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2013年2月24日 (日)

About An Artist : Leonard da Vinchi   レオナルド ダ ヴィンチ

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子どものころから、やはり何かこの絵は違う!と思っていたレオナルド ダ ヴィンチの『モナ リザ』。先日(2013年2月14日)の日経の夕刊で昨年、日本でも公開された『若き日のモナ リザ又は、アイルワースのモナ リザ』が本物であることを裏付ける新しい証拠が発表された、との記事が掲載されていました。

描かれたキャンバスの枠材の放射性の炭素14の濃度分析から、1410~55年のものと判定されたとこと。それが何を意味するのかというと、どうもルーブルの『モナ リザ』よりも前に描かれたものではないか、ということです。

『若き日のモナ リザ』の載った雑誌が手元にちょうどあったので、開いてみると確かに「レオナルドによる1503年の未完成作説あり」と書かれています。ルーヴルのモナ リザよりモデルの女性が若い頃の肖像画とすれば、2つの絵のつながりがスムーズです。なるほど、と思いながら、最近のモナリザを巡る報道が何件があったのを整理してみました。

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この『若き日のモナリザ』は2012年日本で開催された『レオナルド ダ ヴィンチ 美の理想展』に世界初公開で展示されていました。今思えば、残念、行っておけばよかった・・・。その後、9月27日スイス ジュネーブのモナリザ財団が「ダ ヴィンチの描いたものである。」という研究結果を発表し、世界中で話題になっています。

この財団のホームページには詳しくその根拠となった理由が掲載されています。

異論を唱えている人には、モナ リザ研究で有名なイギリスの研究者 マーティン ケンプ氏がいます。この方は、近年『美しき姫君』というべラム(羊皮紙…本当は仔牛の皮)に描かれた少女の横顔の肖像画がレオナルドの作品であるとした人です。これに対しても異論を唱えている人がいるようですが。

その他、2005年にドイツのハイデルベルグ図書館で発見された1503年にフィレツェの役人の書いたメモに 『レオナルド ダ ヴィンチはリザ デル ジョコンドの肖像画を制作中である。』との記述があったことで、具体的なモデルになった女性が確定され、2011年には、リザの埋葬された修道院がつきとめられ、現在それと思われる遺骨が発掘されたようです。生前の姿の復元をも試みているようで、ここ最近、モナ リザの研究は、いろいろなことが分かってきています。

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『若き日のモナ リザ』の真贋をめぐる説の中で、私が、一番本物ではないかと思ったのは、ラファエロがダ ヴィンチの工房を1504年に訪れた時にダヴィンチが制作中の絵をスケッチしたものが残されており、このスケッチとの比較において。ラファエロはこのスケッチをもとに『一角獣を抱いた貴婦人』(日本で2010年にボルゲーゼコレクション展で展示 これは、見ました。)を1505~06年に制作しています。

スケッチには、背景の両側に柱が描かれ、地平線のラインもルーヴルのモナ リザよりも低い位置に描かれています。また、表情もプリッとした目力のある若さ輝く女性が描かれています。

この話は、ボルゲーゼ コレクション展の時に聞いたこともあったのですが、「ずいぶんルーヴルのモナ リザと違う。」と思ったものでした。ラファエロの見た絵が『若き日のモナ リザ』であれば、スケッチと一致するのです。

今までは、1504年ラファエロが見たのもルーヴルのモナ リザで、そこからダ ヴィンチの亡くなった1519年までの間、絵は手元に置かれ、加筆され続けていたというのが、一般的だったのですが、このラファエロのスケッチとの比較においてもつじつまが合わない部分があった所がすっきりしてきます。

それから、ダ ヴィンチにリザ デル ジョコンドの肖像画を依頼した人物が2名いた、ということが近年わかってきています。

一人目は、『芸術家列伝』を書いたヴァザーリの記述に『フランチェスコ デル ジョコンドの依頼で妻の肖像画に取り掛かっている。まだ未完成のままだが。』という部分にあるリザの夫からの肖像画依頼についての記録

二人目は、1517年に書かれた枢機卿の秘書の書いた『旅行記』の中にあった部分。フランスにいたダ ヴィンチに会った時の記録として「ダヴィンチが故ジュリア―ノ デ メディチ からの依頼の肖像画を持っていた。」という部分。

『若き日のモナ リザ』がダヴィンチの作だとすると、1503年ごろ描いていたのが『若き日のモナ リザ』
それ以降、ジュリア―ノの1513年から1516年の間、フィレンツェを治めていた時に依頼されたのがルーヴル版という説も成り立ってきます。

1516年ジュリア―ノが亡くなり、絵を渡せないまま、ダ ヴィンチはフランスまで持っていき、1519年、レオナルドも亡くなりました。それから、ルーヴルの『モナ リザ』は、フランスの宝として今に至る訳です。

これから、もっと知りたいことは、『若き日のモナ リザ』が本物であるならば、1500年から1900年までどこにあったのか?ということです。

ここが、はっきりすれば、本物だと言えるのでは?


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