はありませんでした。

でもよく考えれば、その屏風を私は、偶然、2018年4月箱根の岡田美術館で見たような気がします。目録もないので、確認できませんが。

その絵の様子は、あまり覚えていないのですが、当時の人々の生活の様子が描かれてあったと思いますが、山頂付近に鹿と猿が描かれていて、その当時から猿もいたことを知り、絵の前で笑ったのを覚えています。

現在では、宮島の猿は全部捕獲され、いなくなっていますが、どうも江戸前から二ホンサルも生息していたようなのです。最後に私が猿に出会ったのは、2012年の夏、包が浦の奥の浜まで車で向かう途中、道に出てきていた猿にあったのが最後でした。猿も指折り数えると400年以上、宮島に住んでいたというわけなのです。

こうして考えると絵画は、歴史を今に伝える情報として、わかりやすく文字では伝えきれていないことを伝えてくれています。

昔の文が読めれば、いいのですが、なかなか理解するのは私の能力不足でかないません。

しかしながら、絵という視覚情報なら、自分なりに知らなかったことを発見しやすいので、最近、お寺や神社などに伝わるその地域の昔の絵を見て、昔の地形をイメージするのがおもしろいと感じています。

 

 

 

 

 

 

 

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2021年1月 6日 (水)

About Pottery : 萩焼 茶碗

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元旦の朝、初日の出の見せる橋のところまで速足で行ってきました。橋の手前で、集まる人の横顔がオレンジ色に輝いていたので、その場所まで大急ぎで行くと、パーと日の出が輝いてみえました。

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雲ひとつない朝で、とてもきりっとした空気の中の日の出でした。

 

清々しい気持ちで家に帰り、初釜としてお抹茶を立てました。

といっても自己流ですが、実家からもってきた茶碗で、一人静かにいただきました。

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ふと、この茶碗、もしかしたら私が作ったもの???

という記憶の片隅に追いやられた大学時代の冬のつらかった陶芸4日間集中講義のことがよみがえってきました。

 

高台削りは、先生が陶土が少し固くなってから、やっておくからと言われ、最後まで自分で作ったものではありませんでした。

だから、焼きあがったものを手にした時に、ちょっと違和感があったような気がしたことを思い出しました。

焼くと、陶土は収縮し、作った時の大きさと違うものにもなります。

 

お嫁に持ってきていながら、なんだか母が家にあるお茶碗を勝手に持たせたとしか考えていなかったけれど・・・。

今見ると、いいじゃない・・・。

 

今、その窯のことを調べると、萩焼の窯元で修業した先生でいらっしゃった。

だから、萩で焼いたのではないけれど、萩焼き用の土で焼いた茶碗となる。

 焼き物の理想の形として、茶碗の写真集を見せてもらったことを覚えています。今だから、あれは「たぶん青井戸茶碗 銘 柴田 だったかな。」とか名前が浮かぶけれど、その頃の私には、美術史的な価値は今一つ分からず、「え~もとはご飯茶碗~だったの~!」ということと素朴な形と茶碗のヒビやしみが目に焼き付いています。

電動ろくろで井戸茶碗と筒形と作陶したが、理想の高さや径にしないといけないことに苦心しました。

隣の友人が初めてなのにやたらと上手に形が上がり、先生に褒められ、「いっそ弟子入りさせてもらったらいいのに」とジェラシーを感じながら、私は焼き物の才能はないと自覚した4日間でありました。

だから、出来上がったものもろくろく、見ていなかったのかもしれない。

 

自分の名前を裏に書いた記憶があったのだが、高台を削る時になくなったのだろう。

そう考えると、ますますこれは、私が作ったように思えてきました。

 

でも、もしかしたら、この推論はまったく違うかもしれない。

まっ、いずれにせよ、使っていこう。

 

 

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2020年9月 6日 (日)

Home Music : 阿部海太郎さんの音楽

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 夏休みに行った静岡のクレマチスの丘に併設の本屋さんで見つけたピアノの楽譜。

