2024年9月 1日 (日)

Maintenance : ふすまの塗り替え

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Before

  我が家のマンションの間取りは、LDの横に和室があるタイプ。襖が何枚かあるのですが、さすがに襖紙が黄ばんで、汚れもついて気になっていました。ホームセンターの襖紙は、色、柄、素材でピンとくるものがありませんでした。

今年は、LDKと廊下の壁を自分で塗り替えをしました。ちょっと自信がついたので、ふすまも自分で何とかできないかと考えていました。

そうこうしていると、アクリル絵の具のジェッソに貝の粉が入っていることを知りました。つや消しのような白い下地が出来、上に塗るアクリル絵の具の食いつきをよくするものです。他の色を入れて混色OK!水は使うジェッソの20%まで。手持ちの絵の具で「出来るかも!」と考えるようになりました。

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色は、一番大事な要素。自分でB5程度の紙に絵の具を混色したものを塗った紙や日本色研の和紙の色紙をマスキング・テープで何枚か貼り、時間帯によって変わる光線の色の変化を何日か貼って、見ていました。一番、気にならない色にしました。

今。いろいろなアクリル系ペンキが各社より出ていますが、色の比較ができないし、家で塗ってみることもできないので、決め手がぶれて、一番悩みどころ。自分で今回は、混色するのですから、とことん色作りにこだわれます。きれいな色=その場所にある色とは限らないのです。

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大きな面積を塗るので、足りなくなった時のために混色で何色を何グラムいれたのかを記録しながら、イメージに近い色になるようアクリル絵の具を入れていきました。

ふすまには、木の部分にマスキング・テープを貼り、カバー。所々、へこんだ部分があったので、つぶれた部分の紙をカッターの先やピンセットを使って戻し、敗れた部分には、半紙を同じような形に手で破いたものをのりで貼り、平にしておいました。

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天袋から塗っていきました。縁は刷毛を使って塗り、広い面は小型のローラー。2枚塗った時にちょっときれいすぎる色であることに気づきました。そこで、少し黒を足して、グレイッシュな成分を足すと、落ち着いた気持ちで見れる色になりました。

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After

完成。春の少しかすんだ空のような色。

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ふすまで仕切られた和室ですが、リビングとのつながりをつけるように室内もしつらえています。

 

 

 

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Useful Tools : 宮島の杓子

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 この夏は、いつものように実家に帰省。宮島が近いので、帰る前にやはり、一度行っておこうと主人と行ってきました。フェリー乗り場で船を待っていると、西の海峡から吹いてくる海風は涼しく、「暑い、あつい!」と家の中にこもっていないで、出かけてよかったと思いました。

フェリーに乗り、海風を感じながら、青空の元、ぽかんと出来ることが何よりの幸せで、自宅では、決して味わうことが出来ない時がここには流れています。長かった大鳥居の工事も2022年の晩秋には終わり、船の上から朱色の大鳥居が海のブルーの色と弥山の原生林の青緑を背後にくっきり映えて見えてきました。亡き父とこうやって、フェリーに身をゆだね、子どもたちとともに「海水浴だ!」「弥山に登ろう!」と宮島を通して、楽しく過ごした家族の思い出がここにはあるな、と思い出していました。そして私がこの世からいなくなってもここには、変わらない自然に囲まれた宮島の姿があるんだなと思いながら宮島に着きました。

今回のお目当ては、数年前に開館した北大路魯山人美術館。町屋を改築した美術館で、コレクションが膨大でした。「これにどんな、料理を盛ったのだろう?」と思いながら、見させていただきました。

帰る道すがら、知人へのお土産を求めに宮島木工製作所に寄らせていただきました。ここの木工品の調理道具を私は、長年いろいろ使っていて愛着があるので、バター・ナイフか手巻き寿司用の小さな杓子のどちらかを買いたいと思っていました。

山櫻のバターナイフのことを書いた記事は こちら

レードルのことを書いた記事はこちら こちら

靴ベラのことを書いた記事は こちら

お店は、作業場兼用で機械や昔作った調理器具の見本や型が壁にかけられています。お目当てのものは、ショーケースの中にあり、それを見せてもらいながら、奥さんと立ち話。木目や色が違うので、「好きなのを選んで!」と言ってくださいました。Img_3635

