2017年10月16日 (月)

About An Artist : 運慶

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チラシ、ポスターで夏前から楽しみにしていた『運慶』の展覧会。先々週金曜日、上野の東京国立博物館 平成館に行ってきた。

今回、私が特に期待していたのが、このチラシの右下の赤いお顔の像。和歌山の金剛峯寺の国宝 八大童子立像の中の制多迦童子。このアングルの表情がCARPの中崎投手の九回に登板した時の投げる前の真剣な表情と「そっくり!」と思っていて、実際この目で見たかった。

会場で目にすると、イメージしていた大きさよりも二周りぐらい小さかった。また、チラシの写真とは違う方向から見ると、別の表情を見せる。不動明王像に随侍する八体の像のうち6体が運慶によって1197年頃、作られており、その中の一体。他の像もどこかの誰かのようなお顔をして、それぞれ個性があり、見ていて自然と笑みがこぼれた。

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平安遷都1300年公式記念品 せんとくん と 伐折羅(ばさら)大将 (新薬師寺蔵 復元彩色) 

家に帰って、制多迦童子のことを話していると娘と息子は、「せんとくんに似ている!」と言っていたので、2010年に奈良に行った時のお土産をゴソゴソ見つけて、「それもそうだな。」と思う。髪型や装身具など。せんとくんは、東京芸術大学 大学院 文化財の保護修復 彫刻科の教授をされている籔内左斗司氏のデザインだが、髪型や装身具に仏像の決まり事がいかされているので、現代の作品だけれど、それらしく見えている。

隣の怖いお顔と勇ましい鎧の像は、薬師如来を守る十二神将のうち一神の像。東大寺を作った聖武天皇が病気になった時に光明皇后が病が治ることを祈るために建てた新薬師寺に収められている日本最古の十二神将。8世紀のもので、塑造であるが、日本でそれまでに誰も見たことがなかった像をよく作ったものだと今更ながら、驚く。

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運慶の作品を今回、寺院を離れ、像そのものを博物館で見ると、どこからこの形を生み出したのか?と単純に考えてしまった。

像のポーズは、腰をひねりあげ、その方向の脚に重心をかけ、反対側の脚は軽く突き出すポーズが多い。動きの途中の一瞬を固定したような感じだ。金剛力士像などもこのポーズだ。この大胆なポーズが、運慶仏の魅力の一つだ。

しかし、この発想はオリジナルなのかと言えば、そうではない。その源流を考えると古代ギリシャのヘレニズム期に表れた体をS字にくねらせたポーズにつながってくる。コントラポストというが、ギリシャから直接伝えられたということではなく、インド、唐を介してこのポーズも日本まで伝えられたのだ。

また、髪型、装身具、光背を見ると、インドのヒンドゥー教の神々との関係も明らかだ。そのつながりについて、調べてみた。

仏教は、今から2500年ほど前に釈迦が始めた宗教であり、仏像は、500年後,、起源1世紀頃、アレキサンダー大王率いるギリシャ、西アジア系の工人の子孫によって、ガンダーラ地方で初めて釈迦の像が造られた。最初は釈迦の生涯を伝えた内容が主だったが、インドの中で仏教が人々に浸透していくために古代インド神話の神や悪神、鬼神さえも釈迦の教えに触れ仏教の守護神になったとして、様々な神を取り込んだ。これがインド密教であり、またヒンドゥー教とも同根とされる。大日如来は、ヴィシュヌであり、不空羂索観音は、シヴァである。ヒンドゥー教では、釈迦をビシュヌの化身として取り込んでいる。

このインド密教は、インドでは4世紀から11世紀まで続くが、1203年イスラム教徒が最後のパーラ王朝を滅ぼし、根絶された。その間、僧により、中国 長安(唐)へ経典がもたらされ、サンスクリット語からの訳が行われ、インドブームが唐でも起こったというが、844年 弾圧を受け衰退した。よって、インド、中国にはほとんど今は、残っていないという。

しかし、日本においては、奈良時代から遣唐使などにより、経典や図像がもたらされ、新しい情報が伝えられた。日本では、仏教は到来した宗派は今でも残されているものが多く、日本は密教美術の遺産を今に伝えている場所と言えるそうだ。

734年の帰国した留学僧が持ち帰ってきた経典や仏像を情報として興福寺西金堂の阿修羅像など八部衆が乾漆造で作られた。また、東大寺法華堂の執金剛神像や四天王像(現 戒壇堂蔵)も塑造により作られた。これらは、天平彫刻の完成形とされ、運慶ら鎌倉仏師へ影響を与えた。

