この夏は、いつものように実家に帰省。宮島が近いので、帰る前にやはり、一度行っておこうと主人と行ってきました。フェリー乗り場で船を待っていると、西の海峡から吹いてくる海風は涼しく、「暑い、あつい!」と家の中にこもっていないで、出かけてよかったと思いました。
フェリーに乗り、海風を感じながら、青空の元、ぽかんと出来ることが何よりの幸せで、自宅では、決して味わうことが出来ない時がここには流れています。長かった大鳥居の工事も2022年の晩秋には終わり、船の上から朱色の大鳥居が海のブルーの色と弥山の原生林の青緑を背後にくっきり映えて見えてきました。亡き父とこうやって、フェリーに身をゆだね、子どもたちとともに「海水浴だ!」「弥山に登ろう!」と宮島を通して、楽しく過ごした家族の思い出がここにはあるな、と思い出していました。そして私がこの世からいなくなってもここには、変わらない自然に囲まれた宮島の姿があるんだなと思いながら宮島に着きました。
今回のお目当ては、数年前に開館した北大路魯山人美術館。町屋を改築した美術館で、コレクションが膨大でした。「これにどんな、料理を盛ったのだろう?」と思いながら、見させていただきました。
帰る道すがら、知人へのお土産を求めに宮島木工製作所に寄らせていただきました。ここの木工品の調理道具を私は、長年いろいろ使っていて愛着があるので、バター・ナイフか手巻き寿司用の小さな杓子のどちらかを買いたいと思っていました。
山櫻のバターナイフのことを書いた記事は こちら
レードルのことを書いた記事はこちら こちら
靴ベラのことを書いた記事は こちら
お店は、作業場兼用で機械や昔作った調理器具の見本や型が壁にかけられています。お目当てのものは、ショーケースの中にあり、それを見せてもらいながら、奥さんと立ち話。木目や色が違うので、「好きなのを選んで!」と言ってくださいました。
お土産に購入したバター・ナイフや小さな杓子
ただ、ポロリと「私は、宮島を応援しているので、お宅のを使いますが、実は、主人は、炊飯 器についていたぶつぶつがついたポリプロピレンの杓子の方が好きで・・・。」と話をしたら、奥さんが急に主人の方を向いて「それですよ。それが、うちにとっては、大打撃だったんですよ~!」と口火を切られました。パパは、いきなり、話に引っ張り出された感じでしたが、正直な感想を話し始め、『モノづくり』のコストの話など3人でするようになりました。商売のことは、疎いので何も言えませんでしたが、私なりに木の杓子が好きなことをつぶやいていました。考えをまとめると、
炊いたお米が杓子にくっつきにくいのは、突起をつけやすいポリプロピレン製。価格も安い。だから、そちらに人がなびく。しかし、木の杓子は、急いで乾いたままで使ってしまうとご飯がくっつきますが、使う前にしっかり吸水させて使えば、くっつかない。むしろ炊き立てを蒸らす時に適度の水分をご飯に与えれ、よそいやすくなる。
そして最大の魅力は手触り。無塗装の木に触れるということは、現代の生活では、少ないものです。杓子に触れることは、「自然」を感じるひと時。見た目にも自然の木が水を含んでいく色の変化を見て、安心感を感じている。
値段は、1本1000円~2000円として、32年使っているから、1年間32円~62円。なんてことはない。割れても欠けてもそれが、自然の素材だからと捨てないで愛着を持って使っている。
ポリプロピレンの耐久年数は、どのくらいなのだろうと調べると5年以下。石油由来のプラスチック製品。
あなたは、どちらを選びますか?
私は、実家が宮島の対岸になってから、かれこれ40年近く、平均して年に2回は、行っているけれど、自然環境や建築の美しさも魅力ですが、杓子やお盆、棗などの木地仕上げの美しい木工品を見れることも魅力でした。この島には、それを生業として取り組まれている方が何件かあり、美術科の学生時代、それをのぞかしてもらっては、「私もがんばろう!」と思ったものでした。
でもそもそも、神の島である宮島の木は、昔からむやみに切ることは出来ないことで、原生林の森が今に残され、巨木が現存しています。厳島神社をはじめ大願寺、仁和寺塔頭大聖院などの立派な木造建築が存在しているのは、島外から材料を船に乗せて運んできたのでしょう。そして小さな木工品の加工は、それがいつ頃から始まったのかということを考えていると、青山にある伝統工芸の展示販売をしている青山スクウェアのパンフレットに宮島の木工細工について『鎌倉時代、神社や寺を建てるために鎌倉地方、京都地方から大工、指物師が招かれました。』との記述がありまして、やはりこの産業も歴史のあるものであることを知りました。仏具の加工については、鎌倉彫りが有名ですが、規模は違うけれど、宮島でもその需要があり、技術が育まれたのです。ろくろで作られた木工品が多いのも仏具制作の技術からなのでしょう。
杓子については、1700年代後半、伊予の国から来た誓真和尚が島民の生計のためにと厳島弁財天の琵琶の形からヒントを得てデザインしたのが、始まり。宮島が発祥の地。釜の底の丸みに合うように杓子の先端は丸く仕上げられ、持ち手の長さも人の手に合わせて、太さや長さがデザインされている。日本発の炊飯用オリジナルのデザインの調理道具。
その当時は、今に比べると生産量も少なく材料の木が、島内の材を使って作ったのかもしれません。しかし、現代では、生産量も増えているのでどうしているのだろうかと思っていましたが、今回奥さんと話をしてわかりました。宮島と海を挟んで向かいには、中国山地の山々が連なる森林豊かな場所。対岸の廿日市には、材木港もあり、全国的にも有名な家具メーカー、木質の住宅設備メーカーが軒を連ねている地域。その地域の山々の間伐として切り出された山桜を乾燥してから、宮島に運び、加工に使っているそうです。
建築材料にするのには、不揃いの材ですが、生活道具などの小さな木工品への加工には、充分使える。宮島のいくつかある木工品製作所で、一つひとつ人の目で木の質を見ながら、杓子をはじめとする木工品に加工しているものなのです。
右から2本が我が家の杓子 母が持っていたものを譲り受けたのでかれこれ40年もの
小さいものは、手巻きずし用 20年前ぐらいに昔あった宮島口の販売コーナーで購入
一番左が現在のもの 息子さんが製作所を引き継いでいる。
だらだらと書いてきて、落ちがやっと分かった。宮島の木工品の一番の魅力は、人が材を見極めて、木取りしてていねいに手仕上げで加工しているところ。人がこうすると美しいと思って作ったものは手に取った人にもその美しさが伝わるのです。そこが、なければ、例え同じデザインが大量に作られて安く仕上がったとしても魅力を感じない道具となってしまう気がします。
安くするために木の木目も見ずに大量に作られたものや石油由来の可塑性の便利な素材が出回っていますが、今一度、ものを使う喜びを大きな価値として考え、ものを選んでいきたい。
我が家のポリプロピレンの杓子は、数年前に電気釜をやめてからも台所に存在し続けてきましたが、もう5年という耐久年数をとっくに超えていました。パパを説得して、さようならしたいと思いました。
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