お土産に購入したバター・ナイフや小さな杓子

ただ、ポロリと「私は、宮島を応援しているので、お宅のを使いますが、実は、主人は、炊飯 器についていたぶつぶつがついたポリプロピレンの杓子の方が好きで・・・。」と話をしたら、奥さんが急に主人の方を向いて「それですよ。それが、うちにとっては、大打撃だったんですよ~!」と口火を切られました。パパは、いきなり、話に引っ張り出された感じでしたが、正直な感想を話し始め、『モノづくり』のコストの話など3人でするようになりました。商売のことは、疎いので何も言えませんでしたが、私なりに木の杓子が好きなことをつぶやいていました。考えをまとめると、

炊いたお米が杓子にくっつきにくいのは、突起をつけやすいポリプロピレン製。価格も安い。だから、そちらに人がなびく。しかし、木の杓子は、急いで乾いたままで使ってしまうとご飯がくっつきますが、使う前にしっかり吸水させて使えば、くっつかない。むしろ炊き立てを蒸らす時に適度の水分をご飯に与えれ、よそいやすくなる。

そして最大の魅力は手触り。無塗装の木に触れるということは、現代の生活では、少ないものです。杓子に触れることは、「自然」を感じるひと時。見た目にも自然の木が水を含んでいく色の変化を見て、安心感を感じている。

値段は、1本1000円~2000円として、32年使っているから、1年間32円~62円。なんてことはない。割れても欠けてもそれが、自然の素材だからと捨てないで愛着を持って使っている。

ポリプロピレンの耐久年数は、どのくらいなのだろうと調べると5年以下。石油由来のプラスチック製品。

あなたは、どちらを選びますか?

私は、実家が宮島の対岸になってから、かれこれ40年近く、平均して年に2回は、行っているけれど、自然環境や建築の美しさも魅力ですが、杓子やお盆、棗などの木地仕上げの美しい木工品を見れることも魅力でした。この島には、それを生業として取り組まれている方が何件かあり、美術科の学生時代、それをのぞかしてもらっては、「私もがんばろう!」と思ったものでした。

でもそもそも、神の島である宮島の木は、昔からむやみに切ることは出来ないことで、原生林の森が今に残され、巨木が現存しています。厳島神社をはじめ大願寺、仁和寺塔頭大聖院などの立派な木造建築が存在しているのは、島外から材料を船に乗せて運んできたのでしょう。そして小さな木工品の加工は、それがいつ頃から始まったのかということを考えていると、青山にある伝統工芸の展示販売をしている青山スクウェアのパンフレットに宮島の木工細工について『鎌倉時代、神社や寺を建てるために鎌倉地方、京都地方から大工、指物師が招かれました。』との記述がありまして、やはりこの産業も歴史のあるものであることを知りました。仏具の加工については、鎌倉彫りが有名ですが、規模は違うけれど、宮島でもその需要があり、技術が育まれたのです。ろくろで作られた木工品が多いのも仏具制作の技術からなのでしょう。

杓子については、1700年代後半、伊予の国から来た誓真和尚が島民の生計のためにと厳島弁財天の琵琶の形からヒントを得てデザインしたのが、始まり。宮島が発祥の地。釜の底の丸みに合うように杓子の先端は丸く仕上げられ、持ち手の長さも人の手に合わせて、太さや長さがデザインされている。日本発の炊飯用オリジナルのデザインの調理道具。

その当時は、今に比べると生産量も少なく材料の木が、島内の材を使って作ったのかもしれません。しかし、現代では、生産量も増えているのでどうしているのだろうかと思っていましたが、今回奥さんと話をしてわかりました。宮島と海を挟んで向かいには、中国山地の山々が連なる森林豊かな場所。対岸の廿日市には、材木港もあり、全国的にも有名な家具メーカー、木質の住宅設備メーカーが軒を連ねている地域。その地域の山々の間伐として切り出された山桜を乾燥してから、宮島に運び、加工に使っているそうです。

建築材料にするのには、不揃いの材ですが、生活道具などの小さな木工品への加工には、充分使える。宮島のいくつかある木工品製作所で、一つひとつ人の目で木の質を見ながら、杓子をはじめとする木工品に加工しているものなのです。

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右から2本が我が家の杓子 母が持っていたものを譲り受けたのでかれこれ40年もの

小さいものは、手巻きずし用 20年前ぐらいに昔あった宮島口の販売コーナーで購入 

一番左が現在のもの 息子さんが製作所を引き継いでいる。

 

