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2024年9月30日 (月)

My Favorite Desserts : 洋ナシのタルト 2024

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 9月は、パパのお誕生日だったので、久しぶりに洋ナシのタルトを作りました。比較的簡単なお菓子ですが、しっかり焼かないと生焼けの部分が出来るので、そこを注意して作りました。レシピはこちら

特別に買っておく材料は、洋ナシの缶詰。カルディの洋ナシの缶詰の洋ナシは小ぶりで、タルトの並べる時にちょうど良かったです。

その他、アーモンド・プードル。スライス・アーモンド。

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お休みの日に朝一番にタルト生地を作って、成型前の生地を冷蔵庫で冷やしておきました。

午後3時ぐらいから、タルト生地を伸ばして、型に敷き込み、フォークで穴を開け、冷蔵庫で30分ぐらいは、冷やして休ませます。

これを取り出し、底にオーブン・ペーパーを敷いて、重石を敷いて、180度に加熱しておいたオーブンで焼成。途中で、重石を取り除き、底の部分も焼いておきます。

焼いている間にアーモンド・プードルの入ったクリームを作っておきます。

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クリームをタルトに敷いた後、アーモンド・プードルをふりかけます。これは、洋ナシから水分が出るのを吸わせるため。

タルトを空焼きしている時に、もう一枚の天板で軽く焼いておいたスライス・アーモンドをふりかけ、オーブンで焼成。

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タルト自体もしっかり火が入り、後から入れたクレーム・ダマンドにも火が入り、きつね色に焼き上がりました。

最後にアプリコート。ジャムを表面に塗っておき、つやや酸味をつけて出来上がり。

 

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About An Artist : 田中一村

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Isson Tanaka 1903-1977     Tokyo Arts Musum Sep.22.2024 

 田中一村の絵を知ったのは、1984年のNHKで放送された日曜美術館であったと思います。子どものころから、日曜美術館をじっと見るのが好きでしたが、今までで印象に残った番組は、田中一村と香月康男(澤地久枝さん解説)の回と思っています。最近では、写真家の牛腸茂雄さんの回がテレビの前で号泣した回です。

 学生時代、大学の油絵科の教授も本をアトリエに持ってきて、「アダンの海辺」などの絵を紹介してくれました。購入することはしませんでしたが、ただ一枚チラシに印刷された『アダンの海辺』を手元に置いてその魅力は、どこから来るのだろうと自分なりに読み解いていたように思います。私は、番組でその人生を知っていたので、二十歳そこらの自分には、田中一村の絵の境地に達するには、まだまだであることは、重々わかっていたような気がします。

今も思うのですが、縦長の画面にまずは、驚きました。油絵のキャンバスの縦横比は、3種類。日本の美術の歴史の中では、掛け軸の絵というものが縦長に描かれているので、一村からすれば、南画を描いていた時も含めてなじみのある比率だったと思われます。しかし戦後の美術を学んだ私にとっては、油彩画の3種類の比率のキャンバスのみが、画面であり、縦長に風景を切り取るということが、かなり斬新に思えました。

手前にはなじみのない植物の実が大きく描かれ、初めて見た時、「なんだろう?」と目が釘づけになりました。そして勢いよく広がる葉の形を見てのびやかな気持ちを味わいました。背景には、黄金色に染まり始めた夕方の光が雲間から天に向かって広がるのが見える一瞬が捉えられています。少し高台より海が見える場所で一日の終わりをほっとした気持ちで眺めているような気分にさせてくれます。

水平線上の消失点に近い位置にアダンの実があり、そこから、放射線状に広がって捉えていく視線の動きをもたらしてくれる構図となっています。本物の作品は、どこかで見た(東京都美術館?)と思いますが、今回、久しぶりにまた『アダンの海辺』を見て、感動をあらたに帰ってきました。

今回は、奄美大島に渡る前の作品も多く展示され、初めて見る作品が多かったです。

特に印象に残っているのが、『椿図屏風』(1931)などの赤い岩絵の具の美しさが際立っていた作品の数々。

斑入りのツバキと紅一色のツバキの茂みを金地の屏風の片方にいっぱいに描き、片方は、何も描かずに金地一色のみの屏風絵。葉が黒に近い緑をしていて、ぐっと赤を引き立てていました。ひっそりと自然に大きく枝を広げたその土地に自生するツバキを描いたような感じでした。

