2017年12月 2日 (土)

暮らしの中のMy Work : カード スタンド

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 季節に合わせて、手持ちのポストカードを変えたりしている。もう12月に入ったから、暖かそうな刺繍のポスト カードを選んでみた。自分で買ったものや母が送ってくれたものなど、ポストカードは手軽なアートとして楽しめ、ストックしている。これをわざわざ、額に入れることもあるけれど、以前に購入したガラス製のカードスタンドにポイっと立てるのが、手軽でいい。

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たぶん渋谷のBunkamuraで購入したような。色のついたものも売られていたけれど、透明にした。絵の邪魔をしないので、透明でよかったと思う。値段は、1000円もしなかったけれど、ちょっと、高いな、と思う値段だった。何回か行く中で、考えた挙句、購入したことを覚えている。実際、使ってみると、ガラス製なので、しっかり重みもあり、安定性にも優れている。高さもちょうどいい。家の中、色々なところに欲しいと思いながら、2個目を我慢していると、今では購入したお店でも取り扱わなくなってしまった。

ネットで調べると、たぶんこれだろう思う写真を一枚見つけた。でもそのガラス製造会社は、買収されてしまったらしく、同じものは、もう作られていないよう。残念だ。いい製品だったと思う。完全なマシン メイドではなく、上部の角が丸く溶けたような丸みがあり、氷のようにも見える。それにグラインダーで溝を彫っていた。だから、あの値段であったのだ。

ということで、時々、似たものを探しながら、数年経っていると、一つアイディアが浮かんだ。「石で作れるかも!」

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石は、篆刻を彫る材料として売られている滑石。「高麗石」という名前で販売されているが、中国産が多いそうだ。英語名で ”Talc" タルク と呼ばれるもので、ベビーパウダーや化粧品にも粉が使われている。石としては、硬度が1という硬さでとても柔らかい石だ。

だから、自分でのこぎりで切れる。3㎝角の高さ7㎝の石を3等分ぐらいに切った。そして、カードを立てる溝ものこぎりで8mmぐらいの深さに刻んだ。少しだけ、斜めにすると、カードが前に倒れない。あまり角度をつけすぎると、カードが倒れすぎておかしい。最初、角度をつけすぎたので、切り直した。3つ出来た。あちこちで使える。プレゼントにも出来る。参考にしたガラス製のカード スタンドとほぼ、同じサイズのものが出来た。

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耐水ペーパーで、表面を磨き、角も斜めに面取りした。もっと、角を丸くしたりしてもいいが、とにかく早く使ってみたいので。のこぎりの跡が見えない程度に磨き、カードを立ててみた。角度、OK.

先日、行った『安藤 忠雄』 展で購入した水の教会の冬景色のポスト カード。クリスマスが近いので、飾ってみた。きっと、「北海道は、もうそろそろ、こんな景色たな~」と思いながら、冬を感じている。


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2017年11月30日 (木)

About An Artist : Tadao Ando : 水の教会

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 安藤忠雄氏設計による北海道にある水の教会。25年前、ここで結婚式をあげた。安藤建築が自分の住まいになることは、たぶん、残された人生の長さを考えると、ないと思う。けれど、この日だけは、これからの自分の人生のためにこの建築物があり、ここで式をあげることができたことを幸いであると思った。今でも、その思いは変わらない。

教会というと、シンメトリーな配置に設計されるのが、普通。また、祭壇には、当然、十字架が据えられるが、その向こうは、壁面となる。人が集まるための広い空間に始まり、そこに行けば天国を感じることのできる美しさを体験できる空間が作られてきた。それには、ヨーロッパに多く産する白亜紀に作られた加工しやすい石灰岩やそれがマグマの熱におって変成した大理石が使われた。それを積むという建築方法を基本に教会の建築は技術が進歩していった。

安藤建築のコンクリート造の教会建築は、それらの枠をいったん取り払い、新たな軸組工法による自由な発想の教会建築を実現させている。安藤さんがル・コルビジェが1955年に設計したロンシャン聖堂に若い頃に訪れた時、その当時、安藤さんが持っていた建築の常識を完全に覆すような自由な表現の可能性に気付く体験をしたそうだ。

このような旅の体験、本物に触れ、自分で得た感動が安藤さんのその後の仕事に大きく影響を与えているようだ。

アニミズムを信仰のベースにしていた日本人にとってのキリスト教のための教会建築に祭壇方向に空、山並みと樹木、水という景観を取り込んだ水の教会は、私たちの心にもすっとなじむ教会建築を提案した形となった。

私自身は、これがきっかけで安藤建築への興味がスタートとなった。

式が始まると、祭壇側の大きな一枚ガラスが右側にスライドしていった。これは、知らなかったので、私も皆もびっくりした。

涙で胸が詰まりそうな時間であったが、窓が開いて、外から風が吹き込んでくると、気持ちが一気に軽くなった。

おまけにかわいいチョウチョも飛んできて、なんと、私の頭につけていた花飾りの上にちょうど、とまったようだ。

家族がそれをじっと見ていたらしく、式後、「チョウチョがとまったんだよね~!」と口々に言っていた。ちょっとしたハプニングがとても楽しかったらしく、今でもその話は、思い出の一ページとなって、母が子どもたちにも話している。

あれ以来、一度も訪れてはないのだが、今回の展覧会で、水の教会の平面図やドローイングのリトグラフを見ることができた。前日に牧師さんと話をした部屋はこうなっていたのか、なんて新発見しながら見ることが出来た。

新たなスタートを自然に誓ったという思いが今でもある。


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2017年11月25日 (土)

季節のBlooming Flower :カメリア サザンクワ ゛富士の峰"

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Camellia sasanqua cv.' Fujinomine'   Nov.19.2017

マンションの山茶花。咲いています。樹々の紅葉、落葉とどんどん冬景色になっていく中で、ダーク グリーンのつやのある葉の中、透けるように白い花びらが幾重にも重なるこの花が咲いた。なんだか、ばたばたとした日々を過ごした後の、この姿にすーっと深呼吸し、自分を取り戻せたような安らぎを感じた。

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植えつけられた時よりもぐんと生長し、立派な枝ぶりになった。植え付けられた時の写真はこちら

いい造園さんが入ってくれるようになり、のびのび、花をしっかり咲かせながら、樹形を整えてくれ、立派になった。

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東日本の沿岸部と西日本の潜在自然植生は、常緑広葉樹林体。照り葉のヤブツバキ(Camellia japonica)。これと同じ属にあたるサザンカもまた。このあたりの土地に合っているものだ。このようにしっかり根をはる土地本来の植生は、火災や地震の際にも延焼を食い止めたり、家屋の倒壊をとどまらせたりする。これは、宮脇 昭氏による『鎮守の森』という本で知ったことなのだが、阪神・淡路大震災の際に、このような考えで、宅地開発の後、植林された地域では、被害が樹木によってが回避されていたということだ。