だらだらと書いてきて、落ちがやっと分かった。宮島の木工品の一番の魅力は、人が材を見極めて、木取りしてていねいに手仕上げで加工しているところ。人がこうすると美しいと思って作ったものは手に取った人にもその美しさが伝わるのです。そこが、なければ、例え同じデザインが大量に作られて安く仕上がったとしても魅力を感じない道具となってしまう気がします。

安くするために木の木目も見ずに大量に作られたものや石油由来の可塑性の便利な素材が出回っていますが、今一度、ものを使う喜びを大きな価値として考え、ものを選んでいきたい。

我が家のポリプロピレンの杓子は、数年前に電気釜をやめてからも台所に存在し続けてきましたが、もう5年という耐久年数をとっくに超えていました。パパを説得して、さようならしたいと思いました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2024年8月19日 (月)

暮らしの中のMy Work : 着替えケースとジュエリー・ケース

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結婚する時に作った旅行用の着替えケースとアクセサリー入れ。子育て中の忙しい時には、使わなかったけれど、最近、冠婚葬祭も多くなり、単身旅行に行くこと増え、このケースが再び活躍しています。

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アクセサリー入れは、指輪をいれる筒状のクッションを詰めた部分が気になり、作ってみました。冠婚葬祭の時にあれこれ、どこに入れたのかわからなくなりそうな時に整理整頓できて便利。

デザインは、山口れいさんの『着ごこちのいい服』鎌倉書房刊にのっていたものをファスナーの関係で少し、サイズを小さくして、作ったものです。

表布は、グログランの布で、しっかりしているけれど、つやや織り模様が入るものを使いました。内側の布にファスナーやポケットをつけたものをあわせています。中にキルト芯を入れ、共布で作ったバイアステープでまわりをくるんで仕上げています。キルト芯は無駄なようで、ぷっくりまとまるので、旅行先の枕にも使ったことがあります。

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先日も夏の旅行に必要なものを入れてみると、全部入るのですが、膨らんでしまうので、真ん中に長いリボンをつけ、巻いて引き締められるようにしてみました。

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ぎゅっと閉め、スーツケースの下にかっちりコンパクトに入れられました。まだいろいろ、改良するといいな、と思う所もあるのですが、とりあえず、30年以上前に作ったものを使っています。

 

 

 

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2024年8月 5日 (月)

Organizing Idea : 荷作り

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2002 Packing for summer vacation

 子どもたちがまだ、自分の荷作りが出来なかった頃、帰省の荷作りは、頭が痛かったことを思い出します。そこで、考えたのが上の絵図。これで、乗り切りました。今でも、一人で旅行の時でさえ、頭の中でぐるぐるコーディネートを考えてしまい、らちが明かないので、イラストを描いて、頭の中を整理するのにこの方法を使っています。色や形、本当ににそれを着て、TPOに合うのか、簡単なイラストでシュミレーションして、客観的に判断できます。先日も札幌での結婚式へ出席をこの方法で乗り切りました。アクセサリーも本当に合うものを確認して準備すると、慌てない気がします。        

上の写真は、2002年の夏の荷作り図。ルーズリーフの方眼が入っているものを使って、表を作りました。たての表題は、家族の名前、横には、アイテム名を入れました。下着、靴下(泊数に合わせて)、パジャマ、水着、サンダル、帽子、旅行当日の服装、バッグ、翌日からのコーディネート2~3種類 (旅先で洗濯できるかにもよる)。欄外の文字は、歯ブラシ、常備薬、メガネ、勉強道具、女の子だったらヘアー・アクセサリー、私は、コンタクト・レンズ、メガネ、化粧品、パパは、ひげそりなんてそれぞれの必要なものを書いておきました。色鉛筆で色もつけ、家族のコーディネートもこれで、確認。

子どもたちが自分の荷物を持てない頃は、旅行の時は、荷物を先に送ったりしました。宅配業者さんには、本当にお世話になりました。配送にかかる日数も確認して、欄外に前々日に「おみやげ」前日に「荷発送」、その他「水やり」「新聞」等、書いて忘れないようにしていました。

この図を描かなくなった頃、「そういえばパパの海水パンツがない。」ということがありました。子どもたちには、自分でパッキングと言いながら、パパに関しては、ノーチェックだったこともその後ありました。親も成長しなくては。

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2006 Packing for winter holiday

こういう図がファイルに何枚も残っているわけですが、これは、冬用の図。帰省先の北海道に行った時のものです。よくよく息子のアイテムを見ると、雪遊び用のスキーパンツと手袋、ニット帽、そして海水パンツ。これは、北海道の雪景色を見るためにホテルを取った時、「温水プールあり」と書かれてあったので、水着を持っていったのですが、パパと息子が二人で飛び込むと冷たいプールだった、という笑える思い出話が残った時でした。お客さんが少ないのでプールを温めていなかったそうでした。あー入らなくてよかった!