以前NHKの番組『世界で一番美しい瞬間』で流れていたきらきらした美しい曲の作曲家として阿部海太郎というお名前をインプットしていました。また、最近では『日曜美術館』や『京都人の秘かな愉しみ』の音楽も担当されており、その曲の味わいをじわじわと拝聴し、ファンになっていました。

娘も気になった曲だったようで、自分で『世界で一番・・・』の冒頭あたりは、数年前耳コピでピアノの前で弾いていました。

今回、楽譜を見つけ、もしかしたらあの曲入っているかも、と思ってお土産に買って帰りました。

帰って、すぐに一曲目からピアノで弾いてみました。すると2曲目。あの曲が、楽譜になっていました。

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Moments Musicaux

冒頭がきらきら木漏れ日が揺れるような感じ。そして子どもの頃の夏の思い出をなつかしく思うようなワルツの調べ。

せつない感じも加わり、夏がまた過ぎていく・・・。

そんな感じの曲。

短かった今年の夏、帰省も出来ずにいましたが、この曲を弾けるようになったことで、いつもの夏が脳裏によみがえってくるように感じ、満たされた気持ちになります。

この楽譜の中の他の曲も少しずつ紐ときながら、弾いています。

日曜美術館のテーマ曲”Reperages - for piano"や『京都人の密かな愉しみ』の”Miyako Sawafuji"もありました。

それから、新たにこの楽譜で知った今、一番のヒット曲は、”Le jardin chez M。Elzeard Bouffier".

昔、フランス プロバンズ出身のJean Giono ジャン・ジオノの原作の『木を植えた男』のアニメーションをHiroshima Animation Festivalの会場で観ました。カナダのフレデリック・バックの色鉛筆のアニメーションで、その柔らかなタッチと動き、色彩の美しさは、それまで見たことのないアニメーションでした。

ストーリーは、その頃も世界的に叫ばれていた環境問題をどうするかという中で、一人ひとりの自然を守ろうとする営みがその後の未来の世界を変えていくことを伝えた作品でした。

その話の中の主人公がエルゼアール・ブフィエ。三国廉太郎さんのナレーションで話が展開していきましたが、その名前を覚えていました。

黙々と禿山にどんぐりを埋め、長い時間をかけて、山の森を再生させていった主人公。

その曲は荘厳な響きの中、静かな感動を伝え、余韻を感じさせる曲、教会の音楽のようです。

 

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2020年8月 6日 (木)

Visiting a place : Miyajima Hotel

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Miyajima                                                         Aug.2014

数年前に広島の平和公園脇に広島おりづるタワーが改修を経てオープンしました。屋上からの眺めは素晴らしく、西の空に沈む夕日を眺めると西方浄土がそこにはある、と思える黄金の世界を見ることができます。

館内の展示で原爆ドーム(旧産業奨励館)を設計したチェコ出身のヤン・レッツェルさんのことが詳しく紹介されていました。その時、宮島のホテルを設計したことが紹介されており、写真もパネルで展示されていました。

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旧宮島ホテル  1917年  ヤン・レッツェル設計 Wikipediaより

宮島にこんな和洋折衷のホテルがあったことやどのあたりだったのか興味を持ちました。

戦後、進駐していたオーストラリア軍のものとなり、1952年 焼失してしまったということです。

母が、「今、国民宿舎があるところらしいよ。」と教えてくれましたが、なかなか、展示写真で見た場所と現在の場所が一致できないでいました。

しかし、今日、以前には写真がネット上には一枚もなかったのですが、アップされていたので、自分の写真とGoogle MapでVirtual Travel。

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Miyajima                                     Mar.2018

この写真の一番右側に映っている建物が国民宿舎です。

先ほどの写真の手前の石灯篭が現存しており、特に写真右端の大きな灯篭が位置関係を明確にしてくれました。

昔の写真では、海岸がすぐ近くですが、現在は、埋め立てされて浜までが遠くになっています。

あと、ホテルの登り口脇の樹木が現存。モミジかな~?と思いますが、現在、幹の部分は同じ形で枝葉は傷んでいるようですが、確認できました。

現在のフェリー乗り場は、昔よりもかなり東側に移動して整備されており、その当時は、このあたりに船を着けていたようです。

昔の宮島の観光ポスターにもこのホテルが描かれているのを見たことがあるので、宮島の人には当たり前の話だと思いますが。

やっと、確認できたので、うれしい。

 

