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2024年7月31日 (水)

About Foods:ココナッツ・ウォーター

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 近所の輸入食材もおいているスーパーに行くと、タイ産の「ココナッツ・ウォーター」のパックがならべられていました。No added Sugarと書かれていたので、昔、スリ・ランカに行った時によく飲んだものと一緒であろうと思い、買ってきました。

暑い日でしたので、封を開けて、飲むと、「ああ、この味!」と思いましたし、のどを通ると、スーと体にしみこむ感じがしました。熱中症対策で、「水分を取って!」と家族に耳が痛いくらい、言われる、熱中症気味になりやすい私.どうしたらいいのか、困っているところでしたので、昨日も追加で3本買い込んで、朝から何度も飲んでいます。

1985年に父の仕事に同行して夏にスリ・ランカに行った時に、各地を回りました。その時、現地の生水は飲まないようにしていましたが、唯一、道沿いで薄緑の実をいっぱい台車にぶら下げられて売られていたココナッツの水は、OKで、よくみんなで飲んだものです。

売っている人は片手に、実をのせ、斧のようなもので、先のほうをザクッとスライスして、白い果肉に穴を開けてくれました。そして、直飲み。最初は、青くさくて、甘味もほのかで、「あまり、美味しくない。」というのが、正直な感想でした。しかし、何度も飲んでいると、体に浸み込むことがわかってきて、車での移動中、そろそろ水分補給が必要だなと思う頃は、車窓から屋台を探して、見つけると、「パポ、パポ!」と言って、車を停めてもらい、喜んで飲んでいました。

ヤシの木は、スリ・ランカの海岸部に生えていて、初めての外国の地に降り立つ私にとって暗闇の中、飛行機の窓から下を見た時にモンスターのように地面がヤシの木の茂みに覆われ,人家の明かりは、まばら。日本の景色との違いは、今でも忘れられません。滞在中は、ヤシの実を落とす作業も近くで見せてもらいました。ゴム・ベルトのようなものを幹と胴に巻き、ほいほいと素足で蹴って登っていき、刃物で実を落としていました。若かったけれど、真似できないと思いました。

また、家庭では、ココナッツの実を半割りにして、白い果肉を上を向いた大きな杭のようなもので、ゴシゴシしごくようにおろし、汁を絞って料理に使っていました。これが、ココナッツ・ミルク。これは、缶入りやパックのものが日本でも購入できるので、スリランカ風のカレーの味を食べたい時は、これをを使っていました。スリ・ランカは、海に囲まれた島国なので、魚が豊富に取れ、私は、新鮮な魚の入る「ツナのカレー」をいつも頼んでいました。

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Memories of SLI LANKA   Woodprint             

海岸部に立つ家は、椰子の葉を編んで、壁や屋根に使っていました。ヤシノキは、暮らしに欠かせない植物でした。あーなつかしい。2004年、スマトラ島沖地震の際、スリランカが津波に襲われた時、私に「お茶を飲まない?」と言ってくれた子どもたちが住んでいたその家々のことを案じました。

仕事で一緒の現地の方は、ココナッツ・ウォーターは「体にいい。」と説明してくれましたが、それ以来、飲むこともなかったので、何がいいのか、調べていませんでしたが、先ほどパックのタグについている英語を訳してみると、「天然のスポーツ・ドリンク」、「5つの必須電解質(カルシウム、マグネシウム、リン、カリウム、ナトリウム)」「低カロリー」などと書いてありました。なんか、スポーツ・ドリンクと似ていると思っていましたが、その通りで、こちらの方が、優秀な組成なのだそうです。

青い椰子の実の中にある水で現地でしか飲めなかったものでしたが、このようにパックで日本でも買えることができるようになっていることに今頃、気づき、今年は、スリ・ランカを思い出しながら水分補給に飲んでいこうと思っています。

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2024年7月30日 (火)