ツバキなどは、公園でもよく見かけ、地味な樹木で、東日本以西の人から見れば、目新しいものは何もない。
珍しいものに人は目を奪われ、植物もブームがありけれど、どこか、合わずに、突然枯れてしまったりする。そんな植物は、見ている方にも痛々しい。

けれど、このサザンカのようにひっそりとしっかり生長している美しさを持っている樹木は、霊気さえも漂わせているいるかのように魅力的だ。

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2017年11月23日 (木)

Maintenance : 傘の修理

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Magritte-esque umbrella

昨日の冷たい雨に濡れた傘をベランダで干していると、空は青空に。
たたむ時に本物の青空とリンクして、傘からのぞく空もいい気分。

マグリットの描く青空に浮かぶ、雲のよう。

この傘は、昔、日本にもお店があったNature Companyで買ったMoMAのMusueum goods。

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今でも、多少、雲の柄も違うようだけれど、外側が黒く、内側が青空と雲のデザインで販売されたいる。
表参道にもお店が出来ていて、見かけた。

少なくとも購入してから、23年は経過したような・・・。

骨が折れたので、使えない時期もあったけれど、いつか直そうと思い、捨てないで、持っていた。

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こんな修理部材を準備すると、直せた。ホームセンターで購入できるのだけれどとりあえず、傘の修理セットというものを購入したけれど、ちょうどいいものが中に入っていなかった。部材は、色々種類があって、果たして、どれが、必要なものか、なかなか分からないで、時が過ぎてしまっていた。

結局左から2番目が、今回の傘の折れた骨を直すのに使えた。親骨というメインの放射状に広がる骨が折れた時に、それを包み込むように補強するもの。「四ツ爪」というらしい。
左から3番目は、メインの骨を傘が広がった時に真ん中あたりで支える受け骨が折れた時に使うもの。

左奥は、万能爪といい、親骨と受け骨をつないでいるリベットの部分も壊れた時に、使えるらしい。

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直した部分。先ほどの部材をラジオペンチなどを使って、爪を折って、取り付けた。頭を傘の中に突っ込んで、直すので、ちょっと難しかった。

でも、ちゃんと直せると、また使えるようになった。近所のお使いに行くときなど、この傘で、雨でも明るい気持ち。

最近、風の強い雨の日もあり、骨が折れて傘を捨てなくてはいけないことが多い。樹脂製などは、こんな風には、直せないので、どうにかならないものか、と思う。昔の傘は、強かったし、こんな修理でまた使える。

ものの値段を下げるために、作りや材料の質を落とすようになったのは、バブル崩壊以降の安易な悪い製造方法。

ここ数年、何回、傘をばらして、捨てたことか。なるべくなら、直して使いたい。


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2017年11月20日 (月)

About An Artist : Ryuichi Sakamoto :CODA

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昨日、有楽町の映画館に坂本龍一さんのドキュメンタリーを見に行った。
先週ニュースでこの映画のことを知り、どこで上映しているか、調べると、東京でも2館のみの上映で、見逃してはなかなか見られないかもしれないと思い、行ってきた。昨年は、娘が"Revenant"の試写会に抽選であたり、実は初めて坂本さんのピアノ演奏を聞くことが出来るという幸運に恵まれた。治療のため、お休みされて以来、久しぶりの映画のため作曲された作品で、ストーリーも厳しいが音楽も絶望の淵に吸い込まれそうな大変厳しい音楽であった。今回の映画でも語られていたが、やはりご本人も厳しい状況での仕事だったようだ。以前の記事はこちら

今まで、紹介されてきた活動や演奏の足跡を追ってきたTV映像なども使われ、新たな映像、もちろん音楽とともに、ご本人の回想インタヴューとともに綴られていた。

タイトルのCODAって音楽の記号。to Vide_2「コーダへ」という部分から小節の左上のVide_2Codaへ飛び、そして、曲は、終結部に入り、終わりを迎える。それまで、さんざん繰り返し記号で初めへ戻ったり、もう一度印象的な山場を演奏したりした挙句、CODAが出てくると、いよいよ終わりに近づくよ、となる印だ。Vide_2は、イタリア語で゛Vide"「見よ」という意味だそうで、それまでは、無視して演奏するが、最後はしっかり見て終結部へ向かうように楽譜の中でも目立つ形にしているらしい。

映画で時代を追いながら、見ているとどうしても自分のことも思い出された。YMOとの出会いは『ライディーン』だったが、大学時代、先輩が、バンドを学園祭に向けて、結成するという。なんでもYMOの曲をするとか、なんとか・・・。それにつられて、入り、キーボード担当で楽譜もコピー譜をもらったが、家には、アップライトのピアノしかなく、キーボードなどない。そこで、高校時代の友人のKurzweilのキーボードを借りにいった。映画の中でシーケンサーを使う場面が出てきたが、結局、説明書もなく借りたので、シーケンサーも上手く使いこなせなかった。みんなもタイトなリズムキープは出来ずにYMOのコピーは、崩壊してしまった・・・ことなど、恥ずかしいことを映画の後に思い出した。

まねしたくなるほど、私は「YMOはかっこいい!」と思っていた。

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Kamaishi port in Iwate prefecture            Aug.11.2011

震災で水に使ったピアノを坂本さんが弾くシーン。

2011年3月11日。東日本大震災の後、震災のニュース映像がテレビに映された時、倒れて、泥にまみれたピアノを見た。あのピアノを弾いていた人の普通の暮らしが津波に奪われた。突然、多くの人が津波にのまれたことを思うと、心残りであったろうと思わずにはいられなかった。

その後、8月に東北出身のGeographerであった父がこの震災の状況を私や孫たちに見せたいと被災地に連れていってくれた。それは、TVでは表現できない津波の凄まじさを私たちに伝えるものだった。

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震災後、皆、出来ることは何か考えたと思う。また、人生の終わりの日は突然訪れることも自覚したと思う。その後、父も闘病の末、他界した。極寒の地から灼熱の地まで調査に出かけた父は、今までの仕事をすべて、整理し、記録を残してくれた。まだ、全部は読むことが出来ないが、書いたものから父の考え方を知ることが出来る。1,2年のうち一晩ぐらい、笑顔の父が夢に現れ、大事なことを伝えに来てくれる。本当のことだ。