 

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2020年8月 5日 (水)

Visiting a place : Memorial Cathedral for World Peace in Hiroshima

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Memorial Cathedral for World Peace              Aug.2014 

明日は、原爆の日。今年は、帰省するのは無理かな、と思いながら8月6日をむかえそうです。

平和公園から北東に位置する場所に戦後、1954年に建てられた幟町世界平和記念聖堂があります。地元では「幟町教会」と呼んでいると思います。

5歳の頃、この聖堂で知り合いの結婚式にフラワーガールとして参列した時、初めてここを訪れました。ドレスも作ってもらい、祭壇までのヴァージン・ロードに花をまきました。緊張して、ほっぺが真っ赤になり、祭壇前の階段ではドレスの裾を踏んで、足が前に上がらず、困った、というはずかしかった思い出のある場所です。

本番では、背後より荘厳なパイプ・オルガンやコーラスも聞こえ、振り返ってみたい、と思いながらいい子にしていました。

自分の記憶の中では、映画に出てくるようなヨーロッパの教会そのものであったような気がしていた場所。

大人になってから、戦後、建てられたということがわかりましたが、それ以来訪れていなかったので、娘と訪問させてもらいました。

2014年に訪れた時、今まで知らなかったことが、いくつか分かりました。この日、中に入ることが出来ましたが、撮影は出来ませんでしたので、聖堂内の写真はありません。

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戦後、焦土と化した広島の地に原爆犠牲者を弔い、世界平和を祈念する場として、カトリックの聖堂として建てられました。建設にあたり、広島に布教活動のため滞在し、自らも被爆し絶望の淵にいたドイツ人の神父 フーゴ・ラッサールがせめて一つ祈りの場を作りたいと思い、力を尽くして完成させました。建設費は、国内は元より世界中からの寄付によって建てられたとうことです。

設計は、村野藤吾氏です。鉄筋コンクリート造なのですが、外壁の表面は、石を欠いたようにごつごつしています。また、鐘楼が高く、窓は小さめ。壁の厚く開口部の小さいロマネスク建築と飛梁を使い壁を支え、高い塔を持つゴシック建築が合わさったような様式です。入口の部分は光をイメージした法輪や楕円を使った装飾で飾られ、仏教的な意匠も取り入られています。型を作って、コンクリートは流し込む訳ですから、手間がかかったことでしょう。

母が、以前、この工事に携わった人の娘さんが書いたという絵本(今は、ないのですが)、苦労しながらも広島に教会を作ることの意味や希望が書かれた本でした。

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久しぶりに聖堂の中へ入ると、大きな十字架があり、モザイクやステンド・グラスの光がとても色とりどりできれいでした。

ステンド・グラスは、一窓ずつが聖書の一場面を表したものでした。そして、これは、外国(メキシコ)で作られ、ここに取り付けられたことを知りました。

遠く離れた場所で、原爆を受けた広島をを憂い、この聖堂に合うものをと作ってくれたんだと思いました。

調べると、祭壇の斬新なモザイク、パイプオルガン、鐘、私が緊張した上った大理石の祭壇、一つひとつが世界の人々から広島のためにと贈られたものと知りました。

この日は聖堂の中に、いろいろな聖堂建設に至るまでの資料が展示されていました。

その中にまったく知らなかったこの聖堂の外観写真がありました。祭壇上部は、天蓋のようになっていて、緑青色のドーム屋根がかかっており、その中央部に鳳凰が載っているということ。

鳳凰は、西洋ではフェニックス。広島が再び、甦ることを願ってとりつけられていたのです。

これは、そうたやすく観に行くことはできないけれど、ヨーロッパの教会には、たぶん載っていない、鳳凰。

キリスト教的西洋建築をそのまま、作るのではなく、東洋的なものが随所に配置されていたことに今回気付きました。

これは、ラッサール神父が日本での布教に当たり、禅を知り、カトリックとの共通点を知り、仏教についても理解も深かったことがこの建築に表れているようです。

1990年にラッサール神父は亡くなり、遺灰が聖堂に収められているということです。

 