Craft for Children : でんしゃ作り

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 夏休みに入って、親子連れwithおばあちゃん、みたいな方々を目にするようになりました。あの長い夏休み、今思えば、子どもたちを仕切るのによくやったなと思い出しました。彼らにとっての一生の思い出になると思いましたので、張り切っていたことを思い出します。今はもうできない。親業も人生に一度、二度と出来ない。

写真のでんしゃは、息子が幼稚園の頃に一緒に作った「とうきゅうでんしゃ」です。彼はでんしゃに最後まで手を振る子どもでした。最後尾の車掌さんが電車が過ぎ去る前にさりげなく、手をチラリと降ってくれたことは、私もキャーっと感動したものです。電車好きの息子を通して、電車の世界の仁義 (孟子の)を知ることとなりました。

モデルにしたのは、その25年前ごろに走っていた電車で、息子に先ほど「9000系?」って聞くと、「似てるけど、2000系」と教えてもらいました。

コンセプトは、「家にある牛乳パックで作り、電車の色や形のデザインをなるべく大事にして本人に作らせる。」というコンセプトで御ぜん立てしながら、作りました。カッター・ナイフを使う所は、私がしました。牛乳パックは、本当にしっかりした素材で、今も壊れないほど頑丈に出来ています。思い出しながら、ちょっと作り方を紹介したいと思います。おばあちゃんになって、やっと少し暇ができましたので、この電車の型紙をおこしました。利用される方は,

ダウンロード - e99bbbe8bb8ae381aee59bb3.pdf

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●材料

牛乳パック 2本分 洗って、乾かしたもの

ジェッソ リキテックス社 白色地塗り剤 これは特別なものですが、貝殻の粉が入っているので、カバー力があり、文字を消せます。

アクリル絵の具 電車の色に合わせて、ここでは、黒、赤、青等

グロス・メディウム アクリル絵の具に混ぜて、つやのある透明な仕上がりに絵の具を変えます。紙を貼るのり、表面のつや出しにも使えます。

ウレタン・スポンジ 筆の代わりに使うと、きれいに絵の具が伸びます。

グルー・ガン(木工ボンドは、くっつきません。両面接着テープもはがれやすかったのでダメ)

マスキング・テープ

透明樹脂シート クリア・ファイルなどを使う。窓用にブルーを塗って窓に貼るため

色紙 赤、オレンジ、黄色、グレーなど

油性マーカー 細がき

車輪用フィルム・ケースの蓋  (直径3.5㎝ 厚み1㎝ これは、今はレアものなので、何かで代用を。)

竹串、ストロー、セロハン・テープ 

針金 連結用

●作り方

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① 牛乳パックの注ぎ口のところを開いて畳みなおし、接着剤を塗って、マスキング・テープなどで固定して四角柱に作りなおす。

② ジェッソに黒を少し入れ、電車のボディ―・カラーのグレーを作り、牛乳パックに塗る。乾かして、印刷の文字が見えなくなるまで何度か  繰り返す。

③ PDFファイルの側面図、正面図を型紙として、側面に図をマスキング・テープなどで貼り、目打ちでドアや窓などの四隅に穴を開け、位置を写す。反対側の側面は、PDFファイルの紙をひっくり返して使う。

④ カッター・ナイフでドアは、両開きになるよう切り込み(ドアの窓は大変なので切り抜きません)。窓は▭に切り抜く。

⑤ 青色のアクリル絵の具にグロス・メディウムを入れ、透明シートを塗る。

⑥ 穴を開けた窓は、シートを窓よりも大きく切り、裏から接着剤でとめる。他は、シートを小さく切り、貼る。

⑦ 赤色の色紙を8㎜幅にひも状に切り、グロス・メディウムを裏面につけて電車のラインを貼る。

⑧ 東急電車のマークも葉っぱ型に切った7㎜長さの赤い色紙を3つ組み合わせて貼るとできます。

正面

⑨ 型紙を写し、正面も同じように作る。ライトなどは、色紙のレモン色、オレンジ色などを▭に切って、貼る。

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屋根部

⑩ 型紙を写し、グレーの紙を貼って、空調の丸をマーカーで塗る。

 