1150年頃奈良に生まれた運慶にとって、東大寺、興福寺は日本における最先端の仏像を目にすることが出来る場所であったし、父親康慶の仕事も手伝い、造形のセンスを磨いていったのだろう。

1180年の平重衡による南都焼き討ちによる東大寺、興福寺の再建に関しては、1194年頃から慶派仏師集団として尽力し、その技術とセンスを存分に開花させていった。

また、804年に唐に行った空海や最澄、合わせて8人の僧が持ち帰った曼荼羅や燃え上がる火焔を光背とした五大明王のイメージも日本に新たに伝えられたことより、825年頃より、空海は京都の東寺講堂に大日如来を中心とする立体曼荼羅の諸像の造立を企てた。この東寺の諸像の補修を1197年、運慶は、手がけており、密教美術の持つ神秘的な造形にも触れたということだ。

このように運慶の見てきたものイメージしたものを推測しながら、どうしてあの彫刻が生まれたのかを自分なりに追いかけてみた。

今回の展覧会の中で、運慶が亡くなる7年前に作ったという大成徳明王像があったが、小さな像で壊れている部分もある像であったが、それまでの運慶の作像のすべてのエッセンスを封じ込めたようなパワーのある印象深い像であった。

参考にしたのは、

『インド神話入門』 長谷川明著 新潮社刊
『日本美術の歴史』 辻 惟雄著 東京大学出版刊 
『日本美術史』 美術出版社刊
『特別展 神奈川県立金沢文庫80年 運慶 中世密教と鎌倉幕府』図録
『興福寺中金堂再建記念特別展 運慶』図録 
『寺院と仏像のすべて』 藪中五白樹著 フジタ刊
『奈良の仏像(上)』 関根 俊一著 フジタ刊
『奈良の寺々』 西山 厚著 フジタ刊 

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2017年10月12日 (木)

暮らしの中のMy Work : アーム チェアー カバー

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先日、セールで購入した中厚地の布を使って、アーム チェアーのカバーを作りました。先日作ったオットマン カバーの記事はこちら

各部にフィットし、パイピングを入れて、垂れもちゃんとつけました。オフホワイトで、家族は、「(汚すので、)座れない~!」と言っていましたが、逆に白だからこそ、漂白剤もありで洗えるというメリットもある。

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Arm chair by Laura Ashley "Snowdon"

これが、今までかかっていたカバー。カバーは、黒のベルベット調のキャンバス織り。自分の好みではなかったけれど、とにかく椅子本体の内部構造がしっかりしているので、買っておきたかった。いつか、このカバーを参考に好きな布で作れば、と思いながら、大変なのでなかなか実現できなかった。

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まずは、クッションを外して、ベースのカバーを最初に作った。型紙を作るためにセンターをしつけ糸で印つけして、各部のサイズを測り、パーツごとに型紙を作った。縫い代はすべて1㎝。

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まずは、アーム部分。ここからつながる部分を、少しずつ縫い合わせていく。次回のために型紙を残しておく。

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アームと座面を縫い合わせ、その前側面の縫い合わせ。間にパイピングを入れる。少し、丸みをもたせている。

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アームの前から見た所のカバーをしつけ糸で縫い合わせ、ミシンで縫う準備をしているところ。曲線部分は、仮縫いしてから縫うと、安心。ここもパイピングが入る。

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翌日、上部の型紙作り。トレーシングペーパーの大判を使っている。縫い合わせる所に合わせて、型紙を折ったり、重ねたりして、まち針で留めて、サイズを確定させる。

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ここが、一番難しかった場所。背にあたる部分とアームとの縫い合わせの曲線。どちらもカーブになる。型紙を作って、裁断した後、ここだけは、仮縫い(しつけ糸で縫ってみること)してみた。浮いていたりして、さらにちょうどいいところを探し、縫い合わせの線を探し、本縫い。

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ベースの下部が出来た所。垂れは、一番最後につけました。4辺とその間にも小さな垂れが入る。

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最後は、クッションカバー作り。YKKの寝具用ファスナー 90㎝をネットで入手。下留め金具幅3mmも準備し、ファスナーの長さを必要サイズ 65㎝に調整した。ラジオ ペンチで金具を曲げて取り付け。

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ファスナーは、見えない場所につくので、簡単な取り付け方。布の耳を利用して折った部分をファスナーぎりぎりに縫い付けた。両端同じように。

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クッション座面分と側面。側面はファスナーが入り、その他帯状のパーツ。ここも間にパイピングが入る。
背あてクッションも型紙をおこしてから、裁断し、縫い合わせ。