青龍社に入選を果たしたヤマボウシが天に向かって咲く中、鳥が木にとまっている様子を描いた『白い花』(1947)は、新緑のきらめきを表現した見事な作品でありました。

 一村は、何でも描けるほど、絵が上手く、それを自分でもわかっていたから、並みの表現にとどまらず、『秋晴』(1948)は、日本画の画面には、珍しいほど、絵の具を盛り上げた表現をしています。また、金地に焦げ茶色の主木が途中で折れた欅の大木に、真っ白い大根が干されている描写は、単なる秋の景色としての描写ではなく、一村が肉親を相次いで亡くして心の軸が折れてしまったことを象徴した表現にも思えました。ただ、白い大根は、生の象徴であり、明日への希望にも思えます。この絵は、西洋の宗教画のような隠喩を含んだ表現にも思え、日本画のモチーフを超えた新しい試みに挑戦している作品だと思いました。この絵は、落選とされてしまいました。結局、その作品を理解してもらえなかったことで、自分から会との関係を絶つということをしました。

一方、自分を信じて、任せてもらえた仕事は、画家としてベストな仕事を残していると思いました。みんなに喜んでもらえることは、一村もうれしかったと思いました。襖絵、天井の板絵『薬草天井画』(1955)を見ていると、伊藤若冲の作品や琳派の作品とも重なってきました。

 日本を代表する公募展である日展や院展では、落選。なぜだろうかと、家に帰ってから考えていると、家庭の事情で東京美術学校を2ヶ月で退学し、お金になる絵を描くことで生計をたてざるをえなかったというスタートにより、登竜門を外れた画家の作品は、画壇は、受け入れてはくれなかったのでは、と思い始めるとなんだか、暗いものを感じて悶々としてしまっていました。

認められていないという、一村の打ちひしがれた気持ちは、計り知れないものだったのです。

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そして、奄美へ。染色工場で働き、清貧な暮らしの中で、自分が本当に心を動かされたものを描く、という暮らしの中、代表作となる作品が描かれていったのです。

 展覧会の前書きにもありましたが、この個展が開かれている東京都美術館は、大正15年5月開館です。時を同じくして一村は、隣に位置する東京美術学校に通っていた頃で、この美術館の開館を知っていたであろうと思われます。ここは、一村ゆかりの唯一の東京の美術館ともいえます。田中一村の画業は、その後の多くの人が認めた結果であり、「最後は、東京で個展を開いて絵の決着をつけたい。」と遺した一村の思いが、時を超えてようやく実現したことは、私たちは、やるせない気持ちをこの展覧会で慰めることができると思いました。

亡くなった後に、残された自筆ノートに記されていた分が展覧会の最後に紹介されていました。

『良心に沿って生きる。』

歴史に残る作品は、時代が経ってもその作品に描いた人のエネルギーが宿っている作品。

今を生きる私たちにも伝わる魅力を持つ作品。

お墨付きとか、おすすめとかのみで、物事を判断することに終始していないか、もう一度、自分の心を澄ませて物事を見ていかなくては、と思っています。

 

 

 

 

 

 

 

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2024年9月18日 (水)

Maintenance : シンク下のオーバー・フロー・ホースの交換

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 数日前から、「誰かがお茶をこぼしたのかな?」と思うような水が、キッチンの床に広がっていました。3回ぐらい続いたので、おかしい、と思って、シンク下を開けてよくよく見ると、昔使っていたオーブンの天板を下にひいている所に、水がいっぱいに溜まっていました。「どこから?」と思い、キャビネットの下のものをすべて出してみると、流し台トラップの脇についている蛇腹のホースが割れていました。

これは、オーバー・フロー用ホースと呼ばれるもので、パパと「これを買ってくれば、直せそう?」と話し、ホーム・センターへ。

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割れていた部分は、排水ホースユニオンナット(SANEI PH62-88S-30)と同じものでした。お店の人に確認してもらいながら、必要な部材を調達しました。

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ホースは、直径30ミリを40㎝、シンクの穴のカバーとそれを受ける部品も購入。そして、接合部分に塩ビ用の接着剤。

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まずは、ホースと上の部分の接合部に接着剤を塗り、ホースを取り付けシンクのオーバーフローの入り口に通し、カバーをシンク側より、つける。

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シンク下の排水トラップの脇に納まるよう長さを調節。7㎝ぐらいをカット。そして排水ホースユニオンナットの内側部分とホースを接着剤で接合。乾燥接着後、ナットを使って、流し台トラップに取り付けしました。

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シンク側の入り口のカバーは、ステンレス製になったので、キラッと光って、かっこよくなりました。肝心な塩ビ製のホースも新調となり、OK!

パパがすべて工事をしてくれました。

築27年目ですので、やはり、こういったところが、劣化するのは、当たり前でした。しかし、こんなになるなんて、知らなかった。部品が調達できれば、慌てないでDIYで直せる修理です。

それから、ここも時々、水をホースで流したりして、オーバー・フロー・ホースの内側をお掃除することが、大切だということを知りました。ブラシを入れて掃除したことは、あったのですが、構造を理解していませんでした。そのせいで、ナット部を痛めたのかも。今回のことで、どうつながっているのかわかったので、時々、掃除しようっと!