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async

今年4月に出たアルバム『async』にまつわるシーン。

一緒に映画に行ったパパさんは、先日、娘に「一番好きな映画は何?」と聞かれて『惑星ソラリス!』と答えたばかりだったそうで、映画の後、「すごーい。坂本さんと趣味が同じだ!」と喜んでいた。パパさんは20歳ぐらいの時に見たそうだ。そういえば、パパの撮る写真に映像が似ているような気もした。

私は、『惑星ソラリス』〈1972年 タルコフスキー)については知らなかったが、そこで、BGMにBachの゛ Ich ruf zu Dir, Herr Jesu Christ (BWV 639)"を挿入している場面を今回の映画で見た。

鳥の声など主人公のいる草むらの周辺から聞こえてくる音に耳を澄ましていると、バッハのオルガンのコラールが流れてきた。自然界の音と音楽、そして映像があっていた。不思議な感じだった。タルコフスキーがどうやって、このアイディアを思いついたのかは、わからないが、子どもの頃、Sunday schoolに行っていた私は、礼拝の初めてと終わりに演奏されるバッハなどの長めの曲をじっと聞いているのが、実はつらかった。しかし、目をつむりながら、頭の中にお話を想像するようにして聞くようにするとなんとかじっと聴けるようになった。もしかしたら、タルコフスキーも子どもの頃、こんな空想体験があったのかもしれないと思った。

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『async』の中の坂本さんの曲「solari 」は、『惑星ソラリス』のバッハのコラール(ルター派の讃美歌)に代わるものとしてとして作った、と言われていた。何か、聴いていると、私は、子どもの頃が呼び覚まされるようだった。夕焼けの中母の元に帰るようなノスタルジックな気持ちになる。それから、子どもの頃聞いた、オルガンのフガフガしたようなシンセサイザーの音色も過去の記憶を呼び覚ます。

『async』には、いろいろな音が存在している。その何かわからない音に聞き耳を立てる。聴覚は、危険を察知するために視覚より早く反射行動を起こすという。この何か得体の知れない音に注意しながら、これは何かと状況を判断しようとしている。

また、以前に知ったことなのだが、小鳥のさえずりとフルートを聴いた時と、脳は、どちらが活性化しているかというとことを調べると、小鳥のさえずりの時なのだそうだ。

こう考えると、今、音楽として限定的に使われている音は楽器や人間が可動できるかという範囲で作られたもので、その中で、喜怒哀楽を表現してヒットしたとか、上手いとか話題にしているものだ。

実は、どんな演奏家も自然の音には勝てない反応を人間の脳は示しているわけで、多くの音楽を演奏し、音を作り、作曲してきた坂本さんはそのことに気づき、何年か前より、自然界の音や町の音などを録音している。やみくもではなく、今の自分の心の風景に合う音を聴きたい、そしてそれを使いたいと探している。それは、新しい音というわけでなく、人の心に過去の記憶を掘り起こす音もある。

ラスト シーン。バッハの平均律クラヴィーア曲集 第1巻「プレリュード1ハ長調」(Das Wohltemperiertes Klavier 1 "Preludium 1 C dur" BWV846 )を一人で弾いていたシーン。

この曲を求めているんだと思うと、最後、涙が噴き出した。

自分も何か嫌なことがあってもこの曲を弾くと、脳幹に響くようで、心が安定する曲だからだ。自分自身に聴かせる曲として位置付けている。癒しの力を持つ音楽は確かに存在する。

音の持つ力を見つけ、また新しい音楽に挑戦している坂本さん。

Vide_2Codaに入ったとしても、poco a pocorit.や日没を表すというPoint_dorguesvg_2を譜面につけVide_2をじっくり感動的に演奏していってほしいと思っています。

 


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2017年11月17日 (金)

About An Artist : Tadao Ando ゛Endeavor"

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Added Ando's Drawing in this exhibition's catalog

先日の日曜日、安藤忠雄氏の展覧会に六本木 国立新美術館に行ってきた。安藤さんの設計した水の教会で結婚式をあげてから、25年。それから、前向きな姿勢に私自身も影響されて、チャレンジすることに勇気をいただいたと改めて思う。私が最も、すごいなと思ってきたのは、夢を現実にするパワーだ。

それが、一番表れているところは、安藤さん自身だ。経歴の最初に必ず、書かれているところ。『独学で建築を学んだ。』ここだ。簡単な一文で表されているが、この言葉の裏の壮大な夢と努力に人として、敬意を払わずにはいられない。

『信ずれば、道は開ける。』と身を持って、教えてくれた方である。

実際に、お会いしたことはないが、NHKのドキュメンタリー番組や人間講座、若者との対談、書籍等で人柄を知り、大阪弁で、はっきりと話をすすめていく安藤節に勇気づけられ、すっかりファンになっていた。

今回の展覧会は、一番大きな展示場が使用され、今までの数々の建築作品のためのスケッチ、設計図、模型、写真、映像がテーマごとに並べらてれいた。美術館中庭には、光の教会の原寸 模型が作られていて、そこに入ると、都会であることを忘れ、私も周りの人々も、暗闇からもれる光の十字架を見ながら、しーんとして敬虔な気持ちになっていた。

サプライズだったのは、展示台や壁には、安藤さんが当時の現場の解決するべき点を考えながら、考えていたイメージ スケッチがマーカーでさらさらっと描かれていたところ。今でも、一つひとつの作品が昨日のことのように思い出されるのだろうな、と思った。描きながら、ベストな形、アイディアを探し続けた思索の片鱗を見せてもらったようだった。上の写真の今回の展覧会カタログの直筆サインとスケッチにも驚いた。ありがとうございます。

壁に描かれた安藤さん直筆スケッチを見ながら、「美術館は、これは捨てられないな~!」と思っていると、今年の夏訪れた直島のスケッチもあった。

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View from Chicyu arts museum                           Aug,2.2.2017

 1992年に開館した安藤忠雄氏設計による直島のベネッセハウスをはじめとする一帯の建築物を小豆島に一泊してから高松港から入って、めぐった。撮影は禁止なので、敷地から見える瀬戸内海が上の写真だ。これは、地中美術館からのもの。

水の教会もそうであったが、地中美術館にいると、自分が今どこにいるのか、わからなくなった。単に方向音痴だから、ということではなく、通常の箱状の建築物にならされているため、壁が斜めに立ちはだかっている空間や斜めに下がっていくスロープ等、あれれ、どこに行くの?という感じだった。

