About Pottery : 萩焼 茶碗
元旦の朝、初日の出の見せる橋のところまで速足で行ってきました。橋の手前で、集まる人の横顔がオレンジ色に輝いていたので、その場所まで大急ぎで行くと、パーと日の出が輝いてみえました。
雲ひとつない朝で、とてもきりっとした空気の中の日の出でした。
清々しい気持ちで家に帰り、初釜としてお抹茶を立てました。
といっても自己流ですが、実家からもってきた茶碗で、一人静かにいただきました。
ふと、この茶碗、もしかしたら私が作ったもの???
という記憶の片隅に追いやられた大学時代の冬のつらかった陶芸4日間集中講義のことがよみがえってきました。
高台削りは、先生が陶土が少し固くなってから、やっておくからと言われ、最後まで自分で作ったものではありませんでした。
だから、焼きあがったものを手にした時に、ちょっと違和感があったような気がしたことを思い出しました。
焼くと、陶土は収縮し、作った時の大きさと違うものにもなります。
お嫁に持ってきていながら、なんだか母が家にあるお茶碗を勝手に持たせたとしか考えていなかったけれど・・・。
今見ると、いいじゃない・・・。
今、その窯のことを調べると、萩焼の窯元で修業した先生でいらっしゃった。
だから、萩で焼いたのではないけれど、萩焼き用の土で焼いた茶碗となる。
焼き物の理想の形として、茶碗の写真集を見せてもらったことを覚えています。今だから、あれは「たぶん青井戸茶碗 銘 柴田 だったかな。」とか名前が浮かぶけれど、その頃の私には、美術史的な価値は今一つ分からず、「え~もとはご飯茶碗~だったの~!」ということと素朴な形と茶碗のヒビやしみが目に焼き付いています。
電動ろくろで井戸茶碗と筒形と作陶したが、理想の高さや径にしないといけないことに苦心しました。
隣の友人が初めてなのにやたらと上手に形が上がり、先生に褒められ、「いっそ弟子入りさせてもらったらいいのに」とジェラシーを感じながら、私は焼き物の才能はないと自覚した4日間でありました。
だから、出来上がったものもろくろく、見ていなかったのかもしれない。
自分の名前を裏に書いた記憶があったのだが、高台を削る時になくなったのだろう。
そう考えると、ますますこれは、私が作ったように思えてきました。
でも、もしかしたら、この推論はまったく違うかもしれない。
まっ、いずれにせよ、使っていこう。
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