 

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2024年9月 1日 (日)

Maintenance : ふすまの塗り替え

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Before

  我が家のマンションの間取りは、LDの横に和室があるタイプ。襖が何枚かあるのですが、さすがに襖紙が黄ばんで、汚れもついて気になっていました。ホームセンターの襖紙は、色、柄、素材でピンとくるものがありませんでした。

今年は、LDKと廊下の壁を自分で塗り替えをしました。ちょっと自信がついたので、ふすまも自分で何とかできないかと考えていました。

そうこうしていると、アクリル絵の具のジェッソに貝の粉が入っていることを知りました。つや消しのような白い下地が出来、上に塗るアクリル絵の具の食いつきをよくするものです。他の色を入れて混色OK!水は使うジェッソの20%まで。手持ちの絵の具で「出来るかも!」と考えるようになりました。

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色は、一番大事な要素。自分でB5程度の紙に絵の具を混色したものを塗った紙や日本色研の和紙の色紙をマスキング・テープで何枚か貼り、時間帯によって変わる光線の色の変化を何日か貼って、見ていました。一番、気にならない色にしました。

今。いろいろなアクリル系ペンキが各社より出ていますが、色の比較ができないし、家で塗ってみることもできないので、決め手がぶれて、一番悩みどころ。自分で今回は、混色するのですから、とことん色作りにこだわれます。きれいな色=その場所にある色とは限らないのです。

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大きな面積を塗るので、足りなくなった時のために混色で何色を何グラムいれたのかを記録しながら、イメージに近い色になるようアクリル絵の具を入れていきました。

ふすまには、木の部分にマスキング・テープを貼り、カバー。所々、へこんだ部分があったので、つぶれた部分の紙をカッターの先やピンセットを使って戻し、敗れた部分には、半紙を同じような形に手で破いたものをのりで貼り、平にしておいました。

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天袋から塗っていきました。縁は刷毛を使って塗り、広い面は小型のローラー。2枚塗った時にちょっときれいすぎる色であることに気づきました。そこで、少し黒を足して、グレイッシュな成分を足すと、落ち着いた気持ちで見れる色になりました。

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完成。春の少しかすんだ空のような色。

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ふすまで仕切られた和室ですが、リビングとのつながりをつけるように室内もしつらえています。

 

 

 

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Useful Tools : 宮島の杓子

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 この夏は、いつものように実家に帰省。宮島が近いので、帰る前にやはり、一度行っておこうと主人と行ってきました。フェリー乗り場で船を待っていると、西の海峡から吹いてくる海風は涼しく、「暑い、あつい!」と家の中にこもっていないで、出かけてよかったと思いました。

フェリーに乗り、海風を感じながら、青空の元、ぽかんと出来ることが何よりの幸せで、自宅では、決して味わうことが出来ない時がここには流れています。長かった大鳥居の工事も2022年の晩秋には終わり、船の上から朱色の大鳥居が海のブルーの色と弥山の原生林の青緑を背後にくっきり映えて見えてきました。亡き父とこうやって、フェリーに身をゆだね、子どもたちとともに「海水浴だ!」「弥山に登ろう!」と宮島を通して、楽しく過ごした家族の思い出がここにはあるな、と思い出していました。そして私がこの世からいなくなってもここには、変わらない自然に囲まれた宮島の姿があるんだなと思いながら宮島に着きました。

今回のお目当ては、数年前に開館した北大路魯山人美術館。町屋を改築した美術館で、コレクションが膨大でした。「これにどんな、料理を盛ったのだろう?」と思いながら、見させていただきました。

帰る道すがら、知人へのお土産を求めに宮島木工製作所に寄らせていただきました。ここの木工品の調理道具を私は、長年いろいろ使っていて愛着があるので、バター・ナイフか手巻き寿司用の小さな杓子のどちらかを買いたいと思っていました。

山櫻のバターナイフのことを書いた記事は こちら

レードルのことを書いた記事はこちら こちら

靴ベラのことを書いた記事は こちら

お店は、作業場兼用で機械や昔作った調理器具の見本や型が壁にかけられています。お目当てのものは、ショーケースの中にあり、それを見せてもらいながら、奥さんと立ち話。木目や色が違うので、「好きなのを選んで!」と言ってくださいました。Img_3635

お土産に購入したバター・ナイフや小さな杓子

ただ、ポロリと「私は、宮島を応援しているので、お宅のを使いますが、実は、主人は、炊飯 器についていたぶつぶつがついたポリプロピレンの杓子の方が好きで・・・。」と話をしたら、奥さんが急に主人の方を向いて「それですよ。それが、うちにとっては、大打撃だったんですよ~!」と口火を切られました。パパは、いきなり、話に引っ張り出された感じでしたが、正直な感想を話し始め、『モノづくり』のコストの話など3人でするようになりました。商売のことは、疎いので何も言えませんでしたが、私なりに木の杓子が好きなことをつぶやいていました。考えをまとめると、

