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2025年6月30日 (月)

About an Artist : イサム・ノグチ Isamu Noguchi

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The Isamu Noguchi Garden Museum,Takamatu    May.24,2025

 先月、香川県高松市牟礼にあるイサム・ノグチ庭園美術館に行きました。ずっと、いつか行ってみたいと思っていた場所でした。

いろいろな場所で作品や手がけた構造物を見ましたが、「ここを見ずして、イサム・ノグチを語るなかれ。」という思いがありました。

今まで出会った点在する作品をつなぐイサムの世界観をダイレクトに感じることが出来たと思っています。

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Peace bridge (1952),Hiroshima       Aug.2015

私は、父の仕事の関係で広島で生まれ育ちました。子どものころ平和公園に行ったり、その横にあった公会堂で演劇などを見に行くことが時々ありました。バスを降りて、イサムがデザインした平和大橋を渡りました。コンクリートに小石が混ざったざらざらとした手触りで陽に照らされてじんわり暖かくなった丸みのある欄干を触りながら歩くのが好きでした。観劇が終わった後は、暗い水面をのぞきながら、少し温もりの残った欄干を再び触って、帰りました。

橋の欄干の先は、反り上がっていて、先に半球のようなものがくっついている姿は、子どもの目から見ても斬新でした。橋は昭和27年に完成したものですが、私の記憶には、その頃見に行った大阪万博の太陽の塔と似ているな、関係があるのかなと思っていました。抽象という表現、原始の形、日本という土地を意識したコンクリートで大きく反り上がる曲線の橋が戦後まもなくここに作られたことは、その後の日本の構造物に大きな影響を与えたとことと思います。イサムは、抽象彫刻で有名なブランクーシの仕事を手伝ったこともあり、最先端の造形をここに見せてくれたのです。

「原爆でみな焼き尽くされたんよ。」と聞きながら、60~70年代、私が見ていた広島は、丹下健三氏による平和資料館や村野藤吾氏による世界平和大聖堂、基町の高層アパート群などが建てられ、モダンで斬新なデザインのものが新たに築かれていきました。復興のための特別な予算もかけられ、街はどんどん変貌していきました。

あまりの変容ぶりに投下後の写真を金属に焼き付けたプレートを付けた石碑が各所に設けられたことも覚えています。広島を離れた今となってそれは、夏休みに子どもたちを連れて帰った時、きれいな整備された街だけではなく、原爆によって広島の街がどんな被害にあったのかを物語ってくれ、歴史をたどるのに貴重なものだと改めて思っています。

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Peace bridge                 Aug.2015

*現在は、橋の幅が狭く、渋滞を起こしやすくなったため、写真の右側に歩行者用の橋が作られています。

私は大きくなるにつれて橋から見る川は、あの日多くの人が亡くなった川でもあることをイメージするようになり、ここからの眺めは鎮魂の念を抱かずにはいられなくなりました。また、この橋で、人が突然に「死ぬ」とは、どういうことなのだろうと考える場所にもなっていました。

最初、イサムが橋につけたタイトルは、"Ikiru (To live)"だったと広島市のホーム・ページで知りました。イサムのメッセージは「死」というものを意識して、「今をしっかり、生きていけ!」というものだったのです。

三宅一生さんも通学でこの橋を渡った思い出を語っており、世界に飛び出す勇気をもらったと語っていらっしゃいました。

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Kokeshi(1951)The Museum of Modern Art, Hayama  Oct.2021
                        

1994年に札幌テレビが制作放送した『静かなる熱狂 彫刻家イサム・ノグチと女優 李香蘭が愛した男の愛と苦悩の生涯・日米間で揺れる芸術家の魂 』を見て、イサムが平和公園の慰霊碑の設計を丹下健三氏に頼まれていたことを知りました。

その形を見てみたいと思って、時々、資料を探していたら、スケッチ、設計図、その時の話などが載っている本も出版され、かなり具体的なプランであったことがわかってきました。

2022年のNHKの番組『イサム・ノグチ 幻の原爆慰霊碑』では、随分、そのことを紹介していました。

当時の平和公園の整備の専門委員会でアメリカの落とした原爆で亡くなった人々の慰霊碑をアメリカ人の母を持つイサムの作品を採用することに反対の意見が出て土壇場でキャンセルになってしまったのです。