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子どもたちが小学校高学年頃になると、学校の宿泊体験もあるので、自分で荷作りするように。基本は、メッシュ・ポーチに下着類を入れ、化繊の軽い風呂敷にアウターを包み、ぎゅっと縛り、小さくまとめます。今や小さなトランクが日本国中、旅のお供ですが、そういう場合でも風呂敷が便利だな、と思っています。旅先でも、衣服の下敷きに広げ、自分のテリトリーの中で服を管理し、コンパクトにまとめられるから。空港で「トランクを開いてください。」なんて時もワンクッション、風呂敷で衣服が包んであると安心。愛用のものは、実家からもってきた昭和の古い化繊の風呂敷。化繊の派手なスカーフも使っています。

それから、幼稚園のバザーで買った写真の手前のブルーの服入れ。一枚しか家にありませんが、これが、子どもたちが使うのには、よかったもの。両面にファスナーつきのメッシュ・ポケットが付いていて、両面にぎっしり服を入れて、最後にくるくる巻いてヒモで縛る、というもの。

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真ん中の列は、メッシュ・ポケットが3等分されているので、ここに息子などは、パンツ、靴下をセットにして押し込んでいました。見ていると、ほいほいと決めて、アウターも突っ込んで最後にぐるぐる巻いて、「できた!」と言って、にこにこ。

おかげで、彼は、その後、外国旅行にも一人で行けるようになりまして、現在は、空気を抜く透明の袋?を愛用して、アメリカ、マレーシア、インド、メキシコ、キューバに学生時代に旅行しています。現在は、社会人。コロナに入る直前でしたので、ギリギリ・セーフで卒業旅行も出来た世代。

娘は、逆に海外に行けない学生時代。いつか、行って欲しいです。ただし、私とちょっと途中下車で京都、奈良に寄ったり、温泉女子気味でもあるので、旅行は好き。好きなトランクに荷物を私よりも上手につめています。

子どもたちも自立したのとは、裏腹に「誰か、パッキングして~!」思う今日この頃の私です。

 

 

 

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2024年8月 1日 (木)

About Cooking : きつねうどん

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 手間がかかりますが、自分で煮たきつねと出汁も一から取ったものでうどんを食べるのにちょっとはまっています。お揚げは、「手揚げ風」などと呼ばれている厚いお揚げを使います。噛むとじわっと汁が出て、食べ応えもあるので、「肉がない!」と主人も言わないうどんとなります。参考にしたのは、『クロワッサンの本 あの店のあの料理を真似したい』マガジンハウス刊に掲載された「今井」さんのきつねうどんのきつねの炊き方を自分なりにアレンジした分量です。

きつねの炊き方

●材料 

手揚げ風お揚げ  4枚

水 1000㏄

混合削り節(さば、片口いわし)  25g

砂糖 100g

薄口醤油 大さじ5

●作り方 

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① 揚げを鍋に入れ、かぶる位の水を入れ、落とし蓋をして40分くらい煮て、油ぬきをする。

② 水を火にかけ、沸騰したら、混合削り節を入れ、すぐに火を止め、削り節が沈んだら、濾す。

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③ ②に揚げと調味料を入れて、弱火で一時間半ぐらいコトコト煮る。

④ 煮あがったら、そのまま汁につけて味をふくませる。

⑤ 半分に切って、使う。残りは、汁ごと冷凍。

「関西風うどんだし」の作り方(3人分)参考サイト Foodie

●材料

羅臼昆布(合わせ出汁では、真昆布や日高昆布が合うそうです。)5×10㎝くらい

さば、いわしの混合削り節(関東のスーパーで置いている所とないところがあります。にんべんのものを使用)50g

煮干し 5尾

水  1200㏄

薄口醤油 90㏄

みりん  90㏄

うどん、きつね、九条ねぎ

●作り方

① 鍋に水を入れ、昆布、煮干しを入れて弱火にかけ、沸騰直前で昆布を取り出す。

② 混合削り節を入れて弱火のまま、10分ぐらい煮出す。別鍋でうどんを茹でる準備をしておく。

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③ 火を止め、蓋をして1分ほど蒸らす。

④ 出汁を濾す。

⑤ 別の鍋で薄口醤油とみりんを中火にかけ、煮切る。

⑥ ④に分量を1200㏄に水を入れ調整し、⑤を加え、弱火にかけ、沸騰直前で火を止める。

⑦ 茹でたてのうどんを入れ、出汁をはり、きつねと九条ねぎをちらすと、出来上がり。

 