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こんな感じ。

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パイピングが入ると引きしまった感じ。

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横から見た所。布に少しストレッチ素材が入っているので、フィット感があり、良かった。きれいすぎて、誰も座らない・・・。

現在、3シーターのソファにもかかっている。クッション6個分のカバーは先日完成。また出来たらブログにのせます。


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2017年9月25日 (月)

Organizing ideas : レールバー

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AFTER FINTORP Rail    L=58㎝  Designed by Carina Bengs IKEA

1年以上前にイケアに行ったときに買ってきたレール バー。やっとイメージ通りにキッチンの壁に取り付けた。
IKEAの中でも私が好きなクラッシック デザインを取り入れたシリーズを手がけるカリーナさんのデザイン。

このレールは、取り付け金物の形状がヨーロッパのゴシック デザインを取り入れたもの。レールは鉄パイプだが、アイアンを思わせる黒の粉体塗装。

小さいフライパンと毎日使うお味噌汁を作る時の鍋、レードル、フライ返しなどをかけた。

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BEFORE

I字型キッチンの突き当り。ガスコンロまわりなので、あれこれは、出来ないので、入居時のままの状態で使っていた。

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タイル張りの壁面は、2面。突き当たりは、タイル、モルタル、コンクリートとなっている。一番右側は、ドリル ビット。近所のプロの職人さん御用達の金物店で相談して「モルタル、ブロック、レンガ」用のものを購入した。

左側は、グレーの樹脂製のものがドリルで下穴を開けた時に埋め込むプラグ。家に残っていたものが4本ちょうどあったので、この外寸に合わせて、先ほどのドリル ビットのサイズも選んだ。直径4.8mm。

そして、ねじの頭が丸くなっているタイプをプラグにねじ込む。

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取りつけ位置を確認し、穴あけ。

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ねじを少し、浮かせた状態にしておき、そこに金具の大きい裏孔に入れ、小さい穴の方にスライドさせ、固定。

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目地と目地の間に固定させた。

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バーを通し、エンド キャップをとめる。抜け止めになる。

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フックは同じラインのものがあるが、購入していなかったので、手持ちのSフックを通した。
今度、同じシリーズのフックをつけよう。

このシリーズは、引っかける小物もそれぞれ素敵。ニッケル メッキのタイプもある。


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2017年9月23日 (土)

Maintenance : 真鍮磨き

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フロアーライトのスタンド。ピカピカに磨きました。Laura AshleyのBrass製。

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ピアノの調律の方が、ペダルやヒンジを磨くのに使って、キラッとさせてくれたので、買い取った。YAMAHAのピアノ
コンパウンド。すべて真鍮製のものに使うといい。

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黒ずんだ表面が磨いていくと、だんだん薄くなり、最後はきらっと光り出した。メッキのものには、研磨剤なので、使わないほうがいい。家の中だと他に扉のノブかな。

液体のものもあるけれど、こちらはペースト状なので、他の部分が異素材のものなどを磨く時に、たれないので便利。

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ずい分、アンティーク状態でしたが、手入れするとシャキッとした。


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2017年9月20日 (水)

Organizing ideas : ベルト ハンガー

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ずっと、使っているベルトハンガー。ベルトはタンスには、入れないでこれにかけている。

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アメリカから個人輸入で手に入れたもの。素材のレッド シダーは、日本のヒノキと同じように芳香成分が強いので、防虫効果がある。それに四方にフックがねじ止めしてある。

壁に取り付けたペグ ラック
にかけて、すぐにベルトをかけられるようにしている。
収納量は、少ないようで、一つのフックに2~3本は掛けられるので、全部で12本ぐらいはOK。

日本でも同じものが今でも入手できる。


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2017年9月17日 (日)

Maintenance : 革のベルトのケア

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私が若い頃に使っていた革のベルト。自分で働いて購入したものだから、なんだか、使わなくてもずっと持っていた。ふと、娘の出かける時に姿を見ると、NavyのPoplin Pantsにキュとしめている。似合う!最近は、シャツをボトムスのウエストに入れて着るファッションが再び流行しているようで、ベルトが重要なアイテムになってきている。

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またベルトが使われていることは、うれしい限りだが、よく見ると、やはり色つやが褪めているのに気が付いた。はっきりいうと、80’sのもの。さすがに油分が失せている。

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ミンクオイルを布に少し取り、ベルトにこすりつけ、油分を補った。このミンク オイルもパパが持っていたもので、一度も買い替えたことがない。でも、粘性はそのままだし、少しつけるだけで、皮製品がしっとりして、色も落ち着いた感じになる。配合は、「ろう、ミンク油、ラノリン(羊の油)、シリコン、有機溶剤」

