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2022年1月30日 (日)

My Favorite Desserts : チョコとナッツのクッキー

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 荷物を息子に送るのに好きなお菓子でも、と思い家にあるもので久しぶりにいわゆるチョコチップクッキーを作りました。

クッキーモンスターがバクバク食べてたクッキー。

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●材料 (クッキー22枚分)

 

無塩バター  110g 脂肪分が血液の負担にならないグラス・フェッド・バターを使用

ブラウン・シュガー 60g

グラニュー糖    50g

バニラ・オイル   少々

卵       1個

薄力粉  160g 

ベーキングパウダー 小さじ1

塩    一つまみ

 

チョコレート 80g 今回は、家にあったIKEAのヘーゼル・ナッツの入ったミルク・チョコレートを5㎜角に刻んでチョコチップの代わりに。

くるみ    40g

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下準備

・バターを室温に戻しておく。

・粉、B.P、塩をふるっておく。

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● 作り方

① バターをクリーム状に練る。

② 砂糖を入れ、白っぽくなるまで、すり混ぜ合わせる。

③ 溶いた卵を少しずつ入れながら、さらに混ぜる。バニラ・オイルも入れる。

④ ふるった粉類をもう一度ふるいながら入れ、さくっと混ぜる。

⑤ 刻んだチョコ、クルミをさっくり混ぜ、生地の出来上がり。

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⑥ オーブンを180度に予熱しておく。

⑦ 天板にオーブン・シートを敷き、大さじスプーンすり切り1杯分ぐらいを天板に置く。

焼くと、バターが溶け、生地が広がるので、間隔を開けて。今回はちょうど、天板2枚分。

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⑧ 180度で10分焼成。出来上がりは、ラックの上で。

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⑨ 冷めてから、保存容器へ。除湿剤を入れておきました。見えるので、ついつい食べてしまいそう。

 

久し振りのクッキー。美味しくてパパと「太る!」と言いながら、それぞれ2枚、おやつに食べてしまいました。

ゴツゴツして食べ応えにあり、焼きたてならではの香ばしさ。

 

チョコチップを買わなくても、十分普通の板チョコでOK。焼いていると溶けてしまうかもと思いましたが、それも大丈夫でした。

いろいろなチョコで試してみるといいかも。

 

息子の荷物にも入れてやりました。明日には届くでしょう。彼は、クッキーモンスターの真似を絶対すると思います。

 

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2022年1月27日 (木)

Clearly Delicious : カルヴァドス風味のリンゴのプレザーブ

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 現在、はまっている自分で焼いたライ麦入りクルミパンとパン・ド・ミ。

リンゴジャムは、昨年11月末頃、作ったもので、カルヴァドスとシナモンを入れてみたところ、とても美味しい。

子どもの頃、このプレザーブ(カルヴァドスはなし)をはさんだサンドイッチを作ってくれて、大好物でした。

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紅玉は、お店に並ぶと必ず一、二回は買ってきます。

プレザーブにすると、ちびちび食べれるので、いっぱい作っておくことに。

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皮をむいて、くし形に切り、スライス。

グラニュー糖をリンゴの重さの半量加え、煮ていきました。

果肉が透き通り、とろみがついたら出来上がり。煮崩さない程度で。

アップルパイのフィリングのように、シナモン小さじ1/2ぐらいを今回は入れ、最後にリンゴのブランデー、カルバドスを大さじ1加えました。

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長期常温保存させる分を湯煎して殺菌、脱気。

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このぐらいできました。

あまり、果肉が崩れていないぐらいの仕上がりが好きです。

隠し味のシナモンとカルヴァドスは、甘味を引き締めるのに役立っていて、きりっとした味に仕上がりました。

 

 

 

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2022年1月17日 (月)

Visiting a place : 永福寺跡と毛越寺庭園

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Yofuku-ji        Amida-do                                 Nov.30.2021

 昨年、鎌倉でまだ行ったことがない場所や確認したい場所など、歩き回ってきました。

こちらは、源頼朝が奥州 藤原氏を攻めた文治5年(1189年)、平泉の寺院群を見て、鎌倉から帰ってすぐに造営にとりかかったという永福寺があった場所。今は、鎌倉には珍しい広い公園のような場所になっていますが、ここに鎌倉では初めてだった2階建てのお堂があったり、その本尊を運慶が造仏した等、現存していたなら、きっと素晴らしいものだったのだろうと言われている場所です。