 

 

 

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2020年7月 6日 (月)

About An Artist: Vincent van Gogh : At Eternity’s gate

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昨年11月にゴッホの映画を観に行った。昔作られたカーク・ダグラスが演じたゴッホの映画を観たが、その後作られた映画は観ていない。映画や小説でその人の人生を追うよりは、その人が残したものから、こんな風に考え描いたのではと自分なりにゆっくり考えていくのが好きだ。

今回のゴッホ役は、ウィリアム・デフォー。なんだか、二人ともマーベルの映画に敵対する役で一緒に出ていたが、確かにゴッホに顔が似ている俳優さんだ。

しかし、今回のジュリアン・シュナーベル監督の本作は、制作中のフィルムなどの公開などから、描かれた場所に行き、撮影が進められたということを知っていたので、是非、大画面で見たいと思っていた。監督自身も絵を描いていた人。

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映画の冒頭の完全にゴッホの見ていたようにカメラが動くシーン。絵の具やイーゼルを運び、家に帰ってくるシーン。

学生時代にモチーフを探しにスケッチに出かけた頃を思い出した。

手を動かせば、絵は描ける。しかし、何を自分のものとして一枚のキャンバスに残せばいいのか、迷った。

あの頃はスケッチしながら、人の評価を気にして、絵を描くのが辛い頃だった。

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ゴッホが日記のようにいろいろなものを描いたのには、決定的な評価が得られなかったためにいつも迷っていたからだと思う。

でも、サン・レミの修道院に入ってからは、スケッチに行けないので、逆に心の中にある美しい色、形を自由に表現していった。

あの時代、心の動きともとれるSchrollうねりというタッチでキャンバスの上に表した画家は、ゴッホ以外にいただろうか。

ニューヨークのMOMAにある『星月夜』は、ゴッホの残した作品のベストだと思う。色の研究によって意図したであろう補色対比である濃紺と黄色の組み合わせは、純粋に美しい色面だ。モチーフの糸杉は画面の中の垂線となり、月や星の散らばる夜空につながるように描かれている。宇宙という果てしない世界がここには描かれている。

天にも届きそうな糸杉は、ゴッホの願い「いつかは、天国に召されたい」というキリスト教的な気持ちを隠喩しているように感じる。

現実の世界では、理解してもらえないゴッホはこの絵の中に、自分の心が解放され、受け入れてもらえる自由や安心感を感じる世界を作り出した。

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映画から南仏の景色や光、風など疑似体験させてもらえたし、油絵を描く気持ちも思い出させてくれた。

パンフレットに使われていたこの黄色。

ジョーンブリアン, カドミウム イエロー? 懐かしい色名が浮かんだ。

油絵の具は顔料の違いで微妙にチューブの中の絵の具は塗った時に今、多用されているアクリル絵の具とは違う濁りを含んだ色面を作る。

展色剤として揮発性の油もあるが、一般に乾きも遅く、前に描いた絵の具がぬるぬるして、塗り重ねるのに時間がかかる。

だから、一般的に油絵は時間をかけて制作されるものだ。

ゴッホの作品の中で何度も本物で見た作品は、その常識を覆している。

ゴッホ最後の地、オーベル・シュル・オワーズでの作品、ひろしま美術館蔵の『ドービニーの庭』は、チューブからそのまま置いたのでは、と思われるぐらいパレットで混ぜた痕跡のないような絵の具が粗いタッチで置かれ、セラドン・グリーンの空の美しい色が特に印象的な作品だ。

べたつく油絵の具を乾かしては塗るということはしないで、早く完成させたいからともとれるが、今となっては、自分に残された時間がないことを悟っていたのかなとも思うと悲しい。

帰省の際に、機会があれば、ひろしま美術館を訪れ、天窓のあるドーム型の常設展示室の作品を観に行くが、やはりこの絵は上部の色とタッチを確認するように観ている。

「確かにこの絵の前でゴッホは筆を動かしたのだ。」と感じる。

 

 

 

 

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2019年10月 7日 (月)

Visiting a place : 厳島神社 

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私が実家にいた1991年、台風19号がこのあたりを襲いました。記録を見ると、カテゴリー4のスーパータイフーン。最低925hPa、最大瞬間風速58.9m/s.