この記事を書いたのは、7月上旬でした。今は、ちょっと日中、台所仕事敬遠気味なので、お揚げの冷凍を刻んで、そうめんの時の具にして食べようっと。

 

 

 

 

 

 

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2024年7月31日 (水)

About Foods:ココナッツ・ウォーター

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 近所の輸入食材もおいているスーパーに行くと、タイ産の「ココナッツ・ウォーター」のパックがならべられていました。No added Sugarと書かれていたので、昔、スリ・ランカに行った時によく飲んだものと一緒であろうと思い、買ってきました。

暑い日でしたので、封を開けて、飲むと、「ああ、この味!」と思いましたし、のどを通ると、スーと体にしみこむ感じがしました。熱中症対策で、「水分を取って!」と家族に耳が痛いくらい、言われる、熱中症気味になりやすい私.どうしたらいいのか、困っているところでしたので、昨日も追加で3本買い込んで、朝から何度も飲んでいます。

1985年に父の仕事に同行して夏にスリ・ランカに行った時に、各地を回りました。その時、現地の生水は飲まないようにしていましたが、唯一、道沿いで薄緑の実をいっぱい台車にぶら下げられて売られていたココナッツの水は、OKで、よくみんなで飲んだものです。

売っている人は片手に、実をのせ、斧のようなもので、先のほうをザクッとスライスして、白い果肉に穴を開けてくれました。そして、直飲み。最初は、青くさくて、甘味もほのかで、「あまり、美味しくない。」というのが、正直な感想でした。しかし、何度も飲んでいると、体に浸み込むことがわかってきて、車での移動中、そろそろ水分補給が必要だなと思う頃は、車窓から屋台を探して、見つけると、「パポ、パポ!」と言って、車を停めてもらい、喜んで飲んでいました。

ヤシの木は、スリ・ランカの海岸部に生えていて、初めての外国の地に降り立つ私にとって暗闇の中、飛行機の窓から下を見た時にモンスターのように地面がヤシの木の茂みに覆われ,人家の明かりは、まばら。日本の景色との違いは、今でも忘れられません。滞在中は、ヤシの実を落とす作業も近くで見せてもらいました。ゴム・ベルトのようなものを幹と胴に巻き、ほいほいと素足で蹴って登っていき、刃物で実を落としていました。若かったけれど、真似できないと思いました。

また、家庭では、ココナッツの実を半割りにして、白い果肉を上を向いた大きな杭のようなもので、ゴシゴシしごくようにおろし、汁を絞って料理に使っていました。これが、ココナッツ・ミルク。これは、缶入りやパックのものが日本でも購入できるので、スリランカ風のカレーの味を食べたい時は、これをを使っていました。スリ・ランカは、海に囲まれた島国なので、魚が豊富に取れ、私は、新鮮な魚の入る「ツナのカレー」をいつも頼んでいました。

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Memories of SLI LANKA   Woodprint             

海岸部に立つ家は、椰子の葉を編んで、壁や屋根に使っていました。ヤシノキは、暮らしに欠かせない植物でした。あーなつかしい。2004年、スマトラ島沖地震の際、スリランカが津波に襲われた時、私に「お茶を飲まない?」と言ってくれた子どもたちが住んでいたその家々のことを案じました。

仕事で一緒の現地の方は、ココナッツ・ウォーターは「体にいい。」と説明してくれましたが、それ以来、飲むこともなかったので、何がいいのか、調べていませんでしたが、先ほどパックのタグについている英語を訳してみると、「天然のスポーツ・ドリンク」、「5つの必須電解質(カルシウム、マグネシウム、リン、カリウム、ナトリウム)」「低カロリー」などと書いてありました。なんか、スポーツ・ドリンクと似ていると思っていましたが、その通りで、こちらの方が、優秀な組成なのだそうです。

