11月5日まで東京都現代美術館で行われていた『デヴィッド・ホックニー展』に10月に行ってきました。コロナ下ですっかり美術館に行けないことに慣れてしまいましたが、この展覧会だけは「行こう。」と思っていた展覧会でした。
ホックニーを知ったのは、私が美術科の学生になった頃。図書館にあった『美術手帖』で見たのかな。そして池袋のSEIBU美術館で初めて作品を見たような気がします。
とにかくその当時、生きている人たちの作品で日本では、まだ真価が定まらないので公立の美術館はその頃は、展示していませんでした。
私は、ほぼ正方形に近い、額装もシンプル、厚みも薄い、リキテンシュタイン、ウォーホール、ホックニーなどの作品を見て、その時代の新しい作品を目の当たりにしました。学生でお金もないので図録などは、買えず、しっかり目に焼き付け、エネルギーを受け止め、うきうきして帰ったことを覚えています。それらの作品は、まだ日本で解説したものが少なく、Tom Wolfe の"THE PAINTED WORD"の日本語訳『現代美術コテンパン』(晶文社刊)や『アメリカン・アート』石崎浩一郎著(講談社現代新書刊)などがアメリカでの美術の動向を解説するもので、熟読していました。
20世紀の美術は作品だけを見ると、「なんでこうなっちゃったの?」という感じで展開していきますが、当時の背景を知ることで「なるほど。」と分かるわけですが、「だれのため?」と考えると、必ずしも「人のため」の美術ではなくなり、自分を認めてもらいたい欲求だったりします。そうなると「どうぞ、ご勝手に」と大衆からは、見られたりしていました。で30年ぐらい経ってその人たちの突っ張った作品もやっと大衆に受け入れられ、Tシャツの絵に使われたりしています。30年くらい平気で先を行っているという表現が正しいのかな。
ホックニーを初めて見た時、子どもの頃、きれいで好きだった、プールの水面に揺れる不定形の輪をつないだような光の形を作品に取り入れていたことで、「うまいな~!」なんて、思ったことを覚えています。
芝生でスプリンクラーが回っている作品も子どもの時の体験を思い出しました。水しぶきに当たって「気持ちいい!」とか。
リトグラフの作品だった思いますが、油絵の重厚さに比べ平面的で軽く、色彩は明るく、カジュアル。作品を見て「楽しい!」という気持ちを呼び起こしてくれたような作品であったことを覚えています。
そういった点で、新しく、自分の木版画やシルク・スクリーンの制作では、「何となくホックニー」的なのほほんとした作品を作ったりしました。ですから、結構、影響を受けておりました。その後、私は就職、結婚、育児に追われ、ホックニーのその後の活動は、知らなかったのですが、子どもが中学生になった時、ホックニーのコラージュの作品が資料集に取り上げられていて、作風が変わったことを知りました。一枚の写真のように人間は空間を把握していない、絶えずあちこち、視点を動かして、空間を私達は把握している、だから、こんな作品を作ってみました、というような実験的なコラージュ作品でした。
2017年 大英博物館で行われた"Hokusai : Beyond the Great Wave" という北斎の展覧会に合わせて撮影されたドキュメンタリー映画にホックニーは、解説者のように出演。彼自身が北斎のことを画家の視点で語っていました。そこで日本の美術にも精通し研究熱心な人であることを知り、より尊敬するようになりました。
そして今回の作品展で、ホックニーが人生をかけて研究している「人は空間を平面にどう表現してきたか、またその新しい方法とは?」をまた見させてもらえ、実りの多い展覧会でした。
ちょっと、じわっと感動したのは、ホックニーがお母さんの肖像画を描いた『My Parents』という作品でした。自分も学生時代、何をキャンバスに描くか悩んだ挙句、家族一人ひとりをスケッチし、それを組み合わせて油彩画にしました。その時の気持ちは、「これ以上ない感謝の気持ち」からでした。
ですから、ホックニーが両親の肖像画を一世を風靡したロサンゼルスの作品群の後に描いていたことに自分の最も大事な家族の絵を愛情を持って描いていたことにとても人間的なものを感じました。
また、9つのカメラを車に乗せて微妙に視点と視線が違う同時撮影の道沿いの森を写した動画のコラージュ4作品は、自分がその道を本当に散歩をしているように感じさせてくれました。鳥のさえずりで樹の上の方を眺めたり、光に透ける葉の輝きを眺めたりしながら、あちこち視点をずらしながら、人が五感で空間を感じる気持ちよさを疑似体験しているようで、「またもやうまいことをするな!」と会場で笑ってしまいました。
ホックニーの「水」の表現への探求も印象に残りました。1971年に日本に訪れた時の感想が載った本が会場の一角にありました。そこに『(その当時の日本の風景が浮世絵に描かれていた)イメージした景色とは違って(工場が立ち並び)、がっかりした。』というような記述があるのですが、『それでも日本の絵の水の表現方法は、素晴らしいものがある。」と書いてあり、ホックニー自身も「水」の表現、プール、スプリンクラー、雨、水たまり,池などの表現に今もこだわっていることがiPadで描いた作品からも伺えました。
渋谷のBukamuraの本屋さんが閉まる前に「この本は買っておこう!」と買い求めたホックニーの『絵画の歴史 洞窟壁画からiPadまで』は、まだ読破できていないのですが、今回また、美術館で『春はまた巡る』(いすれも青幻舎刊)を買ってしまいました。
ただでさえ、Slow readerなのに、老眼も加わりどうやって本を読もうか悩む今日この頃ですが、、ホックニーのまなざしや考えを追体験しながら、読んでいきたいと思っています。
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