日本とアメリカの両親の元に生まれ、その間で苦労し、両国が戦った末、架け橋となるべく、いいえそれを超えて人間として鎮魂の気持ちを慰霊碑に込めて制作していこうとする気持ちを拒絶されてしまったのです。

戦後すぐの時代に芸術は言葉を超えて響くものであるという領分を持ち得ていなかったと思いましたし、今なら、覆す意見を言えるのか、ということも改めて考えています。

しかしイサムのビジョンは、もっと地球規模の世界を見ていたことは、確かなことでした。

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Moerenuma park, Sapporo                      Jan.2006

私は結婚して、主人の故郷である札幌に行くようになり、そこでイサムの作品に出会えました。大通公園の黒い花崗岩の『ブラック・スライド・マントラ』で子どもを遊ばせ、冬のモエレ沼公園の雪山を笑いながら登り、頂上から白い大地を眺め、そりで滑り下り、楽しみました。触れる彫刻、遊べる彫刻という要素がイサムの作ったものの最大の魅力だと思います。

それから、イサム・ノグチのAKARIのフロア・ランプも昔、使っていました。

現在、神奈川や横浜の美術館、東京の国立近代美術館にあるイサムの作品が置かれているので、時々挨拶するように近寄ってみています。そして、横浜にあるこどもの国にイサムがデザインした遊具があるということを今回初めて知りました。ここは、広大な公園で花見や子どもをポニーに乗せるために家族でよく行きましたが、イサムの遊具があったことは、知りませんでした。もしかしたら、子どもたちは遊んだかも!今度、孫が来た時に行ってみよう。

気が付けば、イサムの作品に見守られながら、私は人生を送ってきているようです。

そういった作品との出会いの中で、最も際立つこととなった作品が平和公園の中洲から川を渡って西に向かう西平和大橋です。

広島にいる時あまり、歩くことがなく、車で通ることが多かった橋でした。以前にもイサムのことを調べていた時、この橋の名前をイサムは多くの人が亡くなったこの土地で魂を送るという意味を込め最初 "Shinu(To die)"としていたことを知りました。仏教の西方浄土という言葉のイメージ、日の沈む方にあの世があるという考えとも重なり、広島もここを渡ると西に山並みがあり、だいだい色に染まる日没の景色とともに山の向こうに別世界があるように感じられる場所です。

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West peace bridge                                           May.2023                                                     

このことを知ってから、イサムのイメージした空間をもう一度見たいと思っていました。高速フェリーから見上げた時もありましたが、ある年の春先、路面電車を降りて、かつての路面電車が走っていたコースを歩いてみようと母と娘と一緒に平和公園に向かって東向きに歩いた日がありました。

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West Peace bridge                                    Mar.2023

徒歩で歩くのは、もう半世紀ぶりぐらいでした。欄干の柱頭は、曲がった角錐の先端を切った形。明らかに東の平和大橋とは、イメージを変え、欄干の桟も違いました。

その晩、「兄が亡くなった。」という知らせが翌日の早朝、入りました。

「あの時、兄が橋を渡りかけていて私たちと橋の上ですれ違い、別れを告げていったのかな。」と思い、受け入れがたい急な別れに対して、こう考えることで、少しでも心の整理をつけようとしてきました。

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The Isamu Noguchi Garden Museum,Takamatsu May,2025

今回訪れた高松の庭園美術館では、イサムが最善の形を模索しながら二度と彫りなおしのできない、簡単に動かすことができない石という素材に向かっていた覚悟、気迫、魂を感じました。

そして、言語を超えて万人の心に響く作品を目指して格闘していたことが、アトリエや石置き場の様子からもわかりました。

牟礼という場所は、源平合戦の屋島の戦いの舞台になった場所。それを挟むように東西を地質も山容も全く違う山に挟まれていました。

イサムが大好きだったという背後の高台からは、屋島の山際の向こうに瀬戸内海の青い色の水平線が望めました。

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My sketch in The Isamu Nouguchi Garden Museum     May.2025