つやだし保護

⑪ 全体にグロス・メディウム塗る。

⑫ 油性マーカーで型紙の黒い線の部分を描く。

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底部

⑬ 車輪を入れる所に印をつけ、カッターで切り抜く。

⑭ フィルム・ケースの蓋の中心に穴を開け、竹串を通し、ストローを入れ、もう一方の車輪を入れる。

⑮ セロハン・テープで車体にストローの部分をとめる。

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連結部分

⑯ 2両の連結には、キリで穴を2か所開け、針金でフックを作った車両と輪を作った車両とを作り、連結。

⑰ 完成

 

以上のような工程でした。工期は、結構、乾かす時間や次にどうしようか考える時間もありましたので、1週間以上は、かかったと思います。

息子も結婚して、今やパパに。私は電車の形も最近、ボーと見るようになっていて、気が付くと東急電車は、四角い先頭車両ではないことに気が付きました。子どもが最初に絵に描く四角い電車だと思って、一緒に作ってみてください。

変な所もあると思いますが、参考になったら、幸いです。

 

 

 

 

 

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2024年7月21日 (日)

Organizing ideas : 充電用の小さな棚

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LEVLA レヴラ 28×9×21㎝ designed by Hanna Klarqvist    IKEA

 充電用のコードがあれこれ増え、カウンターの上に置いていたら,かなり場所を取られてしまうことになっていました。先日、IKEAに行ったら,気になっていたスマホの充電用の木製ラック LEVLA レヴラ がSaleになっていました。取り付ける場所も決まっていなかったのですが、ダメ元で,購入。製品の組み立ては、イラスト付きの手順書で、簡単に組み立てられました。

我が家は家具やフローリングの色がブラウン系なので色は合うのですが、スイッチ・プレートの高さぐらい(床上120㎝ぐらい)に当ててみると動作的にはいいのですが、焦げ茶色のせいか、重々しい存在感が気になりました。でも,スマホ関係の充電機器の場所を壁を移動させると、カウンターをまた広く使えるのであれこれ考えた末、カウンターの下、ゴミ箱のふたが空いた時にあたらない所に取り付けることにしました。

ここには下地の木材はなく、石膏ボード自体にネジで取り付けとなるので,買い置きのアンカープラグを使うことにしました。

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①水平器で傾いていないか,確認し,穴の位置に印をつけ,アンカープラグを埋め込み。

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②手持ちの長さが板,石膏ボードを通ってアンカーに収まりそうな長さのねじで止めつけ。 

③ゴミ箱の上のスペースに収めました。底に付属のヒートンをつけてみましたが、各種のコードを全部ぶら下げると、煩雑な感じがしたので,手持ちの真鍮ヒートンを正面2カ所に取り付け,そこにコードをぶら下げると、ブラウンの色の中に納まり,少しは気にならなくなりました。

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④その他のコード類もバラバラしていましたので、昔に作った帆布にマジック・テープをミシンで縫い止めたもので、包み込んでまとめました。

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いつのまにか生活の中での必要スペースになったスマホの充電コーナー。壁面利用もあったということをこの製品を通して気づかされました。この手の情報機器まわりの製品には、直線的なデザインが多いのですが、あえて側板に曲線を入れているデザインや無垢材の素材感、アンティークな焦げ茶色を使っている点は、ヨーロッパ的なセンスを感じました。Thank you, Hanna !