ミンクオイル100%の製品もあるようですが、まだもう少し、あるので使い終わってから考えよう。

とにかく、ひと手間かけてやるとまた色つや復活で、「捨てたもんじゃあない。」なんて思えるケアをしたことに満足。


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2017年9月16日 (土)

My Favorite Chairs : Red Carp Chair

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VAGSBERG  Shell Red     IKEA

赤い成型合板の椅子、イケアで見つけた。CARPファンの息子は、早速シールを背に貼って、オリジナル椅子に。

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無印良品のロフト ベッドの下が机になっているものを使わせていたが、時々、頭をぶつけるので、ここでなかなか、お勉強しなかった・・・。(もう、大学生)

キャスターのない椅子だったため、立ち上がる時、ベッドの下に頭をぶつける、窮屈さが原因。

キャスター付きの椅子も手ごろなものを見つけようと探してはいたが、座面が布張りだったり、妙にエルゴ デザインだったりして、このパイン材のベッドに似合わないので、GO!出来なかった。

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たまたま、見つけた椅子だったが、この赤い色が部屋の中でアクセント カラーになるし、シンプル デザインが北欧デザインの流れを組む無印のパイン家具にも合った。

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時そでに遅し、という感じだが、ようやく、自分の基地としてこの一角に入り込むことが少し増えたよーな。


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2017年9月15日 (金)

Organizing ideas : ハンガー

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昔、SONY PLAZAで、輸入生活雑貨も充実していた頃、いろいろ海外の製品を見ることが出来た。このドイツ製のズボン用のハンガーは、二つ折りにしたズボンがピタっとかけられ、ずり落ちないことから、1本、もう1本と増やしていった。MAWAというメーカーのもの。使い始めて20年は経つ。

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色々種類があるのだが、スカート用は、このバネ式でウエストの部分を内側から突っ張らせるもの。これもスカート部分がフラットになるので、クローゼットに入れても薄く収納できる。

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プラスチック製の優れもののフックを通せば、2段、3段がけも出来る。高さのあるクローゼットの下部にまだ空間があったので、これで3連がけにしているスカートもある。これらもデザインは、20年前をすべて同じものが、今でもっ購入可能。コロコロ変わらない所が信頼できる。

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以前は、シャツ用のハンガーはクリーニング店のものですませていたのだが、MAWAのものでスリムタイプなるものが出来たようだったので購入してみた。すると、この通り、ハンガーが薄く、形状もそろうとすっきり収納できるようになった。シーズンごとのシャツをすべてかけておけるので、洋服が選びやすい。

同じスペースに以前よりも多くの収納が可能になったので、ハンガーを追加購入した。

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MAWAのスリムタイプ ブラウス用 42/FT ブラック Mサイズ Silhoutte Light

厚みが従来のものが1㎝あるが、こちらは、0.4㎝の薄型タイプ。これにより、よりフラットに収納が可能で、シャツがに入る、入る。こちらは、台襟のついたシャツ用に形状がデザインされている。強度も全く問題ない。

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こちらは、ノーカラーシャツやニット製品用。こちらもスリムタイプ。

どちらも20本組や15本組などで購入すると、1本あたりの単価は、抑えられた。また、特殊な色は、割高になるので、ベーシックな黒や白のものにすると、価格は1本あたり200円前後。


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2017年9月10日 (日)

暮らしの中のMy Work : オットマンのカバー作り

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ローラ アシュレーのソファ シリーズ スノードン のオットマン。およそ20年前に購入したもの。

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こんなカバーを麻で作って、覆って使っていた。今はこのカバーはボロボロに破けてしまった。

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そして、最初からのカバーも角がする切れてきた。先日、手芸屋さんに行ったら、なんと200円/mのアイボリー幅135㎝のチノクロスの生地を発見。ずっと、棚上げしていた自作カバー作りをやるしかない!機会を得てしまった。オットマン以外にも3人掛けとアームチェアーがあり、皆、違うカバーで色が統一されていないので、同じ布で前から作りたかった!