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昭和56年(1981年)より発掘がすすめられ、柱の跡や石組、池などからその全様がわかってきました。現在は、木で組まれた基壇や池、石組等の位置がわかるように整備されています。看板に再現化したCG図が載っていました。手前が阿弥陀堂、真ん中が2層の二階堂、奥が薬師堂。

両脇に翼廊といい屋根のついた廊下が池に向かって伸びた釣殿があり、ここから釣糸を垂らしていたのかと考えたら、なんだかお茶目な鎌倉武士、と思って笑いながら見ていました。

歩きながら、2011年8月に訪れた岩手県平泉の毛越寺の遺構を思い出しました。岩手の出身の亡き父が震災の後、自分の故郷を孫たちに「今だからこそ見せたい。」と東北の津波被害を受けた海岸部をまわった最後に平泉を訪れた旅でした。父の姓は藤原。私は子どもの時から平泉を訪れるとその美しさと敗れた寂しさを感じたものでした。まさに芭蕉の句の「兵たちが夢の後」

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毛越寺庭園 Motsu-ji          Aug.15.2011

毛越寺遺跡も大きな池をまわり、お堂の柱の礎石を見ながら、「どんな、お堂だったのだろう。」とイメージしながら一回りしたのです。

お堂の背後には山がある位置。関山。

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毛越寺の再現図の看板 反り橋を渡ると、浄土の世界。薬師如来を本尊としていました。

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毛越寺遣水             Aug.15.2011

上の写真は毛越寺庭園の遣水遺構。お堂の右斜め背後から川の流れを作り池に流れ込む部分。

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永福寺遣水              Nov.30.2021

永福寺も同じように石が置かれ、遣水としていた石組が残っており、ここを見ても毛越寺庭園を思い出しました。

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毛越寺庭園 池 立岩      Aug.15.2011

震災の後の傾きを補強していた立岩。

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永福寺の池の中島の立岩の石組の写真看板     Nov.30.2021

永福寺の池にあった石組は、発掘された後、また埋め戻されていますが、上の写真のような大きな石が組んであったようです。

 

頼朝は、文治5年(1189年)義経をかくまったことから奥州攻めに出向き、藤原氏の四代泰衡の首を取り、陣ケ岡という場所で戦を終わらせました。その後、頼朝は平泉に入り、藤原氏が仏国土という浄土の世界をこの世に作るという願いを表していった平泉の地の荘厳な美しさに圧倒されたそうです。

奥州藤原氏の祖清衡は、東北の地が300年にも渡る度重なる戦いで多く命が奪われてきたことを憂い、その鎮魂のための仏教寺院の造営と平和の国を作りたいという願いのもと仏教を積極的に取り入れていきました。

陸奥の国は、金の産出、馬、漆の生産等により莫大な富を背景に比叡山 延暦寺を直接のモデルとして中尊寺は伽藍が配置され、その頃、珍しい二階建ての大長寿院という寺院もありました。頼朝はそれを目にして、永福寺の本堂を二階建てにしたいと思ったようです。

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戦いには勝ったけれども、頼朝はその奥州藤原氏の目指した仏国土の崇高な世界に精神的には強く影響を受け、鎌倉に帰ってすぐに自分が行ってきた戦いの犠牲になった人たちへの鎮魂の思いも込めて永福寺建立を進めていったようです。

頼朝が永福寺を建てようとした時から60年経過し、修復をする話があったことを書いた『吾妻鏡 宝治二年(1248年)二月五日』には永福寺について頼朝の気持ちについて書かれており、『朝敵ではなく、宿敵(源氏の先代たちが、何度も東北の地(陸奥の国)で戦いを挑んできたこと)によって、滅ぼした義経や泰衡の怨霊を鎮めるため、その年(1198年)造営をはじめた寺院である。」とあります。

これは、頼朝が亡くなったあとの吾妻鏡の記述ですが、頼朝の奥州攻めの後の苦い思いにより、永福寺は、建てられたことが記録に残っています。

藤原泰衡の首桶の中に五郎沼に咲いていた蓮の花をたむけたと伝わり、中尊寺金堂に安置されていたものが、昭和25年(1950年)の発掘調査の際、種として発見されました。