炊いたお米が杓子にくっつきにくいのは、突起をつけやすいポリプロピレン製。価格も安い。だから、そちらに人がなびく。しかし、木の杓子は、急いで乾いたままで使ってしまうとご飯がくっつきますが、使う前にしっかり吸水させて使えば、くっつかない。むしろ炊き立てを蒸らす時に適度の水分をご飯に与えれ、よそいやすくなる。

そして最大の魅力は手触り。無塗装の木に触れるということは、現代の生活では、少ないものです。杓子に触れることは、「自然」を感じるひと時。見た目にも自然の木が水を含んでいく色の変化を見て、安心感を感じている。

値段は、1本1000円~2000円として、32年使っているから、1年間32円~62円。なんてことはない。割れても欠けてもそれが、自然の素材だからと捨てないで愛着を持って使っている。

ポリプロピレンの耐久年数は、どのくらいなのだろうと調べると5年以下。石油由来のプラスチック製品。

あなたは、どちらを選びますか?

私は、実家が宮島の対岸になってから、かれこれ40年近く、平均して年に2回は、行っているけれど、自然環境や建築の美しさも魅力ですが、杓子やお盆、棗などの木地仕上げの美しい木工品を見れることも魅力でした。この島には、それを生業として取り組まれている方が何件かあり、美術科の学生時代、それをのぞかしてもらっては、「私もがんばろう!」と思ったものでした。

でもそもそも、神の島である宮島の木は、昔からむやみに切ることは出来ないことで、原生林の森が今に残され、巨木が現存しています。厳島神社をはじめ大願寺、仁和寺塔頭大聖院などの立派な木造建築が存在しているのは、島外から材料を船に乗せて運んできたのでしょう。そして小さな木工品の加工は、それがいつ頃から始まったのかということを考えていると、青山にある伝統工芸の展示販売をしている青山スクウェアのパンフレットに宮島の木工細工について『鎌倉時代、神社や寺を建てるために鎌倉地方、京都地方から大工、指物師が招かれました。』との記述がありまして、やはりこの産業も歴史のあるものであることを知りました。仏具の加工については、鎌倉彫りが有名ですが、規模は違うけれど、宮島でもその需要があり、技術が育まれたのです。ろくろで作られた木工品が多いのも仏具制作の技術からなのでしょう。

杓子については、1700年代後半、伊予の国から来た誓真和尚が島民の生計のためにと厳島弁財天の琵琶の形からヒントを得てデザインしたのが、始まり。宮島が発祥の地。釜の底の丸みに合うように杓子の先端は丸く仕上げられ、持ち手の長さも人の手に合わせて、太さや長さがデザインされている。日本発の炊飯用オリジナルのデザインの調理道具。

その当時は、今に比べると生産量も少なく材料の木が、島内の材を使って作ったのかもしれません。しかし、現代では、生産量も増えているのでどうしているのだろうかと思っていましたが、今回奥さんと話をしてわかりました。宮島と海を挟んで向かいには、中国山地の山々が連なる森林豊かな場所。対岸の廿日市には、材木港もあり、全国的にも有名な家具メーカー、木質の住宅設備メーカーが軒を連ねている地域。その地域の山々の間伐として切り出された山桜を乾燥してから、宮島に運び、加工に使っているそうです。

建築材料にするのには、不揃いの材ですが、生活道具などの小さな木工品への加工には、充分使える。宮島のいくつかある木工品製作所で、一つひとつ人の目で木の質を見ながら、杓子をはじめとする木工品に加工しているものなのです。

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右から2本が我が家の杓子 母が持っていたものを譲り受けたのでかれこれ40年もの

小さいものは、手巻きずし用 20年前ぐらいに昔あった宮島口の販売コーナーで購入 

一番左が現在のもの 息子さんが製作所を引き継いでいる。

 

だらだらと書いてきて、落ちがやっと分かった。宮島の木工品の一番の魅力は、人が材を見極めて、木取りしてていねいに手仕上げで加工しているところ。人がこうすると美しいと思って作ったものは手に取った人にもその美しさが伝わるのです。そこが、なければ、例え同じデザインが大量に作られて安く仕上がったとしても魅力を感じない道具となってしまう気がします。

安くするために木の木目も見ずに大量に作られたものや石油由来の可塑性の便利な素材が出回っていますが、今一度、ものを使う喜びを大きな価値として考え、ものを選んでいきたい。

我が家のポリプロピレンの杓子は、数年前に電気釜をやめてからも台所に存在し続けてきましたが、もう5年という耐久年数をとっくに超えていました。パパを説得して、さようならしたいと思いました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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