ということで、一気に反物残り16.8mをすべて購入した。他にミシン糸厚手用30番やパイピングの中芯用のコード紐直径3mm、クッション用のファスナー60㎝を準備して、制作に入った。

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まずは、オリジナルのカバーを採寸。

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角の丸みをトレーシング ペーパーで写し取り、四隅を丸くした型紙を作る。

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必要な部材を裁断。パイピング テープは、手作り。垂れにあたる4枚のパネルは、下にさらに垂れが重なる。

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バイアス テープの取り方。対角線に布を切り、切り取った部分を下部に縫い付ける。

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図中 A とBを縫い合わせるように留め、ミシンで両サイドを縫い合わせ、筒状にする。それを3㎝幅のテープに切る。図右下のようにコードをはさみ、ミシンをファスナー用押さえに変え、パイピング テープに仕立ていく。

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パーツとパーツの間にパイピングをはさみ、全体を組み合わせていった。こちらは、垂れの部分。

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クッションのカバーには、1辺にファスナーを入れ、縫い合わせた。

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出来上がり。今回オリジナルカバーの写しの型紙を作ったので、次回に制作する時に便利。

他のカバーもなるべく早く、作りたい。


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2017年9月 4日 (月)

Natural Beauty : Full moon on Miyajima

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Full Moon Aug.7.2016

満月になると、宮島を背景に月の光の帯が海面に表れる。宮島は、民家も少なく、遅くまで営業している店も宿ぐらいしかないので、島は、夜になると、真っ暗な大きなシルエットのみ見せて、静かに眠りについたように見える。

満月の頃は、海水面が上昇する大潮の時期。それに合わせて、宮島では旧暦の6月17日頃、厳島神社の管弦祭が行われてきた。今年はちょうど帰省中の8月8日に行われたので、皆で行ってみた。雅楽を奏でながら御神体をお神輿にのせて、管弦船で運び、年に一度、周辺の神社を回るお祭り。時々、神様も気分転換に外に出て、お散歩していただく感じでしょうか。

いつから?と調べると、平清盛が厳島神社を今の形に造営したのが、1168年。とすると、およそ850年ぐらい前から行われてきたと思われる。詳しいスケジュールは、宮島観光協会のホーム ページで発表されていたので、確認しておくといい。

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早めに宮島に着くと、スーと目の前を一艘の船が鳥居の沖に滑るように入ってきた。まるで、北斎の『神奈川沖浪裏』の波間に揺れる船のよう。この船で管弦船を引っ張っていく。
14:40~      Miyajima                              Aug.8.2017

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左の船は、三隻の船を横につないだ管弦船。ここにお神輿がのる。この時間の潮位だと、船は、これ以上神社には、近づけない。この日は、夜の11時ごろ満潮。船が一回りしてから、帰ってくる頃には、鳥居をくぐり、神社にも近づくことができるようになる。

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神社では、回廊に提灯や紅白の垂れ幕が掛けられ、準備が整っていた。

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15:00~               Main Shrine of Itsukushima Shrine

本殿では発輦祭(はつれんさい)が始まる。出発の儀式。管弦祭の名の通り、雅楽の演奏が始まり、観光客も本殿にぐっと集まった。手前から竜笛、篳篥(ひちりき)、笙(しょう)、そして太鼓。雅楽は、日本に5~7世紀にかけてアジア各地から伝来したという。生の演奏を聴くことが出来て、気分は平安時代。娘曰く、「『越天楽』が演奏されていた。」そうだ。

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16:00~

その後、お神輿が高舞台に出てきた。周りを方位を司る四神を表した幟で囲み、出発。

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管弦船に向けて、移動。私達もその後をついていった。高舞台から真っ直ぐ鳥居につづく道に降りさせていただいたのは、初めて。

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船の準備が整い、儀式を行い、管弦船が前の漕ぎ手の乗る船に引かれて、動き出した。この後、対岸の地御前神社に向かう。対岸から船と並行して犬の散歩がてら、追いかけたことがあったが、太鼓の音や掛け声、そして華やかな飾りの管弦船の一団は、マラソンランナーを応援するようだった。

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私達は、しばし、宮島のお湯につからせてもらい、宮島桟橋の東側に位置する長浜神社に管弦船が着くのを待つことにした。ここでは、提灯をいただき、それを灯して、管弦船をお迎えする。

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浜辺に立つ鳥居の両側にいっぱい提灯の明かりが迎える中、船が対岸から戻ってきた。笛や太鼓、漕ぎ方の声とぎーという櫓の音をならしながら。

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神事が行われ、かがり火に焚き木を追加して、灯りを補充。この場所を三周回って、厳島神社の西側の清盛神社に向けて船団は再び漕ぎ出した。すごい。

私達は、並行して提灯行列をして移動。島の街灯の少ない、宮島を提灯の明かりで移動するのは、風情があった。

ここで、私達は帰宅していったが、フェリーの中からも管弦船団が暗い海の中で一生懸命に人の力で動いているのが、見えた。フェリーは、すべて終わるまで見れるよう臨時便を運航させている。また、いつか。