夜にかけてひどくなり実家の窓が割れて、板戸で吹き込む風を必死で押さえたことを思い出します。停電になっていたので風が収まった時、懐中電灯で家のまわりを照らしてみると、瓦が家のまわりにいっぱい割れて落ちていました。玄関に入れていた犬もより安全なお風呂場に自分で逃げていました。

ショックで眠れないまま、夜が明けるとものものしくヘリコプターが2~3機宮島上空を飛んでいました。そして、宮島を見ると、いつもと違う厳島神社の様子が対岸からもわかりました。どこかがおかしい!ご近所も瓦やスレートが飛ばされ、屋根にかなりの被害が出ていました。

がっかりしながら家に戻ると、ヘリコプターからの映像がNHKの朝の番組で流れていました。屋根が落ちてぺしゃんこになっていたり、灯篭が倒れているのが上空からの映像からもわかり、被害の大きさがかなりひどいことが徐々にわかってきました。

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特にひどかった能舞台              Aug.16.2009

背後の弥山から吹きおりてきた通称「弥山おろし」によって風が巻き上がり、能舞台の屋根を下から突き上げたことにより壊れてしまいました。

それからかなりの期間、神社はいたるところがブルーシートで覆われ、時間をかけて修復が行われました。国宝に指定されている建物が多く、なるべく元の材料を使って修復するという努力が数年にわたって行われました。

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あの時のことを思うと、現在何事もなかったように世界遺産として多くの海外からの観光客を迎えながら、海上に美しい姿を見せているのを見ると、多くの人の手があるからこそと思うのです。

今も時々いろいろな修繕工事が行われていますが、あの台風以来、そういった営みに気付くようになりました。建て方で工夫している所など本などで知ったことも一緒にまとめます。

廻廊の板は、「目透張り」と呼ばれるわずかな隙間があることは有名です。下から海水が上がってきた時、水の抵抗を逃すことや、砂などを落とす役割があります。本当に海水が廻廊の板の高さまでくるということはかなり危ないのですが、改めて、1991年の台風19号の映像を見ると、海水面がどんどん上がってきた時には、この隙間にちゃぷちゃぷ海水が上がってきていました。最終的には海水面は5m近くまであがり、柱の半分ぐらいまで、水につかり、板も流されました。

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これは、2014年に訪れた時のない内侍橋という本殿に渡る橋の修理を行っていた時の板の裏側の写真ですが、ご覧の通り板の裏には墨で番号が書いてありました。台風19号の後、流された厳島神社の部材は対岸の漁師さんが神社のものとすぐにわかり戻してくれたという話がありました。

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板の裏は、根太の上に置くために欠いてありました。

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床下の柱は、礎石の上においてあるだけ。フナクイムシやフジツボがつき、傷みが出てきます。

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ですからこのように根継をして、傷んだ部分を変える補修も随所で行われています。

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平舞台を支えているのは木材ではなく、八角柱に仕上げられた赤間石が使われています。毛利輝元が寄進したそうです。

そしてこの平舞台の板の間は、隙間なく張ってあります。それは波を沈める役割を持たせ、本殿への海水の侵入を防ぐ役割を持たせているそうです。右側の青銅製の灯篭も台風19号の際、風に煽られ、倒れました。

電気があるのが普通の現代においては、灯篭の存在は、オブジェのようにも思えますが、夜間に海上から見て灯りをともす灯篭が灯台の代わりであり、安全面で必ず必要なものだったのです。

台風19号の時も参道の石灯篭もたくさん倒れました。

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西廻廊を歩いていると太鼓橋があることに気付きます。

でもどうやって渡るのだろうといつも疑問に思っていました。かなりの助走をつけなければ、登れないのでは?などおてんばだった私はあれこれ行くたびに考えていました。

皇室からの勅使専用の橋として階段付きで作られたものが使われなくなり、現在は階段を外した状態になっているということです。な~んだ!そういうことだったんだ!とついこの間、知りました。