暗い通路を迷うような気持で歩いていると、急に空がパアーと広がって現われたり、開放感のある大きな窓から景色がドーンと表れる。そういった、ドラマチックな演出が安藤さんの建築にはある。子どもの頃見た、白昼夢のような、ありえないような空間が実在し、確かに自分がそこにいる不思議な感覚を経験した。

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At the pond near Chichu art museum Aug.2.2.2017


建物だけでもおもしろいが、展示作品、クロード・モネの『睡蓮』は、室内の展示室では見られない絵の具の輝き、特に、紫色の絵の具が非常に美しく見えた。天窓による拡散光により、久しぶりにモネを見たという気持ちになった。25年前、パリのオランジェリー美術館でみた2室の楕円形の部屋の壁面にはめ込まれたモネの睡蓮の連作の感動を思い出した。オランジェリーの天窓は、モネの提案によって作られたそうだ。やはり、外光の元で描いた印象派は、自然光の効果が分かっていたのだ。等々、展示作品にも浸りながら、時々、遠くの海の色や空の青を見ながら、優雅な一日を過ごした。外国人観光客もたくさん訪れていた。夕飯時には実家に着きたいので、島を離れることにした。

岡山の宇野港へ向かうフェリーに乗った。大して、スピードも出さずに、島沿いに船は走った。

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Naoshima 

ぼーと外を眺めていた時、この旅の最後に見た直島の姿は、痛々しく、私にどうして?と疑問を投げかけるものだった。花崗岩の島肌がむき出しになっていた。そういえば、瀬戸内海の島々を見ながら育った私にとって、美術館のまわりの植生の生育が今一つよくない感じが滞在中していた。

実家に行ってから、色々調べると、島の歴史がわかった。直島は、明治時代に精錬所を誘致し、島の産業としたが、その結果、煙害による環境汚染が進み、植物が生育できなくなってしまったのだ。

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現在、隣の豊島に不法に廃棄された阪神工業地帯からの産業廃棄物を焼却する高度な処理施設もあり、環境に害を与えない形に焼却している。今年、豊島からの最後の廃棄物が運び出された、という朝のニュースを思い出した。見えた黒い灰の山は、それだったのだ。

高度経済成長の中で、何も言わない自然環境は軽んじられてしまったのだ。私達のバランスを欠いた考え方が引き起こした結果がこのような島の姿を生みだしたと思うと、自戒の念にかられた。

安藤さんの今回の展覧会のスケッチに、「1989 Naoshima」とかかれたスケッチがあるが、最初の印象であろう、島の樹々が失われてしまった状態を「はげ山」と書き残していた。

それをクライアントとともにどうにかしたいと思い、実現させていった夢の途中が25年経過した今の直島の姿なのであった。夏以来、ずっと、アートの島として、人気を集めている直島と周辺環境のギャップに何とも言えないものを持ち続けてきたが、今回の展覧会で、解を見つけた感じがした。

自然を取り戻すのには、時間がかかる。だから、夢を描いて、一つひとつ育てよう、というのが安藤さんの頭の中にはある。建築もするけれど、木も植えるのが安藤さんだ。

だから、建物は、地中に建て、最終的には、緑に覆われた島に戻るように設計したのだった。

安藤さんは、大きな夢を描き、皆とともにその方向を示してくれた。


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2017年11月 8日 (水)

Veranda Garden : イタリアン パセリ

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Petroselinum neapolitanum

 今年の初夏にバジルの苗と一緒に購入して、コンテナーに植えたイタリアン パセリ。ずっと、収穫出来ています。
ほんのちょっとポタージュを作った時に真ん中に浮かべたり、スムージーに入れたり、先日、作ったイワシのマリネを食べる時に、刻んだものをかけたりと、色合いもよくなって、香りもフレッシュに食べられた。すぐそこにあるので、便利で美味しい。

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こんな感じで、育てている。植木鉢は9号鉢(直径27㎝)ぐらいのDEROMAのシリンダー ポット。そこに鉢底石(軽石)、自分で配合した土を入れて、苗を植え付けた。酸度などもあまり調べないで、植えたけれど、じわじわと株が大きくなってきてくれた。食べる時に、キッチンばさみで必要量カット。

今、欲しいのは、昔、Williams-Sonomaで見た。ハーブ用のまな板とナイフ。Herb chopperというもの。正方形の厚手の板の真ん中が円形にくぼんでいて、そこに両側に持ち手のある弓型のナイフを使って、生のハーブを刻むもの。

Conran Shopにも入ってくるときもあるのかもしれないが、今まで欲しいと思ったことがなかったので、探していなかった。ちょっとした台所小物だけれど、そんなものがあると、パラパラとした葉を刻むのに都合がいいと今頃、思う。

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2017年11月 6日 (月)

Container Gardening : 秋のコンテナー

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Pennisetum setaceum 'Robrum'          Oct.30.2017
                                            
毎年、マンション前の秋のコンテナーは、ここ最近3年間は、バックに学名ペニセタム セタケウム ’ルブラム’通称カラーファウンテン グラスを使っている。2015年に購入してから、どうにか毎年、その株を使っている。今年は、穂もいっぱい出たと思う。

この角度から見たところを近所の英国人が”Japanese Style. Like Zen!”と自転車に乗りながら評してくれた。

このススキのようにたなびく野趣ある姿は、日本的な風情を感じさせるようだ。

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Front:Dianthus superbus

手前に現在は、ほふく性のあるナデシコを二鉢入れている。先日、植えたので、まだ花が少ないが、かなり濃いめのピンク色で微妙に模様が見えるタイプ。ペニセタムのえんじ色と同じ色相を持つ彩度の高い色を持ってきている。

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Calistephus chinensis                  Sep.10.2017

秋の初めは、アスターを入れていました。開花株だったので、一度咲き終わった時、寂しいので、先ほどのナデシコに植え替えている。

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                                                       Nov.12.2016

これは、昨年のもの。ピンクの八重のキクの開花株を入れたもの。

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                                                      Sep.22.2015

これは、一昨年のもの。レンガ色のキクを入れたもの。このキクの色がきれいだった。

というように、カラーファウンテングラスは、秋のコンテナーにぴったりのグラス。
冬用には、違うコンテナーを作るので、この後、一旦引いて、冬の間は、コンテナーの植物は、そのまま時々水やりして管理しておく。

春先、ざっくり、稲刈りのように葉を切ると、きれいな葉がまた出てくる。そのあたりで、株分けしてもいい。

根腐れさせるのがだめにする原因だと思うので、コンテナー栽培の時は、水をやりすぎないようにする。


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2017年11月 5日 (日)