 

 

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Maintenance : 奥まつり縫い仕立ての裾上げ

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 自分のズボンは、買ってすぐには、例え無料でも裾上げしてもらわないことがほとんど。コットン製だと必ず2回ぐらいは洗濯して縮ませてから、自分で裾上げします。ウールの時も家で履いてみて、シングル、ダブル、どちらかにそのデザインに似合う方を決めてからゆっくり仕上げています。

娘が自分で服を買うようになって、ジーンズを買ってきて、一度洗濯した後、私が裾上げしてやらなかったので、お直しのお店に出したよう。その引き取りを頼まれて行くと、3000円もかかりました。しまった、そんなにかかるなら、私がやってあげれば、よかった、と反省。ウォッシュッドの黒いジーンズでステッチは赤。赤のジーンズ用のミシン糸は家にはなかったので、それはそれで、よかったのだけれど。

てな感じのことがありました。先日、またまた、娘が一見、高級なサマーウールのような、リサイクル・ポリエステルという素材のパンツをセールで買ってきました。今度は、ちゃんとやってあげようと思い、ミシンで縫ってしまわずにきちんと手縫いで表に響かないような、「奥まつり縫い」にして仕上げてやりました。

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①まずは、履かせて、裾上げの位置に折り上げまち針。そして、その折り山を黄色のしつけ糸でぐし縫い。そうすることで、裾を伸ばした時もどこが裾上げ線なのか、わかります。ひと手間だけど、針と糸でしかできない目印。

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②それから完全三つ折りに出来るほど、生地はあったので、二つ折りした時の布端が①の裾上げ線にかかる位置で布を断ちました。

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③折山にアイロンをあて、生地を整えます。まち針を折り幅の半分くらいの所でぐるりと留め、裏から見た時の縫い代の際、5㎜ぐらいのところをしつけ糸でぐるりとぐし縫い。

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④手縫い用の同色の糸で、端から5㎜の縫い代を外側に折りながら内側の縫い代の布を2㎜ぐらいすくって、5㎜くらい左の向かいの内側の布の縦糸1本を右から左にすくい、5㎜ほど進んだ手前の布内側1枚をすくう、ということを繰り返していきます。出来たら、しつけ糸を引っ張らないように所々で切ってから、引き抜いて、出来上がり。

こうすると、表に見える糸は、少しで、裾に平行にぐるりと縫い止められます。裏は、縫い糸が内側に隠れるので、脱ぎ着の際に擦れることが少なく、引っかけたりしないので、裾がほつれたりしにくい仕上げとなります。

この方法は、ていねいな裾上げの方法。結婚前の4ヵ月だけ、洋裁学校に通った時に教えてもらった裾上げの方法。その時、自分のWedding dressを作らせてもらいました。

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2024年7月 6日 (土)

Visiting a garden : 北海道大学植物園

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Botanic Garden, Hokkaido University          Jun.28.2024

 6月の末、結婚式があったので札幌に行きました。札幌に行くのは、いつも年末年始の頃で雪の中。今回は、大通り公園のバラ園を見て、北大植物園へ行きした。閉園までの時間が40分間でしたので、受付にあった『見ごろ情報』を頼りに回りました。

灌木園の場所には、花が咲いているものが多いようなので、巨木に囲まれた誰もいない散策路を地図を頼りにざくざく歩いていきました。

園芸品種では、名前を知っているなと思ってもここにあるのは、原種のものが多く、森の中でひっそり咲いているのをひとり占め状態で鑑賞できました。

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Hydrangea serrata var. yesoenisis

特に、印象に残ったのは、エゾアジサイです。鎌倉の明月院のアジサイを初めて見た時、品種を調べていたら、ホンアジサイ(ガクアジサイ)とエゾアジサイの交雑から生まれたということを知りました。そこから、「エゾアジサイ」は、開花しているのをなかなか見れないだろうな、と思っていたアジサイなので、今回、見ることが出来て、とてもうれしかったのです。とても美しい水色をして、楚々と咲く姿が気高く心に残りました。明月院に行った時のブログはこちら