平成5年(1993年)に発芽に成功。800年後、種より開花し、平成31年(2019年)、それを平泉から鎌倉に贈ったそうです。

2021年3月から「永福寺でも蓮の花が咲いた。」というニュースを以前、耳にしました。

 

すごい歴史ロマン。時を越えて、清衡が思い描いた平和な世界が現代にも広がっていると思いました。敵味方の別なく、蓮の花を愛でる世界。

 

参考文献:中尊寺図録

    :『仏都鎌倉の百五十年』 今井雅榛著 吉川弘文館

    :『図説 日本庭園のみかた』 宮元健次著 学芸出版社

 

 

 

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2022年1月12日 (水)

About Baking : CIABATTA シアバタ

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 何と読むのだろう”CIABATTA” シアバタと読むらしい。フランス・パンならぬ、イタリアン・パン。20年以上前に購入した本 1997年 初版の文化出版局より出された『ル・コルドン・ブルーのフランスパン基礎ノート』。生イーストを使っているので、ほとんど使ってていなかったのですが、最近近所のお店で買えるようになり、いろいろなパンを作ってみています。そこにイタリア、南フランスでよく食べられるのパンとしてのっています。油分がオリーブ・オイルなのがイタリアン。こびない味の軽めの仕上がりで具をのせたり、はさんで食べたりしています。

この本は、基本的に生イーストを使い、発酵生地という元種を作ってから、本番の生地にそれを加えます。これにより、「グルテンの強化、うまみ、保存性が増し、イーストの量を減らすことができる。」と書いてあります。

また、ドライ・イーストは、水を加温しますが、生イーストは常温の水でいいのです。フランスのミネラル・ウォーターを使うこともあります。

レシピの分量は多すぎるので、レシピの1/4量で作っています。また、粉や水の加減は、生地の状態によって行います。

●発酵生地 

フランスパン専用粉   1cup (125g )

水     80㏄

生イースト 2g

塩     小さじ1/2

 

① 上の材料をミキサーに入れ、ドゥ・フックをつけ、こねる。

② 生地の調整をしながら、ミキサーで大方、こねたら手でつるっとするまでこね、丸め、両手で生地を底に集めるようにする。

③ ラップをして4時間ぐらいまたは長時間発酵させる時は、一度パンチ・ダウンして冷蔵庫におく。夜、発酵種を作っておき、翌朝、使うと、お昼には、パンが食べられます。

④ 発酵種は、何日も置いておくと酸味が出てくるので、2日後までには、他のパン作りに使い、使い切ってしまいます。

 

●本種

フランスパン専用粉 2cup(250g )

全粒粉   20g

生イースト 10g

塩       5g

水           130cc 

牛乳    30㏄

オリーブ・オイル  大さじ1と1/2

発酵生地  200g

 

① 上記の材料の粉類、生イースト、塩をミキサーのボウルに入れ、そこに液体の材料を入れ状態を確認しながら、こねていく。

② ①に発酵生地も加える。

③ ラップをして、2時間ぐらい発酵

④ 台の上に打ち粉をして、生地を出す。

⑤ 上にも打ち粉をして、手のひらでガス抜きをする。

⑥ 天板にオーブン・ペーパーを敷き、打ち粉をし、そこに生地をのせ、さらに上に打ち粉。1時間ぐらい発酵。

 

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⑦ 2倍に膨らんだら、200度のオーブンで30分ほど焼く。

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焼き上がって、冷めてからスライス。1/3は、そのまま、お昼に。

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サンドイッチにしてみました。

半分にスライスして、バター、マスタード、レタス、ツナ、ケイパーをベローンと広げて、

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食べやすい大きさに切って、出来上がり。

トマトやバジル、オリーブオイルをしみこませても良さそう。

 

シンプルな配合の食べやすいパンです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2022年1月10日 (月)

Visiting a place : 神奈川沖浪裏とドビュッシー

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城ヶ島 Jyoga-shima                                Dec.30.2021

 年末に三浦半島の城ヶ島の海岸から寒さの中、強風で荒れる海を見ていたら、凄まじい景色が脳裏に焼き付いて、お正月はドビュッシーの交響詩『海』~風と海の対話~ を聞きたくなりました。