Organizing ideas : ラベリング

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 小さな小物を入れておくのに、フランスのマスタード MAILLE の空き瓶をよく使っている。食べ終わったら、瓶を洗って出番を待機させておく。美しい瓶はいいのですが、何が入っているのかラベリングしておくことが大切。手芸小物は引き出しに入れており、上からのぞくので、瓶のふたの部分にDYMOテープ ライターで文字を打ち出している。

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以前に紹介した自作のスパイス ラックもこの瓶に合わせてサイズを計画し作ったものだが、瓶の側面に名前をラベリングしている。これがないと、いくら植物が好きな私も匂いを嗅いでも「あれ?」と何が何だかわからないものもあるので重要。スパイスは、ブラック ペッパー、ターメリック、クミン、コリアンダーなどよく使うスパイスは、お得な袋入りがあればそれを買い、ここに小分けしておく。スパイス ラックの記事はこちら

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ローズ マリーなど生のハーブを乾燥させて、入れているものある。最近は、黒のテープばかりを使っているが、以前は、こんな木目調のテープもあった。所詮、プラスチックなのではあるが、やはりこんなフェイクなものでもなんだか、よかった。

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家の中で、他には?と探すとあった。もう大学生の息子のLEGO ブロック。子どもの頃、レゴのClass room packなるものをサンタさんが持ってきてくれたので、たくさんある。友達がそれを知って、よく遊びに来てくれたのだが、
全部ひと箱に入れると、次に作る時に部品を探すのに時間がかかる。なので、大人のレゴ ビルダーさんもこのようにしていたのを見たのを参考に、無印の収納引き出しに種類別に入れてやった。

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といっても、あまり厳密でなくてもいいので、「あか ちいさい」、「タイア」などと、打ち出してそこに入れさせるようにした。引き出しは、ボックスのように引っ張り出せるので、結構、ちゃんとみんなで手分けして入れてくれていたように思う。

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DYMOは、つるつるした表面に貼るのがお得意だが、こんな段ボールにも使っている。どんどん積み上げた箱にも側面の見える部分につけておくと季節のブーツなど各自、自分で引っ張り出してくれている。。

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最近、これを使っている。実は、DYMO自体は初めてで、それまでは日本製のUniというテープライターを使っていた。小学校3年生の時の友達が持っていて、さんざん私の名前を打ち出したテープをくれたので、自分も欲しくてお誕生日プレゼントに買ってもらった思い出のものだった。
なんと、40年も使っていたほど、丈夫だった。テープの粘着力もすごい。先日も旧姓で打ち出されたものが出てきて、私が天国にいってもくっついているのでは、と思ってしまう。本家のものと書体は微妙に違って、以前の方が実は好きなのだが、どうも摩耗してきてので、最近買い直した。

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テープを後ろに入れて、ディスクを回し、エンボス加工するところはまったく同じ。というより、こちらが本家。

職場に持っていったら、「昔、ラケットによくこれで名前をつけていたね。」なんて声を聞いた。そうそう、そうだった。
今時、と思う方もいらっしゃると思うが、電気を使ったり、テープがはがれたりすることが、ほとんどない、ポータブルなこちらの方が私は好き。そして、発売以来、ずっと商品が存在していることに信頼をおいているものだ。


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2017年11月 3日 (金)

Organizing ideas : 傘かけバー

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 玄関にある靴箱の隣の傘をかけておける物入れ。奥の方にステンレスのバーが一本取り付けてあった。でもこれが、とても奥で、高さも低く使い難い。こども用傘ならいいけれど、大人用はかけられなかった。そこで、手前にもう一本、大きな傘もかけられるような高さにバーを取り付けました。

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正式名称は、「ステンレスパイプ ソケット」。ホームセンターや金物屋で販売されているのを見つけてきた。ステンレスパイプ径10mm用の製品だが、家にあった直径1㎝の木の丸棒を入れることに。ステンレスパイプを使う場合は、内寸よりも5mmぐらい短いサイズにホームセンターでカットしてもらうといい。今回は手持ちの径10mmの木の丸棒をのこぎりで自分でカットしたものを使った。丸棒は、取り付ける前、茶色のオイルステインを塗っておき、扉の色と合わせた。

位置決めしてから、キリで少し下穴を開けてから、木ねじで取り付け。棒を通して、仮のもう一方のソケットの位置決め。

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平行器(手前のミニを最初に購入。今回のような小さな部分の平行を見るのに便利。奥は庭仕事用に購入)

平行器でバーが傾ていないか確かめ(水の中の泡の位置で平行を確かめる。)、位置決めし、取り付け。

フックも手持ちであったので、何本か、取り付ける前に棒に通しておいた。

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奥は、手が届かないので、ほとんど使わない。昔、子どもが使っていたなわとびや小型の日傘などをかけている。手前は、大型の傘。底板には、水滴受けもちゃんとあったので、本来は、傘を収納する場所として作られていたことは伺えるが、濡れた傘をここに収納したことはない。結構、造作は、いい加減であった。

真面目に考えて、手前にバーを一本入れることで、傘がいっぱいかけられるようになった。

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2017年11月 1日 (水)

Organizing ideas : スリッパ ラック

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DIYでつけたスリッパラック。入居して20年だがら、19年前ぐらいかな。両開きの下駄箱の扉の裏に4本ステンレス バーを取り付けています。わざわざ、スリッパ入れを廊下に置くのが嫌だったので、このようにしました。

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扉の幅は45㎝だから、40㎝ぐらいになるように計画。ホームセンターで、金物を購入。「首長ブラケット(ゲンコ)片」という名称でうられている部材を必要数。このブラケットの高さは、5㎝ぐらいありますが、スリッパの甲の部分が薄いスリッパは、落っこちてしまうので、もう少し高さが低くても良かったと思っています。

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バーは仕上がりを40㎝にするので、ステンレスバーを少し短めの39.5mmにします。これは、ホーム センターでカットしてもらいました。それが、面倒であれば、直径1㎝の丸棒を買ってきて、「現場合わせ」でのこぎりでカットすればいい。(実際、次回紹介する、傘かけは、木の棒を使いました。茶色のオイルステインを塗布)

取り付ける場所に印をつけ、片方のブラケットを取り付ける。
きりで下穴を開け、付属の木ねじでとめる。
バーを通し、もう一方のブラケットの位置を決める。水平器をあてて、バーが傾いていないか、確かめて、位置決めしてから、ねじ止め。

