Visiting a place : 伊東と丸に三つ引き紋
9月の初旬、伊東市に行ってきました。写真は、お土産に買ってきた「ぐり茶」。
市川製茶さんのものです。丸に三つ引き紋の家紋。玉露より苦味が少なく、甘く旨味を感じる澄んだ優しい味。
畑の畝にススキやササを敷きこんでお茶を栽培する手のかかる農法で世界農業遺産となっています。
ここ数年取り組んでいる私の祖父のRoots探訪の旅。亡くなった伯父の残した高知の和田の家系図の写しの端に「伊豆の三浦の分流」と書かれているのが、以前から気になっていたことから。
そのメモを見てもピンとこなかったほど、土地勘がありませんでしたが、伊東市に和田という地名があることや温泉もあるので、とにかく何かわかるかもしれないということで現地へ。
まずは、古くからお湯が沸いていたという現在「和田長老人の湯」という公共の温泉場へ。歴史のある温泉としてこの場所の資料が展示されていました。「和田大湯」とか「和田村」という地名であったことが分かりました。ここの湯は薬湯と古くから有名で、江戸にもお湯を送ったそうです。種田山頭火も度々訪れ、お湯をを楽しみ句を詠んでいます。
その「和田」という地名が単に海岸部にある地域に「和田という場所が多い。」といった地理的条件による名前なのか、「和田義盛」に関係があるという場所なのか、ここでは、分かりませんでした。
温泉は午後2時30分からでしたので、お昼を食べにアーケード街へ。そこで、お茶屋さんが角に建っているのを見かけました。
よくよく見ると、「丸に三つ引き紋」。三浦氏、和田氏の家紋と同じ。迷わず、お店に入らせてもらい、家紋のことを尋ねてみました。
しかし、お店の方は、よくわからないからので、「会社に聞いてください。」とのこと。
未だに、そんなことで電話をするのもな、と思い聞いていませんが、確かに市川製茶さんは、住所を見ると伊東市なのです。
「伊豆の三浦の分流」というメモ
家紋によって、あの伯父のメモ書きに確信が持てるような感じになってきました。
東海館にて
家に帰り、この伊東市を平安末期より治めてきた大河ドラマ『鎌倉殿の13人』にも出てきた伊東氏について調べてみました。
すると、伊東(工藤)氏の姻戚関係図〈伊豆国〉《伊東秀郎『曽我兄弟仇討ちの機縁』より》を掲載しているサイトを見ていると、
和田義盛の名前がここでやっと出てきました。
伊東祐親の従妹の娘が和田義盛の妻となっていました。義盛の子どもは男子が8人いるらしいですが、この頃の武士はあちらこちらに妻がいて、子どもたちもそれぞれの場所で育ち、大きくなったら義盛を中心にあちらこちらでそれぞれが活躍していたようです。この伊豆の妻の子が高知の和田の祖 和田義直ではないかと思い、生まれた年を調べると、治承元年(1177年)でした。頼朝が挙兵して伊豆を出る石橋山の戦いが1180年なので、いい線ではないかと思います。
おまけに、NHKの大河ドラマ『鎌倉殿の13人』でも初回の伊豆半島でのシーンにも和田義盛は三浦義澄や義村とともに出ていました。
「あれ?伊豆まで義盛も来ているんだ!」と思ったシーンがありましたので、きっと出逢いがあったのでしょう。
等と、自分なりに今回は、だいぶ疑問が解けたような気がしています。
800年前の和田義盛から始まる和田。先祖の壮絶な死より命や家族を大切にと代々伝えてきて今に至っているのだと思います。
義盛役の横田栄司さんが現代に和田義盛を再現してくれて、今年は本当に和田末裔にとっては、忘れられない大河ドラマとなっていると思います。撮影が終わって、悲しい結末になり、お疲れになったことでしょう。
しかし、和田は全国に散らばり、義盛の思いに感謝しながら今を生きています。800年の歳月から今では26万人和田さんはいるそうです。
子孫繁栄!大丈夫です。
追記:和田のお湯は少ししょっぱくて、湯から上がるとすっきりとした体調になったきがしました。
また、行きたい。アジフライ定食も美味しかった。
最近のコメント