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2019年10月25日 (金)

暮らしの中のMy Work : カッティング ボード

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今日、一気に仕上げたカッティング ボ―ド。溝をけずりました。パンくずがたまる、と言われますが、焼いた肉の塊を切る時など肉汁がでてくる料理にもこのような溝があると便利。

昨日、鎌倉のもやい民藝さんに行って、昔、雑誌に載って気になっていたカッティング ボードの本物を見させていただきました。思ったより溝の幅が太く、深かった。鳥取の民藝の運動を進めた吉田璋也氏の審美眼で作られていった品々がその雑誌のページには紹介されており、いつか鳥取を訪ねたい、そしてカッティング ボードも…と思っていました。

思わず、憧れの品をお家に持って帰ろうかな、とも思ったのですが、実は、彫りかけて途中で彫るのが硬くてストップしていた板があることを思い出し、昨日は欅で作った急須皿のみ購入し、失礼した。

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これがその板、数年前に購入して使っていたパイン集成材。直径30㎝。

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前回、彫った跡がありますが、今回は、本物を見させてもらったので、頑張ってみることに。

直径24㎝と25㎝のお皿を使って、円形をえんぴつでトレースしました。

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直径23㎝の皿はなかったので、フリーハンドでもう一円描きました。

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薬研彫りというⅤ字形に切り込む彫りを行います。真ん中にしっかり切り出しで切り込みをいれます。

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切り込みに向かって、平刀で真ん中の切り込みに向かって斜めに彫っていきます。Img_4174

縁の部分も元のカーブを下げるように彫りました。

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サンド ペーパー80番と400番でしっかりやすりがけをしました。この白い砂のサンドペーパーはお気に入りです。少し高いけれど、きれいにやすりがけ出来るし、もちもいい。

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音楽を聴きながら、集中して5時間ぐらいかけて完成。新しく彫った部分に白い胡麻油をしみこませておきました。

 

 

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2019年10月 7日 (月)

Visiting a place : 厳島神社 

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私が実家にいた1991年、台風19号がこのあたりを襲いました。記録を見ると、カテゴリー4のスーパータイフーン。最低925hPa、最大瞬間風速58.9m/s.

夜にかけてひどくなり実家の窓が割れて、板戸で吹き込む風を必死で押さえたことを思い出します。停電になっていたので風が収まった時、懐中電灯で家のまわりを照らしてみると、瓦が家のまわりにいっぱい割れて落ちていました。玄関に入れていた犬もより安全なお風呂場に自分で逃げていました。

ショックで眠れないまま、夜が明けるとものものしくヘリコプターが2~3機宮島上空を飛んでいました。そして、宮島を見ると、いつもと違う厳島神社の様子が対岸からもわかりました。どこかがおかしい!ご近所も瓦やスレートが飛ばされ、屋根にかなりの被害が出ていました。

がっかりしながら家に戻ると、ヘリコプターからの映像がNHKの朝の番組で流れていました。屋根が落ちてぺしゃんこになっていたり、灯篭が倒れているのが上空からの映像からもわかり、被害の大きさがかなりひどいことが徐々にわかってきました。

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特にひどかった能舞台              Aug.16.2009

背後の弥山から吹きおりてきた通称「弥山おろし」によって風が巻き上がり、能舞台の屋根を下から突き上げたことにより壊れてしまいました。

それからかなりの期間、神社はいたるところがブルーシートで覆われ、時間をかけて修復が行われました。国宝に指定されている建物が多く、なるべく元の材料を使って修復するという努力が数年にわたって行われました。

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あの時のことを思うと、現在何事もなかったように世界遺産として多くの海外からの観光客を迎えながら、海上に美しい姿を見せているのを見ると、多くの人の手があるからこそと思うのです。

今も時々いろいろな修繕工事が行われていますが、あの台風以来、そういった営みに気付くようになりました。建て方で工夫している所など本などで知ったことも一緒にまとめます。

廻廊の板は、「目透張り」と呼ばれるわずかな隙間があることは有名です。下から海水が上がってきた時、水の抵抗を逃すことや、砂などを落とす役割があります。本当に海水が廻廊の板の高さまでくるということはかなり危ないのですが、改めて、1991年の台風19号の映像を見ると、海水面がどんどん上がってきた時には、この隙間にちゃぷちゃぷ海水が上がってきていました。最終的には海水面は5m近くまであがり、柱の半分ぐらいまで、水につかり、板も流されました。

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                     Aug.9.2014

これは、2014年に訪れた時のない内侍橋という本殿に渡る橋の修理を行っていた時の板の裏側の写真ですが、ご覧の通り板の裏には墨で番号が書いてありました。台風19号の後、流された厳島神社の部材は対岸の漁師さんが神社のものとすぐにわかり戻してくれたという話がありました。