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Debbusy  ”La Mer” 1905年

音楽をかけると、その時の気分にぴったり。今までも聴いていたのに先日の冬の荒れ狂う海の景色を克明に音楽に表現できていることがわかりました。

ドビュッシーは、北斎の絵を見て ”La Mer” 交響詩『海』を作ったことは、有名ですが、日本に来ていないのにすごいなと繰り返し、聴いていました。

遠く離れた国の作品でも、人間お互い共感し、また新しい創造力で何かを生みだそうとする力が人間にはあると改めて感じました。感動がつながってより素晴らしいものができてきた。上昇らせん構造。

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遠くに富士山。

こうやって、荒々しい岩と荒れ狂う波を目の前に興奮して北斎は、下絵を現地で描いたように思います。この時の冠雪は、少し絵の時期よりも雪が多くなってきていました。

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和田長浜 佃荒崎から見た富士山       Oct.25.2021

 昨年10月に和田長浜に行った時に三浦半島南部の海岸の三崎層と呼ばれる泥岩と凝灰質砂岩、凝灰岩の互層の波で削られたゴツゴツとした岩場を歩いていると相模湾の向こうに富士山が見えました。

その時、はっと「北斎が下絵を描いたのは、このあたりかも?」という考えがよぎりました。絵を描くために座るのには、ちょうど良い岩もあり、「私ならここに座って富士のスケッチをするな。あとで、北斎の絵と比較してみよう。」などと思いながら、帰ってきました。

家でもスマホの写真なので、拡大しても画像が良くないのと、冠雪量が少なかったので、よくわかりませんでした。またもう少し雪が降った冬にいきたいな、と思いながら、12月はこの場所には行けませんでした。

しかし、今回本腰入れて絵に重ねてみることにしました。

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北斎の絵を半透明にして、2021年10月25日の写真を重ねたものです。写真は、北斎が他の絵でも行っているように実際の見え方を引き伸ばしたりする手法で縦、横に圧縮するように調整してみました。

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すると、一番白く見えるこの日の冠雪の位置に比べ、北斎の絵はもうちょっと下まで冠雪していますが、ほぼ谷の位置が同じであることがわかりました。

そして左の荒波の付け根の青く表現されている部分が箱根の山並みと重なります。

描いた場所について諸説あるようですが、なんとなくその場所の気配を感じたことから発展した一つの仮説です。

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ルーペで富士山を縦長に変形させてみたりもしました。

私が考えたのは、現地で描いたスケッチから本作をどうしようかと変更して描く自由さを北斎は持ち得ていたので、この箱根の山並み線を使って弧をいくつも描きながら、拡大させ、大波に立ち上げていくアイディアを思いついたように感じます。欄間彫刻の伊八の影響もあったことでしょう。

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右上:葛飾北斎 『冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏』1830~33年頃

右下:年賀状に使った主人が撮った写真 富士山と私 波のように縞模様を持つ立岩の曲線が波のよう

左下:2017年の国立西洋美術館『北斎とジャポニスム』展チラシ カミーユ・クローデル 『波』

ジャポニスムは、日本の浮世絵や工芸品がフランス中心とした西洋に影響を与えたことを言いますが、その前に、絵の表現に関して貪欲な北斎は蘭画の風景画、植物画より遠近法、陰影法、細密描写など取り入れていきました。

ここが、それまでの表現とは違う浮世絵を北斎が編み出し、西洋でも受け入れられる下地になっていることも忘れてはならないと思います。

 

 

 

 

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2022年1月 9日 (日)

About Cooking : おせち

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Osechi    New year’s dishes              Jan.1.2022

  今年も帰省は控えたので、自宅でお正月を迎えました。お重を使うのは、2年目。お料理が出来ていれば、後はお重に詰めればなんとか恰好がつくだろうと思いながら、31日は、ひたすらお料理を作っていました。お重のことについては、こちら

スケジュールはこんな感じでした。

12月27日 黒豆の煮汁を煮溶かしたものを冷まして、黒豆を一晩つけておく。今回は、アルコール分を飛ばすためにこの時点でポルト酒を1/2カップ入れてから翌日から煮ました。黒豆の作り方の記事はこちら

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12月28日 朝から黒豆を炊く。STURBで蓋をして、10時間ぐらいは、ゆっくり煮て、今年は、つやぷっくりの大成功。

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12月30日 買い出し 三崎の産直センターで三浦大根等野菜やカズノコを購入。夜に紅白なます下漬け。