我が家の下駄箱の扉は、角材で枠を使って、両面をボードで覆っているもので中空になっているもの。このボードにねじがくい込んだので、どうにか、取り付けが出来ました。下地がどうなっているのかは、大切なこと。

こんな調子で、ご近所のスリッパ ラックも取り付けて差し上げた。今もとれたりしないで、健在です。

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2017年10月28日 (土)

□Useful tools : 水フィルター掃除機

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KARCHER DS 6.000

掃除機が壊れてしまったので、新しいものに変えた。使って半年ぐらい、いいかなと思っている。
なんと、紙パック式でもなく、サイクロンでもない、水フィルター式というもの。一番良かった所は、排気がきれいなこと。子どもたちは、二人ともアトピー体質で、掃除の排気にくしゃみをしたり、嫌でマスクをかけたりしていた。
しかし、この掃除機の排気は、「大丈夫だよ。」といって、部屋を離れたり、マスクをかけたりしなくてもいいよう。

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中は、こんな感じ。タンクが取り外せて、そこに水を入れる。吸い込んだゴミは、97%は、水の中に、オレンジ色の枠の高品質防虫フィルターで99%、最後は排気口にもHEPAフィルターというのがあり、そこで埃を最終的に0.3μまで集塵し、99.99%留まらせることができる、と説明書には書いてある。ちなみに塵の大きさは、1μ:室内浮遊塵、5μ:バクテリア、15μ:ハウスダスト、50μ:花粉。

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お掃除の時に水を底から4㎝ぐらい入れて、掃除すると、吸い付くように吸引していく。終わったあとは、水はグレーで、埃が固まりになって、浮いている。吸い取ったゴミが目で見えるので達成感がある。台所の排水口には、ネットをつけているので、そこに流し、この水フィルターコンテナ類は、洗ってベランダで乾かして掃除終了。ゴミの始末も特有の匂いもまったくなく、こざっぱりと終われる。時々、オレンジ色の枠のフィルターも洗う。

私は、ベランダにコンテナーを多く置いているので、土埃も室内に入る割合が高いと思うので、掃除後の埃もしょうがないな、と思っていた。しかし、この掃除機にしてから、舞い上がった掃除後の埃も気にならず、前の掃除機に比べると、空気もきれいになっているような感じ。

購入してから、面白くて家族みんなであらゆるものに掃除機をかけた。ソファ、お布団、棚の上、埃を吸いやすい電化製品・・・etc.

舞い上がった棚の上の埃をモップなどで拭く回数も少なくなった。欠点は結構日本の掃除機に比べて本体が大きいことと、水を入れるので、キャスターの跡が微妙につくこと。ワックスがけは今年はしていないので、年内にワックスがけをして、被膜を厚くしておきたい、と思っている。


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2017年10月22日 (日)

About An Artist : 運慶と和田義盛

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和田海水浴場

東京国立博物館で開催中の『運慶』の展覧会。ぜひ、拝観したいと思っていたのが、神奈川県の三浦半島 横須賀市 浄楽寺にある阿弥陀如来坐像とその両脇侍立像だ。期間中10月21日より公開。鎌倉幕府 初代侍所別当を務めた和田義盛が運慶に作らせたという。

母の旧姓は和田。どこでどうつながっているのかは、本当かどうかわからないが、子どもの頃から「和田義盛」の名前は聞いていた。母も私も鎌倉から遠く離れた場所で生まれ育ったので、鎌倉、三浦半島に和田義盛ゆかりの場所がたくさん残っていることについて知らずに過ごしていた。東京にいた伯父は自分でいろいろな資料を持っていて私に話してくれたけれど、その頃の私には遠い昔の話であった。

知人の歴史好きの米国人が "Do you know Onna samurai ?" と聞いてきたので、「北条政子のことかな?」と思ってネットで調べているとどうも巴御前のよう。

巴は源義仲と戦場で別れた後、鎌倉に連れて行かれて、その身柄を和田義盛が引き取り、妻(その頃は多妻)にした・・・という話しもあることを知り、「あれれ、あの和田義盛~!」と一気に興味を持って自分で調べるようになった。ネットで調べていると、義盛の生き様は、鎌倉の歴史を調べている人々から今でも人気があるということを知り、ますます興味を持って調べていくこととなった。

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和田城址 三浦市の看板によれば、『巴御前が義盛に預けられここで余生を送った・・。』と書かれている。

それ以来、子どもの頃見た1979年のNHKの大河ドラマ『草燃ゆる』をオンデマンドで見て、和田義盛が頼朝亡き後、北条義時の謀略に耐え切れず、兵を挙げ討たれた和田合戦のシーン(総集編 第5回 尼将軍 政子)を再び見たり、江ノ電の和田塚駅の近くには、和田合戦で亡くなった人々の塚があること(地域の人が弔ってくれたもの)、若宮大路の鶴岡八幡宮に近い場所の屋敷の場所を古地図で確認し現地に行ったり、朝夷名の切り通し(義盛の三男 怪力で知られた人物)、三浦半島の浄楽寺(今回展示されている運慶仏のあるお寺)、白幡神社(義盛を祀っている)、和田城址、伝巴の塚、千葉の房総半島 和田の所領地等も数回かけて訪ねた。

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三浦半島 海岸段丘上の畑 義盛の頃より穀倉地帯。食糧が戦陣に送られた。

そこで見えてきたものは、富士山と海の見える三浦半島を拠点として船を使って海を自由に行き来し、田畑を耕し、武芸の鍛錬をし、有事に備えていた。特に弓の名手であり、源頼朝の先陣として活躍し、一族をあげて、鎌倉幕府を盛り立てていたという姿だった。

残された文献で義盛について書かれているものとして『平家物語第11巻 遠矢』に1185年 壇ノ浦の戦いにおける義盛(和田小太郎義盛)の様子が記述されていて、その短気な性格が表れていて、おもしろいことや周りの人々にも愛されていたことが伺えて興味深い。

『吾妻鏡』では、2009年に吉川弘文館から現代語訳が出版されており、1213年 5月和田合戦までの記述の中に侍所初代別当として活躍した和田義盛(和田左衛門尉義盛)の名前が随所に記録されている。

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由比ヶ浜 義盛 最後の地 現在は、鎌倉の頃よりも沖に海岸線が広がっている。

和田合戦の部分では、やるせない気持ちになって、読んだ。和田合戦の部分に『朝夷名三郎義秀〔38歳〕と数名は海辺に出て、船を出して安房国(現在の千葉県南房総)に赴いた。その軍勢は5百騎、船は六艘という。また新左衛門尉(和田)常盛〔42歳〕・・・・・・・・・・、和田新兵衛入道(朝盛)以上の大将軍六人は、戦場を逃れて逐電(逃げて行方をくらますこと)したという。』 :現代語訳 『吾妻鏡 第21 5月3日』 がある。