青い椰子の実の中にある水で現地でしか飲めなかったものでしたが、このようにパックで日本でも買えることができるようになっていることに今頃、気づき、今年は、スリ・ランカを思い出しながら水分補給に飲んでいこうと思っています。

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2024年7月30日 (火)

Craft for Children : でんしゃ作り

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 夏休みに入って、親子連れwithおばあちゃん、みたいな方々を目にするようになりました。あの長い夏休み、今思えば、子どもたちを仕切るのによくやったなと思い出しました。彼らにとっての一生の思い出になると思いましたので、張り切っていたことを思い出します。今はもうできない。親業も人生に一度、二度と出来ない。

写真のでんしゃは、息子が幼稚園の頃に一緒に作った「とうきゅうでんしゃ」です。彼はでんしゃに最後まで手を振る子どもでした。最後尾の車掌さんが電車が過ぎ去る前にさりげなく、手をチラリと降ってくれたことは、私もキャーっと感動したものです。電車好きの息子を通して、電車の世界の仁義 (孟子の)を知ることとなりました。

モデルにしたのは、その25年前ごろに走っていた電車で、息子に先ほど「9000系?」って聞くと、「似てるけど、2000系」と教えてもらいました。

コンセプトは、「家にある牛乳パックで作り、電車の色や形のデザインをなるべく大事にして本人に作らせる。」というコンセプトで御ぜん立てしながら、作りました。カッター・ナイフを使う所は、私がしました。牛乳パックは、本当にしっかりした素材で、今も壊れないほど頑丈に出来ています。思い出しながら、ちょっと作り方を紹介したいと思います。おばあちゃんになって、やっと少し暇ができましたので、この電車の型紙をおこしました。利用される方は,

ダウンロード - e99bbbe8bb8ae381aee59bb3.pdf

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●材料

牛乳パック 2本分 洗って、乾かしたもの

ジェッソ リキテックス社 白色地塗り剤 これは特別なものですが、貝殻の粉が入っているので、カバー力があり、文字を消せます。

アクリル絵の具 電車の色に合わせて、ここでは、黒、赤、青等

グロス・メディウム アクリル絵の具に混ぜて、つやのある透明な仕上がりに絵の具を変えます。紙を貼るのり、表面のつや出しにも使えます。

ウレタン・スポンジ 筆の代わりに使うと、きれいに絵の具が伸びます。

グルー・ガン(木工ボンドは、くっつきません。両面接着テープもはがれやすかったのでダメ)

マスキング・テープ

透明樹脂シート クリア・ファイルなどを使う。窓用にブルーを塗って窓に貼るため

色紙 赤、オレンジ、黄色、グレーなど

油性マーカー 細がき

車輪用フィルム・ケースの蓋  (直径3.5㎝ 厚み1㎝ これは、今はレアものなので、何かで代用を。)

竹串、ストロー、セロハン・テープ 

針金 連結用

●作り方

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① 牛乳パックの注ぎ口のところを開いて畳みなおし、接着剤を塗って、マスキング・テープなどで固定して四角柱に作りなおす。

② ジェッソに黒を少し入れ、電車のボディ―・カラーのグレーを作り、牛乳パックに塗る。乾かして、印刷の文字が見えなくなるまで何度か  繰り返す。

③ PDFファイルの側面図、正面図を型紙として、側面に図をマスキング・テープなどで貼り、目打ちでドアや窓などの四隅に穴を開け、位置を写す。反対側の側面は、PDFファイルの紙をひっくり返して使う。

④ カッター・ナイフでドアは、両開きになるよう切り込み(ドアの窓は大変なので切り抜きません)。窓は▭に切り抜く。

⑤ 青色のアクリル絵の具にグロス・メディウムを入れ、透明シートを塗る。

⑥ 穴を開けた窓は、シートを窓よりも大きく切り、裏から接着剤でとめる。他は、シートを小さく切り、貼る。

⑦ 赤色の色紙を8㎜幅にひも状に切り、グロス・メディウムを裏面につけて電車のラインを貼る。

⑧ 東急電車のマークも葉っぱ型に切った7㎜長さの赤い色紙を3つ組み合わせて貼るとできます。

正面

⑨ 型紙を写し、正面も同じように作る。ライトなどは、色紙のレモン色、オレンジ色などを▭に切って、貼る。

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屋根部

⑩ 型紙を写し、グレーの紙を貼って、空調の丸をマーカーで塗る。

 