★昆布を水につけておく

12月31日 紅白なます本漬け、一番出汁、二番出汁、栗きんとん。生協のお正月食材到着、いり鶏、サーモンのディル風味マリネ、牛肉の八幡巻、ラフテーと切り昆布の炊き合わせ、おまけにモカロールケーキ 

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作ったものは、冷蔵庫に入りきらないので、北側の部屋の出窓へ。

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元旦 お雑煮を煮ながらお重詰め。今回は4人分なので、ぎっしり詰めていきました。黒豆、きんとんは個々に盛り付け。

お重☆印のついたものを自作。あとは、生協で頼んでおいた加工品を使いました。

海のもの 紅白蒲鉾

     数の子

     海老の養老煮 ☆

     胡桃入れ田作り

     紅鮭の昆布巻き

山のもの 錦玉子

     八幡巻 ☆

     ラフテー ☆

     きのこのマリネ ☆

     グリーン・オリーブ、カシューナッツ    

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いり鶏、紅白なますを鉢へ。

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若狭の小鯛笹漬けを玉ねぎ、三つ葉でゆずドレッシングでさっと和えたもの。

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お雑煮は、主人の実家の味に寄せて。一番出汁に鶏や根菜が入り、薄口醤油で仕上げました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2022年1月 6日 (木)

Natural Beauty : 小網代の森

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Koajiro forest                                                   Dec.30.2021

 夜明け前に家を出て、三浦の台地から見る三日月を眺めながら、城ケ島へそして日の出。三崎で三浦大根をGETして、朝食を食べ、小網代の森に行ってみました。

駐車場は、国道134号線北上する向きで引橋付近の東側の三浦市の市民交流拠点駐車場に入れるといい。

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案内図 北が下

実は、森と聞いて、「上る」イメージでしたが、ここは、入口の地点から「下る」森。

海まで小さな谷筋を辿っていくのです。

最初は、デッキ状に手すりのついた大きな階段を下っていきました。冬なので、動植物も活動が少ない時期。しかし、小鳥が「チッチッ・・・。」と鳴きながら木の枝の上の方でを飛び移っているのが見えました。

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一通り、斜面を降りた頃に南側(北向きの崖)にシダが繁茂していました。やはり、三浦は暖かいのだなと思いました。

水がしみ出してきて、足元には、工事の足場板が敷かれていました。

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この谷筋の崖面。この崖は残って、足元の地形はえぐられてきたことになります。鎌倉のお寺に裏山のやぐらを彫っているような地質とは、色が違う。

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そして、歩いていくと、ススキやガマや昔、「ジュズノキ」と言って、実を集め、ネックレスを作ったジュズダマなどが茂る平原へ。

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そしてその先には、海。こちらに向かってくる流れ。

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海が葦原に注ぎ込んでいます。

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浜近くに寄ると、入り組んだ湾の浅瀬に透き通った明るい色の海水が流れ込んでくる様子が清々しい景色。

この暗礁を見ると、城ケ島の南、西側や三浦の西海岸で見られる海底で堆積した泥岩や凝灰質砂岩などの層が縞状の姿を見せている景色と同じ。

プレートの移動の力で押し上げ陸地になったり、ひび割れ断層が入ったり、弱い所が浸食され、現在の形になってきた。今も動いている。

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帰り道は、昔からの尾根道。

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そして、畑。ここは、どうして、畑に出来るのかな、と思っていましたが、さきほどの海岸で見られた三浦層群の上に後の時代、富士山、箱根のあたりから降った火山灰が堆積したもので、関東ローム層になっているそうです。

隆起して陸地になってから堆積したそうで、それは9万年前なのだそうです。

ん~まだ謎はあるのだけれど、今日はこの辺にしておこう。

和田のあたりの国道134号から和田城址にいくあたりで坂道を上がるのだけれど、あれは、内陸部分がくぼんだということなのかな。

 

 

 

 

 

 

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2022年1月 5日 (水)

Glassware Collection : 骨董の硝子猪口

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2022 NEW YEAR’S PLANTS

 新年になりました。年末より行事に追われながら、「あれもこれも!」と掃除、料理、お墓参り、三浦めぐり、美術館めぐりとよくばった感の年末年始でした。ギリギリまで手に入れたClassic carで帰省しようとしていた息子も寒波の到来を受け、ロング・ドライブを諦め、Short flightで帰ってきました。