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板の裏は、根太の上に置くために欠いてありました。

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床下の柱は、礎石の上においてあるだけ。フナクイムシやフジツボがつき、傷みが出てきます。

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ですからこのように根継をして、傷んだ部分を変える補修も随所で行われています。

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平舞台を支えているのは木材ではなく、八角柱に仕上げられた赤間石が使われています。毛利輝元が寄進したそうです。

そしてこの平舞台の板の間は、隙間なく張ってあります。それは波を沈める役割を持たせ、本殿への海水の侵入を防ぐ役割を持たせているそうです。右側の青銅製の灯篭も台風19号の際、風に煽られ、倒れました。

電気があるのが普通の現代においては、灯篭の存在は、オブジェのようにも思えますが、夜間に海上から見て灯りをともす灯篭が灯台の代わりであり、安全面で必ず必要なものだったのです。

台風19号の時も参道の石灯篭もたくさん倒れました。

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西廻廊を歩いていると太鼓橋があることに気付きます。

でもどうやって渡るのだろうといつも疑問に思っていました。かなりの助走をつけなければ、登れないのでは?などおてんばだった私はあれこれ行くたびに考えていました。

皇室からの勅使専用の橋として階段付きで作られたものが使われなくなり、現在は階段を外した状態になっているということです。な~んだ!そういうことだったんだ!とついこの間、知りました。

海辺に建てたが上のメンテナンスはいつも発生していますし、台風、高潮などの数年に一度の被害もあります。

大変な維持作業だと思いますが、いつ行っても気持ちが良く過ごせるこの懐の深い厳島神社を後世にも残していってほしいです。

まだまだ、そこにあるのにすごいいわれのあるものが宮島にはいっぱいあります。紐溶きながら知りたいと思っています。

 

参考文献:『宮島』 中道 勉著 足で知る宮島学発行所 

     『厳島新絵図』 船附洋子著 ザ・テレビジョン刊 

 

 

 

 

 

 

 

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Visiting a place :厳島神社 2019 summer

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 Under constraction                                          Aug.10.2019

 今年、宮島 厳島神社の大鳥居は修理中。いつもなら、フェリーで宮島に近づいた時、この角度からは、ぐっと丹塗りの大鳥居が海や山の青緑の色の中、しっかりアクセントとなってそびえ立っている姿を見せてくれる絶好のシャッターチャンスの位置ですが、今年は、この姿。

しかし、ここ数年訪れる度に、色が薄くなり幾分蜜柑色になってきており、もうそろそろお手入れが必要だな、と思っていました。

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廻廊から鳥居を望む               Aug.9.2019  

毎年、夏に訪れていますが、宮島には知らないことがいっぱい。今回も神社に西欧の技法が使われているのでは、という指摘が宮元健次氏の『日本庭園のみかた』(学芸出版社刊)に書かれていて驚いたのでそのことについて現地で確かめてみたいと思って、訪れました。

「柱間の間隔が鳥居に向かって狭くなっている。」という指摘だったのですが、本を持たずに訪れたので、観るべきポイントを間違えていました。

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東廻廊 East corrider 国宝 National tresure   Aug.9.2016 

廻廊の柱間をみていましたが、ここではありませんでした。ちなみに廻廊の柱間は2.4m、横幅は3.6m。廻廊が直角に曲がる部分の外側の柱間は確かに広くなっていましたが、鳥居方向に柱間は一定間隔で整然と並んでいました。

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今年は満潮に近い時でしたので回廊を歩いているとゆらゆらと海面に映った反射光が天井裏に反射していました。

夏に訪れる時は、満潮の時がおすすめ。

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拝殿     管弦祭          Aug.   .2017

家に帰ってから柱間は、廻廊ではなく、本社社殿であったことに気付き、過去の写真を見てみました。これは、本殿方向に柱の列が並んでいますが、奥から4.32m、3.94m、3.03mとなっているそうです。鳥居に向かって、柱間が狭くなっている。

何度も火災や戦に遭ったので、修理されて今に至っていますが、宮元氏によれば、1555年の厳島合戦の後、1571毛利元就が修復した時に、その頃日本にも宣教師から伝わったルネサンスの透視図法が柱間にも使われたのではないか、という説でした。

このように大鳥居の中心点を消失点とし、柱間を狭くしていくと鳥居までの距離感を実際より短く感じる手法は、教会建築にも用いられており、それが伝えられたからではないか、ということです。

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祓殿より大鳥居を望む              Aug.11.2007

今まで、厳島神社は平清盛が整備した平安時代の寝殿造りを伝える建物として見ていましたが、改修の際、それぞれの時代の建築様式も積み重なって、今の建物があることに改めて気づかされました。

 

 

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