ここは、2つの違いを統合する、包み込むことを願ったイサムの生き方と重なる場所でした。

 

これまでの私の人生でイサム・ノグチの作品から受け取ってきたメッセージは以上です。

もし、残りの人生の中でアメリカに行き、ノグチの作品を見ることができたら、光栄なことだなと思っています。

 

参考文献 『イサム・ノグチ 宿命の越境者(下)』ドウス昌代著 講談社刊     

     『石を聴くーーイサム・ノグチの芸術と生涯』ヘイデン・ヘレーラ著 北代美代子翻訳 みすず書房刊

映画  『レオニー』2010年公開 松井久子監督 

 

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2025年6月26日 (木)

Creating Garden : 日陰の小さな植え込み vol.6

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AFTER                    Jun.16.2025

 最近、随分夢中になっていたこの場所の手入れも、「もうそろそろ夏!」と思うと、「もう、やめておこう!」という気持ちになってきました。

夏前の最後の開花した植物、ノリウツギと、ムラサキツユクサを紹介しておこう思います。

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BEFORE                    May.07.2025

5月の時点で左側は、しっとりと日陰の植物の開花リレーとなりましたが、だんだん右側になるとクルメツツジが枯れかかって、枝が少ないものが続き、西日も入ってくるという環境に変わっていく部分となりました。高温、乾燥にさらされる場所になってきます。

そこで、ぎりぎり西日の影響が少ない場所にもう一株と思い、梅雨のころにアジサイがいいと思い、ノリウツギを植え込みました。

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植え込む時は、鉢いっぱいに根が回っており、花芽を上げるか心配でしたが、どうにかつぼみが上がり、花を咲かせてくれました。

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Hydrangea paniculata Siebold

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Hydrangea paniculate ’Dharuma’

前回紹介したイワガラミと似ているけれど、こちらは、がく片が4枚。

実は、ノリウツギの ’ライムライト’ だと思って、(札があったような)購入したのですが、原種のノリウツギでした。

そして、いろいろ調べているとダルマノリウツギという品種と似ているので、たぶん、そうではないかと思っています。

そうなると、矮性品種なので、これでよかったのではないかと思っています。

新梢咲きなので、そこも管理しやすい。

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Tradescantia ohiensis

最後に、ムラサキツユクサの写真。

この花を見ると、懐かしい気持ちになります。つぼみを指でつぶしていたことを思い出します。

マンションの他の場所で自然にひっそり毎年咲いていたものを今回、移設。花もつぼみも咲いていたので無理やり連れてきてしまったので、逆にダメにしてしまうかと思いましたが、どうにか、今年の花を再び、咲かせてくれました。

ムラサキツユクサは、日本の植物だと思っていましたが、アメリカ大陸が原生地。

きれいな澄んだあおむらさき。ノスタルジックな植物です。

 

 

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季節のBlooming flower :イワガラミ ’ムーン・ライト’

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Hydrangea hydrangeoides (Siebold & Zucc.) Bernd Schulz ’Moonlight'

                         May.26.2025

 マンションのフェンスに植えたイワガラミが今年は満開でした。どうも3年に一度、満開になるようです。

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                      April.25.2025

4月に3㎜ほど小さな球形のつぼみが集まって出来ていました。

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小さなつぼみが開くとおしべが花火のように広がり、独特のいい香りを放ちます。

この時も蜂がブンブン、気づいて寄ってきていました。アジサイなので、花弁のような部分は、がく片。でも一枚しかつかないので、ガクアジサイとも咲き方が違います。

この場所に植えて15年ぐらい経過。元は、私がガーデニング・ショーに出た時に養樹園で2本、購入したものの一つ。バラ以外の植物でラティスに絡める植物を探していた時、青みがかったしっかりとした葉で茎も長く丈夫で長尺に育てられたこの植物を見つけました。

それまで、知らなかった植物でしたが、最初見た時に、葉が青白く、葉脈も見え、妙に魅力的。花も見ていないのに、葉の美しさから購入を決めたものでした。ただ、イギリスのお庭の写真で壁に這わせているのを見たことだけはありましたが、実際に見るのは初めてでした。