このことから和田義盛の末裔も各地に散らばったことが確認できるが、同じ名前が亡くなった人の中にリストアップされていたりして『吾妻鏡』の誤記も存在し、私と義盛とのつながりも可能性が出てくるが…等、望みを感じてはいるが、よくわからないので、現地調査にまた出かけたい。

和田義盛の最後は、司馬遼太郎氏が指摘した『名こそ惜しけれ』(後世に残るような恥ずかしいことをするな)の精神を貫いて、一族をあげて北条に対する抗議を形に表した形で命を落とす訳だが、多くの戦に出る中で、死に対する心構えを常に持っていたと思う。自分も多くの人の命を奪い、明日は我が身という死への不安は常に根底にはあったであろう。

そこで、阿弥陀如来造仏、お堂の建立を生前より準備していたと思われる。
運慶とは、北条時政が願成就院の造仏を頼んだことから、その対抗心から頼んだ、という話がある。それもあると思うが、1180年の南都焼き討ち後、1185年には源頼朝の絶大なる後援もあり大仏開眼供養、1195年には大仏殿完成供養が執り行われた。その間、何度も奈良に鎌倉から頼朝も和田義盛も出かけており、奈良仏師の技量についても目で見て確認していたからこそ、頼むことにもなったのであろう。

また、源頼朝も、1192年 永福寺という奥州藤原氏の作った平泉の寺院を模した寺を鎌倉に建立し、亡くなった御霊を弔う寺とし、運慶にこの寺の造仏を依頼したという。
源頼朝が父の源義朝の菩提寺として勝長寿院を作り、頼朝や政子、実朝ともこの寺に弔われたが、ここの造仏も1217年、運慶はしている。
ただ、この2つの寺院は焼失し、現在では、墓石、礎石のみ残る状態で、運慶作の仏像も今は、見ることは出来ない。しかし運慶が、源頼朝をはじめとする鎌倉の寺の造仏に関して、どれほど信頼されて仕事を行っていったかを伝えている。

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運慶が彫った浄楽寺の阿弥陀如来は、予想していた大きさよりもずっと大きく、和田義盛がこれを作ってもらって浄土の世界をイメージしていたかと思うとその願いの大きさに圧倒されるようだった。端正で静かな表情で鎮座している。

また、両脇の観音菩薩、勢至菩薩像もその姿の美しさは、静かに落ちつき、語りかけるようだった。

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不動明王は、「恐れや悪事を寄せ付けずに生きよ。」と言っているようだったし、毘沙門天は、「戦うからには、強くあれ。」と言っているようだった。

仏の顔には、和田義盛の顔の面影が入っているような気がする。運慶は、何度も和田義盛に会っているので、人柄や面影が造仏の中に入っているのでは、と思った。私の父も生前より仏師の方に頼んで、仏像を彫ってもらっていて、父の面影がその仏像の顔に入っているように思えるからだ。

浄楽寺には、2015年7月に訪問させていただいた。その時は、運慶の仏像はお彼岸のみの公開で見ることはかなわなかった。

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浄楽寺の運慶仏は、鎌倉幕府と奈良仏師運慶との強いつながりを今に残す数少ない貴重な仏像であり、五体すべてが保存状態もよいものだと思う。江戸時代に表面の金箔を修復しているそうだ。

和田合戦以降、和田の一族が鎌倉に二度と戻って来れなくなり、この義盛の阿弥陀如来を拝むことがかなわなかった。

今回やっと、義盛の残した仏像に手を合わせることが出来た。

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暮らしの中のMy Work : アーム チェアー カバー

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先日、セールで購入した中厚地の布を使って、アーム チェアーのカバーを作りました。先日作ったオットマン カバーの記事はこちら。のっているスモッキングのクッションもハンドメイド。記事はこちら

各部にフィットし、パイピングを入れて、垂れもちゃんとつけました。オフホワイトで、家族は、「(汚すので、)座れない~!」と言っていましたが、逆に白だからこそ、漂白剤もありで洗えるというメリットもある。

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Arm chair by Laura Ashley "Snowdon"

これが、今までかかっていたカバー。カバーは、黒のベルベット調のキャンバス織り。自分の好みではなかったけれど、とにかく椅子本体の内部構造がしっかりしているので、買っておきたかった。いつか、このカバーを参考に好きな布で作れば、と思いながら、大変なのでなかなか実現できなかった。

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まずは、クッションを外して、ベースのカバーを最初に作った。型紙を作るためにセンターをしつけ糸で印つけして、各部のサイズを測り、パーツごとに型紙を作った。縫い代はすべて1㎝。

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まずは、アーム部分。ここからつながる部分を、少しずつ縫い合わせていく。次回のために型紙を残しておく。

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アームと座面を縫い合わせ、その前側面の縫い合わせ。間にパイピングを入れる。少し、丸みをもたせている。

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アームの前から見た所のカバーをしつけ糸で縫い合わせ、ミシンで縫う準備をしているところ。曲線部分は、仮縫いしてから縫うと、安心。ここもパイピングが入る。

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翌日、上部の型紙作り。トレーシングペーパーの大判を使っている。縫い合わせる所に合わせて、型紙を折ったり、重ねたりして、まち針で留めて、サイズを確定させる。

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ここが、一番難しかった場所。背にあたる部分とアームとの縫い合わせの曲線。どちらもカーブになる。型紙を作って、裁断した後、ここだけは、仮縫い(しつけ糸で縫ってみること)してみた。浮いていたりして、さらにちょうどいいところを探し、縫い合わせの線を探し、本縫い。

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ベースの下部が出来た所。垂れは、一番最後につけました。4辺とその間にも小さな垂れが入る。

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最後は、クッションカバー作り。YKKの寝具用ファスナー 90㎝をネットで入手。下留め金具幅3mmも準備し、ファスナーの長さを必要サイズ 65㎝に調整した。ラジオ ペンチで金具を曲げて取り付け。

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ファスナーは、見えない場所につくので、簡単な取り付け方。布の耳を利用して折った部分をファスナーぎりぎりに縫い付けた。両端同じように。

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クッション座面分と側面。側面はファスナーが入り、その他帯状のパーツ。ここも間にパイピングが入る。
背あてクッションも型紙をおこしてから、裁断し、縫い合わせ。

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こんな感じ。

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パイピングが入ると引きしまった感じ。

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横から見た所。布に少しストレッチ素材が入っているので、フィット感があり、良かった。きれいすぎて、誰も座らない・・・。