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年末の30日に三浦半島へ。フライング初日の出と朱鷺色に染まる富士山を拝んできました。

現地で『なぎさ』という京急のまちマガジンを眺めていると、「うらりマルシェ(三崎港にある産直センター」でおみやげに買ったニンジンジャムや紫芋ジャムを作った高梨農園のことが紹介されていました。

「Plowtheland プラウザランド (大地を耕す)」という名前で高梨農園とその産物による加工食品、そしてそれを受ける土から作られた器等を販売していると紹介されていました。うらりマルシェでのディスプレーに吹きガラスのピッチャーや沖縄の焼き物(どうしてここに沖縄のものが?)、商品ラベルには味のある型染め等が使われ「なかなかこだわっていますね。」と声をかけていたので、謎が解けてきたような。

そういえば以前、買った三浦大根の切り干し大根もここのもの。型染めは岩手の小田中耕一さんと紹介されており、調べると、その方は久野恵一さんが監修したグラフィック社から出版された一連の民藝の本の表紙タイトルの文字や絵を手掛けた方でした。)

御主人が選んできた民芸品を扱っているという「讃々舎」も紹介されており、三浦にいる間に是非寄ってみたくなり、「要連絡」と書かれていたので、電話をかけ、仮店舗兼倉庫を訪ねさせてもらいました。

 そこには、日本各地から選んできた民藝の骨董の品々が置かれていました。お話を伺うと、御主人は鎌倉のもやい工芸さんで久野恵一さんの元で働いていたそうで、「手仕事フォーラム」という民藝の流れをくむ現代の集まりに参加しているとのこと。日本各地を車で回り、自分の目で骨董の買い付けをしてくるのだそうです。

私は、骨董というと、なかなか敷居が高くて、購入したことがほとんどなかったのですが、吹きガラスに目が留まってしまいました。

「これは、小谷さん?真三さん?」とガラスの猪口をつまみながら尋ねると、「そうそう。」と。「うわっ!」

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Eiji Kotani  

子どもたちの成人の祝いに倉敷ガラスの小谷栄次さんの猪口をべにや民芸店と倉敷民芸館でそれぞれ一つずつ買い求めていたのですが、最近私達夫婦の酒器も吹きガラスのものが欲しいな、と思うようになってきていたのでした。小谷栄次さんの作品について書いた記事はこちら

とこちら

お正月も近いし、なかなか民藝館以外で見かけることはなくなったので、ちょっと奮発して、お父様の小谷真三さんの猪口を2つ買い求めることにしました。

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手前 小谷真三作      奥 小谷栄次作 

 思えば大学1年生の時、初めて倉敷に行った時、ガラスケースに入っていた小谷真三さんのガラス器にうっとり。販売もされていましたが、私にとっては高嶺の花。溜息をつきながら、その形の美しさに見惚れて、じっと何度も見たことを思い出しました。

一輪挿しや脚付きのグラスが飾ってあったと思いますが、西洋の形や用途への憧れ、素材そのもののとろみのある質感、斜めに入った模様、光の反射、そんなものがすべて美しいと感じたことを今でも覚えています。

倉敷に行くたびに工房を訪ねて作品をもっと見せてもらいたいとも思ったものでした。

こうやって、自宅に持ち帰ってみて、並べると、作品の制作年と使う人の年が合っていることに気付きました。お父さんの真三さんの作品が私達夫婦が使い、息子さんの作品を子どもたちが使う。

時を経て、来るべきものがここに集まったと感じました。

主人は、孔雀色の少し緑みのあるブルーの色が一目見てお気に入り。息子が私達へのプレゼントとしてくれました。

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LEFT:Shinzo Kotani     Right:Eiji Kotani

親子といえども、微妙にラインを独自なものに栄二さんは、変えていることに気が付きました。飲み口の反りの広がりと高台があること。

しかし、ガラスの質感は同じ。モール(斜めの凹凸の線)のねじれの角度も大きい。

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今年のお正月は、この猪口で日本酒を頂きました。珍しく二杯飲むほど、美味しくすっと、いただけました。

お酒が瓶のままだったので、いつかは、栄次さん作の徳利を求めたいと思います。

 

 

 

 

 

 

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