最後には、船は厳島神社に戻り、回廊に囲まれた部分で管弦船を3回廻す大変な山場を終えて、還御されるという。以前、テレビで見たが、漕ぎ手の息を合わせないとうまく回転せず、神社にもあててしまう危険もあるので、漕ぎ手の人たちは、この祭りに合わせて練習をして臨んでいるそうだ。

管弦を奏でる人、船を漕ぐ人、采を振る人も皆、力いっぱい。

人間のエネルギーを感じた。

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2017年8月28日 (月)

Visiting a place : Paper Lanterns

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Hiroshima peace memorial park Aug.6.2017

今まで8月6日に平和公園を訪れたのは、子どもの頃、一度だけ.。自分の中では、6日は遺族の人が平和公園を訪れる日であり、帰省中は、日をずらして慰霊碑に行くようにしていた。

今年は、ドキュメンタリー映画『Paper Lanterns』を見て、私も6日の夜の灯篭流しに行って見たいと思い、母と娘と一緒に平和公園に行くことにした。母も初めてだった。

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午後5時ごろ。ドーム前の元安川では、子どもたちと二階堂和美さんやオーケストラの小編成による『広島愛の川』の合唱があった。この場所は特別に整備し直した雁木でこの日は対岸から見ると、ステージのようにも見えた。ここで、灯篭流しが行われる。

川では、灯篭流しに備えて、灯篭のベースになる木片を数隻の小舟が運んできていた。今、昔のように雁木に荷を揚げる景色は少なく、灯篭流しのために懸命に働く人たちの姿をじっと見ていた。

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6時過ぎ、夕焼け空がだんだん藍色に染まり始めたころ、色とりどりの灯篭が流され始めていた。川の両岸も橋の上も人がいっぱい。

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私が子どもの頃から遠慮していた灯篭流し。今、新時代になっているのかなと思った。8月6日という日の夜に想いをはせ、平和を誓う時間を過ごそうとしている人たちが世界中から集まっている。

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ドームを見ると、1945年の8月6日の夜を想った。1945年の暮れまでに亡くなった方は、14万人という。

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遠くの川上からも列になって灯篭が流れてくる。川下にもずっと明かりがつながっている。この一つひとつの明かりがあの日いのちを燃やした人たちへの灯りなのだ。

次の日に新聞に『一万の灯篭が流された』と書いてあった。灯篭の光をたくさん見たが、あの日、もっともっと多くの人が奪われたと思うと、ため息が出た。

帰りながら、平和公園の暗闇の中、長い列を作って、多くの人が灯篭を流そうと辛抱強くじっと待っている姿を見た。

現在、広島市による旧市民球場跡地のイメージでは、ドーム北側の地域の川辺を『水辺ゾーン』と計画している。川べりに人が降りやすく整備するものだ。

灯篭流しの場所にも使える水辺の空間を増えれば、それぞれの『平和への想いをはせる』空間の広がりにつながる。早く整備が進めばいいな、と思った。


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2017年8月27日 (日)

Natural Beauty : Sandankyo

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子どもの頃よく訪れた、恐羅漢。広島で一番高い山で県の北西部に位置する。あたりは、西中国山地国定公園。昔は、川沿いを走る列車もあったが、今は廃線となり、車でしか行けない。ということで、なかなか、行けなかった。この日は、帰省中だが、カーシェアリングを使って、パパに運転してもらって、山深い所まで、連れていってもらった。たぶん、30年ぶりぐらいだろう。

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昔、山小屋のまわりは、背を覆うほどの草が生い茂っていた。今は、ブナの木に囲まれ、緑陰の中に山小屋があった。周りの山を歩きながら、つくしやぜんまい、秋は栗など、いっぱい取って家に帰り、食べるためにいろいろ下準備して食べたものだ。

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柴木川

その後、三段峡に行ってみた。こちらも久しぶり。国の特別名勝になっている。河原の石や山肌の巨岩、川の流れ、覆いかぶさるように枝を伸ばす樹々の様子は、山水画の世界。このあたりは、結晶している部分が少ない岩だったので、高田流紋岩と呼ばれる石であろう。

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二段の滝を目指して歩いていく。川沿いに数メートル上がった部分に遊歩道を作っているのだが、これが大変な苦労であったことを歩きながら思う。

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岩肌には湧き水が滴っている。赤い。鉄分が多そう。

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渡し舟に乗って、たどりついた二段の滝。水が冷たく、透明度が高い。

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三段の滝にも行ってみた。久しぶりに山の中を歩いた。自称『元祖 山ガール』の母は、現在84才。孫娘と先頭を交代しながら、さっさっと歩く。およそ3時間歩き回った。