現在、3シーターのソファにもかかっている。クッション6個分のカバーは先日完成。また出来たらブログにのせます。


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2017年10月16日 (月)

About An Artist : 運慶

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チラシ、ポスターで夏前から楽しみにしていた『運慶』の展覧会。先々週金曜日、上野の東京国立博物館 平成館に行ってきた。

今回、私が特に期待していたのが、このチラシの右下の赤いお顔の像。和歌山の金剛峯寺の国宝 八大童子立像の中の制多迦童子。このアングルの表情がCARPの中崎投手の九回に登板した時の投げる前の真剣な表情と「そっくり!」と思っていて、実際この目で見たかった。

会場で目にすると、イメージしていた大きさよりも二周りぐらい小さかった。また、チラシの写真とは違う方向から見ると、別の表情を見せる。不動明王像に随侍する八体の像のうち6体が運慶によって1197年頃、作られており、その中の一体。他の像もどこかの誰かのようなお顔をして、それぞれ個性があり、見ていて自然と笑みがこぼれた。

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平安遷都1300年公式記念品 せんとくん と 伐折羅(ばさら)大将 (新薬師寺蔵 復元彩色) 

家に帰って、制多迦童子のことを話していると娘と息子は、「せんとくんに似ている!」と言っていたので、2010年に奈良に行った時のお土産をゴソゴソ見つけて、「それもそうだな。」と思う。髪型や装身具など。せんとくんは、東京芸術大学 大学院 文化財の保護修復 彫刻科の教授をされている籔内左斗司氏のデザインだが、髪型や装身具に仏像の決まり事がいかされているので、現代の作品だけれど、それらしく見えている。

隣の怖いお顔と勇ましい鎧の像は、薬師如来を守る十二神将のうち一神の像。東大寺を作った聖武天皇が病気になった時に光明皇后が病が治ることを祈るために建てた新薬師寺に収められている日本最古の十二神将。8世紀のもので、塑造であるが、日本でそれまでに誰も見たことがなかった像をよく作ったものだと今更ながら、驚く。

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運慶の作品を今回、寺院を離れ、像そのものを博物館で見ると、どこからこの形を生み出したのか?と単純に考えてしまった。

像のポーズは、腰をひねりあげ、その方向の脚に重心をかけ、反対側の脚は軽く突き出すポーズが多い。動きの途中の一瞬を固定したような感じだ。金剛力士像などもこのポーズだ。この大胆なポーズが、運慶仏の魅力の一つだ。

しかし、この発想はオリジナルなのかと言えば、そうではない。その源流を考えると古代ギリシャのヘレニズム期に表れた体をS字にくねらせたポーズにつながってくる。コントラポストというが、ギリシャから直接伝えられたということではなく、インド、唐を介してこのポーズも日本まで伝えられたのだ。

また、髪型、装身具、光背を見ると、インドのヒンドゥー教の神々との関係も明らかだ。そのつながりについて、調べてみた。

仏教は、今から2500年ほど前に釈迦が始めた宗教であり、仏像は、500年後,、起源1世紀頃、アレキサンダー大王率いるギリシャ、西アジア系の工人の子孫によって、ガンダーラ地方で初めて釈迦の像が造られた。最初は釈迦の生涯を伝えた内容が主だったが、インドの中で仏教が人々に浸透していくために古代インド神話の神や悪神、鬼神さえも釈迦の教えに触れ仏教の守護神になったとして、様々な神を取り込んだ。これがインド密教であり、またヒンドゥー教とも同根とされる。大日如来は、ヴィシュヌであり、不空羂索観音は、シヴァである。ヒンドゥー教では、釈迦をビシュヌの化身として取り込んでいる。

このインド密教は、インドでは4世紀から11世紀まで続くが、1203年イスラム教徒が最後のパーラ王朝を滅ぼし、根絶された。その間、僧により、中国 長安(唐)へ経典がもたらされ、サンスクリット語からの訳が行われ、インドブームが唐でも起こったというが、844年 弾圧を受け衰退した。よって、インド、中国にはほとんど今は、残っていないという。

しかし、日本においては、奈良時代から遣唐使などにより、経典や図像がもたらされ、新しい情報が伝えられた。日本では、仏教は到来した宗派は今でも残されているものが多く、日本は密教美術の遺産を今に伝えている場所と言えるそうだ。

734年の帰国した留学僧が持ち帰ってきた経典や仏像を情報として興福寺西金堂の阿修羅像など八部衆が乾漆造で作られた。また、東大寺法華堂の執金剛神像や四天王像(現 戒壇堂蔵)も塑造により作られた。これらは、天平彫刻の完成形とされ、運慶ら鎌倉仏師へ影響を与えた。

1150年頃奈良に生まれた運慶にとって、東大寺、興福寺は日本における最先端の仏像を目にすることが出来る場所であったし、父親康慶の仕事も手伝い、造形のセンスを磨いていったのだろう。

1180年の平重衡による南都焼き討ちによる東大寺、興福寺の再建に関しては、1194年頃から慶派仏師集団として尽力し、その技術とセンスを存分に開花させていった。

また、804年に唐に行った空海や最澄、合わせて8人の僧が持ち帰った曼荼羅や燃え上がる火焔を光背とした五大明王のイメージも日本に新たに伝えられたことより、825年頃より、空海は京都の東寺講堂に大日如来を中心とする立体曼荼羅の諸像の造立を企てた。この東寺の諸像の補修を1197年、運慶は、手がけており、密教美術の持つ神秘的な造形にも触れたということだ。

このように運慶の見てきたものイメージしたものを推測しながら、どうしてあの彫刻が生まれたのかを自分なりに追いかけてみた。

今回の展覧会の中で、運慶が亡くなる7年前に作ったという大成徳明王像があったが、小さな像で壊れている部分もある像であったが、それまでの運慶の作像のすべてのエッセンスを封じ込めたようなパワーのある印象深い像であった。

参考にしたのは、

『インド神話入門』 長谷川明著 新潮社刊
『日本美術の歴史』 辻 惟雄著 東京大学出版刊 
『日本美術史』 美術出版社刊
『特別展 神奈川県立金沢文庫80年 運慶 中世密教と鎌倉幕府』図録
『興福寺中金堂再建記念特別展 運慶』図録 
『寺院と仏像のすべて』 藪中五白樹著 フジタ刊
『奈良の仏像(上)』 関根 俊一著 フジタ刊
『奈良の寺々』 西山 厚著 フジタ刊 

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