海辺に建てたが上のメンテナンスはいつも発生していますし、台風、高潮などの数年に一度の被害もあります。

大変な維持作業だと思いますが、いつ行っても気持ちが良く過ごせるこの懐の深い厳島神社を後世にも残していってほしいです。

まだまだ、そこにあるのにすごいいわれのあるものが宮島にはいっぱいあります。紐溶きながら知りたいと思っています。

 

参考文献:『宮島』 中道 勉著 足で知る宮島学発行所 

     『厳島新絵図』 船附洋子著 ザ・テレビジョン刊 

 

 

 

 

 

 

 

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Visiting a place :厳島神社 2019 summer

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 Under constraction                                          Aug.10.2019

 今年、宮島 厳島神社の大鳥居は修理中。いつもなら、フェリーで宮島に近づいた時、この角度からは、ぐっと丹塗りの大鳥居が海や山の青緑の色の中、しっかりアクセントとなってそびえ立っている姿を見せてくれる絶好のシャッターチャンスの位置ですが、今年は、この姿。

しかし、ここ数年訪れる度に、色が薄くなり幾分蜜柑色になってきており、もうそろそろお手入れが必要だな、と思っていました。

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廻廊から鳥居を望む               Aug.9.2019  

毎年、夏に訪れていますが、宮島には知らないことがいっぱい。今回も神社に西欧の技法が使われているのでは、という指摘が宮元健次氏の『日本庭園のみかた』(学芸出版社刊)に書かれていて驚いたのでそのことについて現地で確かめてみたいと思って、訪れました。

「柱間の間隔が鳥居に向かって狭くなっている。」という指摘だったのですが、本を持たずに訪れたので、観るべきポイントを間違えていました。

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東廻廊 East corrider 国宝 National tresure   Aug.9.2016 

廻廊の柱間をみていましたが、ここではありませんでした。ちなみに廻廊の柱間は2.4m、横幅は3.6m。廻廊が直角に曲がる部分の外側の柱間は確かに広くなっていましたが、鳥居方向に柱間は一定間隔で整然と並んでいました。

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今年は満潮に近い時でしたので回廊を歩いているとゆらゆらと海面に映った反射光が天井裏に反射していました。

夏に訪れる時は、満潮の時がおすすめ。

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拝殿     管弦祭          Aug.   .2017

家に帰ってから柱間は、廻廊ではなく、本社社殿であったことに気付き、過去の写真を見てみました。これは、本殿方向に柱の列が並んでいますが、奥から4.32m、3.94m、3.03mとなっているそうです。鳥居に向かって、柱間が狭くなっている。

何度も火災や戦に遭ったので、修理されて今に至っていますが、宮元氏によれば、1555年の厳島合戦の後、1571毛利元就が修復した時に、その頃日本にも宣教師から伝わったルネサンスの透視図法が柱間にも使われたのではないか、という説でした。

このように大鳥居の中心点を消失点とし、柱間を狭くしていくと鳥居までの距離感を実際より短く感じる手法は、教会建築にも用いられており、それが伝えられたからではないか、ということです。

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祓殿より大鳥居を望む              Aug.11.2007

今まで、厳島神社は平清盛が整備した平安時代の寝殿造りを伝える建物として見ていましたが、改修の際、それぞれの時代の建築様式も積み重なって、今の建物があることに改めて気づかされました。

 

 

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2017年12月13日 (水)

About An Artist : Ryuichi Sakamoto "IS YOUR TIME"

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 12月9日(土)から新宿 オペラシティーのNTT インターコミュニケーション センター(ICC)で始った坂本龍一氏と高谷史朗氏による『設置音楽 2』を初日、聴きに行った。この日は、午後3時からトークショウもあるということで、朝早く出かけ、整理券をもらって、お話も聞きました。