また、もらったパンフレットの中に「たたら製鉄」の跡がある、とのことで、帰ってから調べると、このあたりの滝山川流域に山陰型花崗岩に覆われた地域があり、その中に含まれる磁鉄鉱がその原料となったことを知った。
これは、広島型花崗岩よりも新しい時代に作られた深成岩で鉄分を含む。

岩石中にわずかに含まれる鉄を取り出すために、多くの花崗岩が砕かれ、水を使って洗い流し、比重による選別が行われた。これは鉄穴(かんな)流しと呼ばれる。

流された土砂は、太田川に流れ、広島の河口のデルタ地形を作る一因となった。

人為的な土砂の流入は川底の上昇も招き、洪水の原因にもなった。1617年、広島城の石垣が壊れるなどの水害をもたらしたので毛利家に代わって安芸の国を治めた福島家は城を直したが、それが元で転封。浅野家に城主が変わり、治水対策として、1628年鉄穴流しを禁止し、広島平野の干拓等にあたったということだ。

1246年のこの地域からの献上品の中に鉄があったという記録から禁止されるまでのおよそ300年は鉄穴流しを行ったことで、現在 広島現代美術館のある比治山は島だったものが1600年頃には、陸つづきになっていた。

広島藩での太田川へつながる鉄穴流しは禁止だが、たたら場では、豊富な森林資源と豊かな水と島根で選別された砂鉄を使って、鉄は引き続き作られた。水運によって運ばれ、太田川下流域では、鉄の加工がさかんに行われた。それが、今も広島の産業として残っている。

結晶の大きい深成岩である花崗岩は、地下水に含まれるに二酸化炭素によって、粒子がバラバラになった真砂土に変化することも土砂の流入の原因だが、たたら製鉄による鉄穴流しも相当な量流されデルタ形成の一因となったことを知り、驚いている。


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2017年8月25日 (金)

Visiting a place :Japanese Olive

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Shodoshima Aug.1.2018

 小豆島に渡り、バスに乗ると、島のあちらこちらにオリーブが育てられていました。青みがかった葉色は、すぐにオリーブと分かります。島の南側中央部にあるオリーブ園に行ってみました。

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オリーブの実がたわわになっていた!!関東では、こんなに地植えで実がなっているのを見たことがなかったので、「すごい!」と思いました。1907年にオリーブの試験栽培を各地で行った結果、小豆島のオリーブだけが結実したそうです。。受粉後、日本では梅雨に入り、雨があたり、結実できないことになってしまうのですが、夏場の雨の少ない瀬戸内気候は、どうにか結実を邪魔しなかったというわけです。

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小豆島で育てられている品種は、ミッション、ルッカ、マンザネロ、ネバディロ・ブランコ。この時は、オリーブの株元にだけ潅水をしていました。そもそもなぜ、オリーブを日本で育てなければいけなかったのかということについては、「イワシの缶詰」に使うためだそうです。いわゆるアンチョビーの缶詰のことかな。


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作業している方にお話を聞きました。

雨が少ないといっても、当然、台風はやってくるので、収穫前に台風が来た時、実が傷ついたりしてしまうそう。傷がついたものは、オイルには加工できるが、塩漬けなどには、出来ないとのこと。

収穫は、手摘みで行うそうで、大変な作業だと思いました。

私は、2年ほど前から、オリーブの塩漬けを使ったモロッコ料理を作っていますが、それが出来るようになったのも、小豆島産の塩漬けグリーン オリーブが出回るようになったからでした。

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ここは、日本の地中海?と思うような景色を眺め、小豆島の人々が大事に栽培してきたオリーブや自然の美しさをじわっと味わわせてもらった一日でした。


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2017年8月24日 (木)

Craft for Children : 自由研究の折り本仕立て

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 子どもが大学生なので、自由研究もない夏休みを過ごしていますが、小中学校の頃は、旅行から帰ってきたら、この時期、「さあ、大変!」親も自由研究をまとめ上げるのを手伝うのに大変だったことを思い出します。

写真、資料、調べた文章などを上手くレイアウトして形にしていくのに、和装本の技術である『単葉折り本』仕上げを使ってまとめていくとカチッと仕上がって良かったので紹介します。

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こんな風に紙をジャバラにつなげるので、ページを増やすことが可能。中身の画用紙は、A3判を2つ折り。

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本のようにめくっていく面と裏面も使えるので、旅行中にもらった地図やパンフレット等も本文に関係のないものも後から裏面に貼っておくことが出来て、一括資料整理にもなります。