その後、広島県にある「花の山」と言われる吾妻山に行った時、ブナ林の中にこのイワガラミが木に寄生しながら、縦に昇るようにして花を咲かせていたのに、遭遇。イワガラミのポテンシャルをそこで初めて、知りました。

ここに植えてから、何年も花を咲かせるのに時間がかかりました。でも、いつかは、白い花を咲かせると思いながら、待っていました。

出入りの植栽業者さんも大切にしてくださり、伸びた枝をフェンスに麻紐で誘因してくれるようになっていました。

いつからでしょうか、わっと咲くようになりました。そして、それは、毎年ではなく、前述したように3年に1回の頻度で全面にわたって花を咲かせる感じです。

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先日、江戸時代後期に日本に訪れたオランダ人のシーボルトが日本の植物についてまとめた『日本植物誌』(”Flora Japonica”) に掲載されている植物をまとめた京都大学貴重資料デジタル・アーカイブを見ていたら、このイワガラミも入っていました。石販彩色の図版があるらしく、どんなふうに表現していたのか見たいのですが、ネットでは、みつかりませんでした。当時は、別の属に分類されていたようですが、現在は、アジサイ属に入るということになっています。

リストを見ると、日本の植物をくまなく、収集していることに驚いています。ツバキ、アジサイ、ギボウシ等、その後のヨーロッパにおけるジャポニスムの流行は、浮世絵から始まったという説を美術ではよく取り上げますが、むしろ見たこともなかった美しい植物を目にしたところから始まっていたと考えた方が自然だと今は、思っています。

調べて行くと、もっと時代をさかのぼった頃から、出島の三学者、ドイツ人のケンペル(1690年~1692年滞在)、リンネの弟子のスウェーデン人のツンベルグ(1775年~1776年滞在)、そしてシーボルト(1823年~1829年と1859年~1852年2回にわたって滞在)は、日本の植生に関する研究を行い、ヨーロッパに紹介していったということです。

 

 

 

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2025年6月 7日 (土)

Creating Garden : 日陰の小さな植え込み vol.5

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 最近、マンションのクルメツツジが枯れた部分を補うことに取り組んでいます。「季節に花がいつの間にか咲いている」そんな感じで、なるべく元からそこにあったかのような植え方をしたいと思っています。先日帰省した折、実家の庭からいろいろ株分けして植物をもらって帰ってきました。ビニール袋に植え土とともに入れて、水を含ませ、口をしっかり結び、車のトランクに入れておいて何日か経ちましたが、大丈夫でした。

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Nassella tenuissima in Mother's garden  

母に名前を聞くと、「わかんない。勝手に生えてきたの。」と言ってた縞葦(シマアシ)。日本に自生するイネ科クサヨシの斑入りです。

すっと立ち上がって、斑入り。何気なく間を埋める感じがいい。写真を見てもわかるうように京都以西の地面の色は、明らかに関東の色に比べて明るい。それは、花崗岩に覆われた土地であり、それがぼろぼろと崩れた土地。ざるのように水を通すので、肥料の効きが悪い。しかし、じめっとせず、足の踏み心地がいい、と私は思っています。

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Front : Bletilla striata ラン科シラン属

Back : Polygonatum falcatum キジカクシ科アマドコロ属

それから、白花のシラン。アマドコロも。おまけにヤブコウジももらって帰ってきました。

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これらをまた、マンションの植え込みに植え付けていきました。すっとした剣状のような葉物がほしかったので、先日、植え付けたノリウツギの背景に仮置きしてあれこれ考えてから植え付けました。

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Hosta 'Patriot' ギボウシ Yellow variegated leaves

いつのまにか、5月に購入したギボウシが花茎をのばし、先週から開花。他に何も咲いていないので、主役のように見えます。

手前に細々と残っていたクルメツツジも奥に移動させて、「日陰の小さな庭」とタイトルを付けた割には、範囲が広くなってきました。

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これからは、建物の北角なので、右側の部分、午後の西日の影響も出てくるで、耐えられるかどうかを今後見ていきたいです。

これまでの様子は、下にスクロールしていただき、Creating Gardenを選んでいただくと見ていただけます。

 

 

 

 

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