会場は、昔、ICCが始まったころに、Media Artsなるものは、なんぞやとよちよちの子どもを連れて行ったことがあった。開館20周年ということで、息子も今や23歳。ひと昔経ったともいえる。

今回、お話を聞く前に作品を鑑賞させてもらった。坂本氏の音楽がICCならではの体験型アートになっていた。

トークの中で、具体的な説明を聞けたので、印象に残ったことをトークからの説明も加えて書き残したいと思う。

設置された空間は、高校の文化祭のような、暗室へと続いていた。縦長の空間(トークで25mという話が出たが、縦の長さか、横の幅なのか分からないが)の両脇にスピーカー14台の上にディスプレーが積まれ、並んでいた。いろいろな音が流れ、倍音が響いたり、鳥の声が聞こえたり・・・・オルガンの音が聴こえ、教会に行ったような感じだ。今年、出されたアルバム『async』の中で聴いたような音が聴こえ、突き当りには、ライトに照らされたグランドピアノの鍵盤がこちらを向いていた。

いきなり、祭壇のようなピアノに近づくのには、ずかずかし過ぎる気持ちだったので、ちょうど真ん中あたりに立ち止まって、暗闇に自分をならしながら、音楽を耳を傾けた。

グラス ハープのような音が重なり、倍音が生まれる心地良さに身をゆだねながら、様々な音の流れに耳を傾ける。ディスプレーの光は、目をつむると、太陽の光のようにも感じるほどの強弱もあり、音と同期して光を放っていた。

会場の床に座り込み、腰を据えて聞くことにした。すると、時々、ピアノがポーンと音を奏でる。調子が明らかにくるっている。けれど、スピーカーからの音は、すべて録音されたものなので、ピアノ自身から発せられる音は唯一、「生きている音」として、耳に響いた。つかみどころのない音の波の中で、確実な音を響かせ、心の拠り所のような存在感を持っていた。

誰もいないので、坂本氏が事前に弾いたものを自動演奏させているのかな、と思っていたら、トークで聞くと、違った。

そのピアノの音は、最近1カ月の世界で起きた地震を感知したものを圧縮したもので、地震が起きると、ピアノの上に設置された金属製の棒が下降し、鍵盤を鳴らすという仕組みをYAMAHAに協力してもらって、作ったということだった。

つまり、人為的に音楽に合わせて、ピアノの音を鳴らすというのではなく、地震の発生のタイミングを音に変えているという設定となっていた。

ひとしきり,聴いてやっとピアノに近づいた。震災で水に使ったというピアノだった。中を見ると、泥がついたままで、ピアノ線がピンピン切れていた。鍵盤を鳴らす仕組みもじっと見ていた。自動演奏の装置なんかではなく、鍵盤の上に櫓のようなもの作り、そこに鍵盤をたたく棒がたくさんつけられていた。

再び、オルガンの音が聴こえたので、一巡したな、と思い、会場を出た。一時間ちょっとぐらいであった。

聴いている間、バリエーションがいろいろあったので、聞き続けたいと思って、座り続けていた。普段の美術館のインスタレーションならば、こんなに長くは滞在しないだろう。映像や音を使った作品も今、いろいろあるが、一時間もその場を離れない作品は、たぶん、今までになかった。

音の速さのこと等、技術的な工夫について、トークで語られていたが、素地がほとんどないので、???と思いながら、聞いていたが、あの空間に合ったセッティングを調整し、設置したということだった。

また、トークでも語られていたが、やはり、教会をイメージしたというような設定だそうだ。両脇のスピーカーの列は側廊の列柱のようにも設定したようだ。

ピアノに関しては、映画『CODA』でも語られていた言葉、「津波という自然現象にさらされ、人が作ったものの多くが、自然の姿に帰っていった。ピアノも自然が調律したのだ・・・。」という坂本氏のとらえ方が印象に残った。現実に被害の状況を目の当たりにして、このアンバランスにも思える状況を別の見方からとらえていた。

あのピアノを二度と鳴らないピアノではなく、もう一度、音を奏でるようにしたのだ。私たちがその音を聞くことは、震災のことを思い出し、亡くなった方への祈りの気持ちにつながっていく。


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