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表紙、裏表紙を貼り付けることで、かっちりとした本のような仕上がりになります。こんな風にしておくと保管も簡単。息子と娘のものがこれ以外にも数冊あります。
これは、A4判の文集用の模様の入った厚手の表紙をつけています。

●How to make (小さいめの紙で試作したものを写真にのせています。)

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表紙、裏表紙用のA4の紙 2枚
画用紙 表紙の倍の大きさ A3 必要枚数
両面テープ
のり

カッター
カッターマット

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中身の画用紙必要枚数を2つ折りにする。

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2つ折りしたものを山折りに置いた時の紙の片端に両面テープを貼る。

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2枚目の画用紙と合わせた所が山になるようにつなげていく。必要枚数つなげる。

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文字は、方眼のレポート用紙に書いたものを貼ると、文字の大きさもそろうし、レイアウトが楽。写真、資料など両面テープやのりで貼る。直接貼りたくない時は、写真用のコーナーシールを使うとよい。

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表紙、裏表紙は、中身が最終的に完成してから貼り付ける。両面テープを使い貼り付ける。

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折り本の上下がそろっていない時は、定規をしっかりあてて、カッターで切り揃える。

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表紙のタイトルも別の紙に書いて貼るとコントラストも効いて、見た目がいいです。名前や日付なども入れるいいですね。

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完成 これは、ひろしま美術館所蔵の私の好きなピカソの息子を描いた作品 『羊を連れたポール』の絵ハガキ。

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2017年8月23日 (水)

Visiting a place : Shodshima

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On the deck     Aug.1.2017          photo by cheer

 朝早く家を出て、小豆島に向かうフェリーにお昼前に乗り込んだ。新岡山港から小豆島の土庄港行きのフェリーで70分の小豆島に到着。息子が『小豆島は醤油の蔵が並んでいる所が良かったよ。』とすすめてくれていたので、まずは、『醤(ひしお)の里』と呼ばれる醤油や佃煮の会社が並ぶ地域へ。

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Wooden barrel to make Soy source  

島内南側沿岸部を通るバスに乗り、島の南東部に位置する創業1907年の「マルキン醤油記念館」へ。工場前にはかつて使っていた醤油色の杉の板で作った大型の樽が並んでいた。この一樽で1リットルの醤油5000本分が作れるそうだ。直径2m超え。
記念館では、昔使っていた樽や道具、麹室などや醤油作りの工程を説明した展示などがあった。

蒸した大豆や炒った小麦に麹菌をつけ「醤油麹」を作り、食塩水と混ぜた「もろみ」を樽の中で発酵、熟成させていくことで醤油が出来る。

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Marukin shoyu factory

記念館の建物も工場の蔵の建物群も昔ながらの木造。国の登録有形文化財となっている。焼杉張りの建物の一群で静かに敷地内に集まっていた。写真突き当りは、海。出来上がった醤油は船で運ばれていったことを思った。

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いつ頃建てられたのだろう。南北に長い建物で、天窓がはめてある。帰宅後、調べてみると100年以上経っている95mもある天然醤油醸造蔵であった。この中に先ほどの木樽がいくつも置いたあり、静かに醤油になろうと発酵しているらしい。ひっそりとしていて、」何してるんだろうね?」なんて私は言っていた。
木樽も建物の内部や梁や土壁などにも木の繊維や無数の孔の中にさまざまな酵母菌や乳酸菌が棲みついており、その蔵独特の風味が生まれるそうだ。温度や湿度は人工的に管理されていない自然の風や気温、湿度の中で蔵の中のひっそりうまみ成分たっぷりの醤油が作られていたのです。

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先ほどの蔵の北側には島内で最も高度のある山々に続く。山々の岩肌を見ると、瀬戸内海の多くを覆う花崗岩が見えた。景色と醤油作りは関係のないことにも思えたが、家に帰ってあれこれ調べてみると、小豆島でどうして醤油作りが盛んに行われるようになったのかがわかってきた。

江戸時代、この花崗岩は、近畿へ建築材料として船で運び出された。大阪城の石垣にも使われた。

島では、帰りの船に大豆や小麦を積み、新しく伝わった醤油作りの技術と島で作られる塩を使って、江戸時代から醤油作りが始まったということだ。

実は、「丸大豆醤油」とか、「天然醸造樽仕込み」などの違いや値段の差などの違いがスーパーの棚に並んでいるときに分かっていなかった。

今回、日本の醤油作りにおいても初期に生産を始めた小豆島へ行って、関心が深まった。美味しい醤油が欲しくなった。

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