今年の2月、サッポロっ子としては、珍しく2月5日の関東で雪が降った時に脚を滑らせ、足首を骨折してしまった主人は、あまり散策できずに建物付近にいたので、この写真を見せると「そこらで咲いているアジサイとどこが、違うの?」と聞いてきました。

「う~ん、葉っぱに艶がなかったよ。きれいなブルーなんだよ。」と言うと、「もっと、牧野富太郎みたいに言ってよ。」と朝ドラをしっかり録画してみていて、セリフもちゃんと聞いていたのか、難しいことを言ってきました。

植物好きな私としては未消化な感じがずっとしていて家に帰ってからも、写真を見て「葉っぱの先が尖っていたなー」とか、「葉っぱはセイヨウアジサイよりも薄かったよ。ダーク・グリーン!」と追加コメントを言ったりしていました。

そして、少し盛りを過ぎた職場で咲いていたセイヨウガクアジサイを見つけ、じっとエゾアジサイと比較するように見ると、装飾花と呼ばれるガクの部分の形がエゾアジサイは、「尖っている」ことがわかりました。厚みも薄い、ダブル装飾花ではなく、シングル、花序の大きさは直径12~13㎝ぐらいかな、とか。

エゾアジサイは、葉も装飾花も先が尖っている(余談ですが、園で見かけたエゾリスの耳も尖っている)ので、なんだか、野生の気品を感じさせる植物のように見える、と私なりに「植物の色、形の違いによる美を感じさせる要素」なるものを整理しました。これは、主人には、もう説明していませんが。

とにかく、この出会いは、貴重なものでした。

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Ribes sativum

近くに実をつけていたアカスグリ。思わず、誰もいないので、指でつまみたくなる程、つやがあり赤くなった実をつけていました。

祖母は、札幌の女学校に行ったので、高齢でベッドで寝ていた頃、側にいると「札幌で食べたクロスグリのジャムが美味しかったのよね。」という話をしてくれました。子どもの頃、そんなものを食べたことがなかったので、札幌ってなんてハイカラな所なんだろうと想像を膨らませていたことを思い出しました。

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Ulmus davidiana var.japonica

また、ハルニレの森では、「自生していたハルニレの樹々を残した。」という説明を見て、祖父もこの場所に立ってこのハルニレを見たかも、と思い、調べてみました。樹齢150~200年ぐらいということで、明治時代に札幌農学校の林学科で学んだ祖父は、この植物園で学んだことは間違いないと思いました。卒寿を過ぎた自称 ”元祖 山ガール” の母にこのハルニレの森の動画を送りました。

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Sahalin Husky ”Taro”      

そして縁のあるもの最後にもう一つ、南極観測に連れて行かれたタロウの剥製が展示されていました。東京国立科学博物館で南極展が開かれた時、タロウもジロウも並べられて展示され、父、夫、息子と見たのですが、それ以来、タロウは、久しぶりの対面でした。

南極から戻ってきてから、ここで飼育され、余生を過ごし天に召されたそうです。タロウは、私の父が南極で実際、「エサをやったよ。」と話していた犬で、南極で生き抜いたそのたくましい話は、聞いたり、報道されたり、映画化もされたた犬でした。

父が世話をしたというタロウは、アパート住まいで犬が飼えなかった私にとって唯一、身近なワンちゃんとしてとらえていた犬でした。

父は、その後、私がアルバイト先の部長さんから譲り受けた犬を飼うようになってからも「犬は犬。人間のように甘やかしてはいけない。」と言って、接していました。今のようにワンちゃんを子どものように飼う姿には、相容れないものがありました。

そんなこんなの北大植物園。ここを歩きながら、「進路選択を誤った。北大農学部に進学したかった。」と来年還暦を迎える私は、正直に思いました。

札幌生まれの主人と結婚することになって、初めて北海道の地を踏み、帰省の際に訪れる場所となった私ですが、それだけではない祖父、祖母の時代からの縁をこの土地は持っていることを改めて感じさせてくれた北大植物園でありました。

 

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