つやだし保護

⑪ 全体にグロス・メディウム塗る。

⑫ 油性マーカーで型紙の黒い線の部分を描く。

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底部

⑬ 車輪を入れる所に印をつけ、カッターで切り抜く。

⑭ フィルム・ケースの蓋の中心に穴を開け、竹串を通し、ストローを入れ、もう一方の車輪を入れる。

⑮ セロハン・テープで車体にストローの部分をとめる。

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連結部分

⑯ 2両の連結には、キリで穴を2か所開け、針金でフックを作った車両と輪を作った車両とを作り、連結。

⑰ 完成

 

以上のような工程でした。工期は、結構、乾かす時間や次にどうしようか考える時間もありましたので、1週間以上は、かかったと思います。

息子も結婚して、今やパパに。私は電車の形も最近、ボーと見るようになっていて、気が付くと東急電車は、四角い先頭車両ではないことに気が付きました。子どもが最初に絵に描く四角い電車だと思って、一緒に作ってみてください。

変な所もあると思いますが、参考になったら、幸いです。

 

 

 

 

 

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2024年7月21日 (日)

Organizing ideas : 充電用の小さな棚

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LEVLA レヴラ 28×9×21㎝ designed by Hanna Klarqvist    IKEA

 充電用のコードがあれこれ増え、カウンターの上に置いていたら,かなり場所を取られてしまうことになっていました。先日、IKEAに行ったら,気になっていたスマホの充電用の木製ラック LEVLA レヴラ がSaleになっていました。取り付ける場所も決まっていなかったのですが、ダメ元で,購入。製品の組み立ては、イラスト付きの手順書で、簡単に組み立てられました。

我が家は家具やフローリングの色がブラウン系なので色は合うのですが、スイッチ・プレートの高さぐらい(床上120㎝ぐらい)に当ててみると動作的にはいいのですが、焦げ茶色のせいか、重々しい存在感が気になりました。でも,スマホ関係の充電機器の場所を壁を移動させると、カウンターをまた広く使えるのであれこれ考えた末、カウンターの下、ゴミ箱のふたが空いた時にあたらない所に取り付けることにしました。

ここには下地の木材はなく、石膏ボード自体にネジで取り付けとなるので,買い置きのアンカープラグを使うことにしました。

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①水平器で傾いていないか,確認し,穴の位置に印をつけ,アンカープラグを埋め込み。

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②手持ちの長さが板,石膏ボードを通ってアンカーに収まりそうな長さのねじで止めつけ。 

③ゴミ箱の上のスペースに収めました。底に付属のヒートンをつけてみましたが、各種のコードを全部ぶら下げると、煩雑な感じがしたので,手持ちの真鍮ヒートンを正面2カ所に取り付け,そこにコードをぶら下げると、ブラウンの色の中に納まり,少しは気にならなくなりました。

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④その他のコード類もバラバラしていましたので、昔に作った帆布にマジック・テープをミシンで縫い止めたもので、包み込んでまとめました。

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いつのまにか生活の中での必要スペースになったスマホの充電コーナー。壁面利用もあったということをこの製品を通して気づかされました。この手の情報機器まわりの製品には、直線的なデザインが多いのですが、あえて側板に曲線を入れているデザインや無垢材の素材感、アンティークな焦げ茶色を使っている点は、ヨーロッパ的なセンスを感じました。Thank you, Hanna !

 

 

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Maintenance : 奥まつり縫い仕立ての裾上げ

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 自分のズボンは、買ってすぐには、例え無料でも裾上げしてもらわないことがほとんど。コットン製だと必ず2回ぐらいは洗濯して縮ませてから、自分で裾上げします。ウールの時も家で履いてみて、シングル、ダブル、どちらかにそのデザインに似合う方を決めてからゆっくり仕上げています。

娘が自分で服を買うようになって、ジーンズを買ってきて、一度洗濯した後、私が裾上げしてやらなかったので、お直しのお店に出したよう。その引き取りを頼まれて行くと、3000円もかかりました。しまった、そんなにかかるなら、私がやってあげれば、よかった、と反省。ウォッシュッドの黒いジーンズでステッチは赤。赤のジーンズ用のミシン糸は家にはなかったので、それはそれで、よかったのだけれど。

てな感じのことがありました。先日、またまた、娘が一見、高級なサマーウールのような、リサイクル・ポリエステルという素材のパンツをセールで買ってきました。今度は、ちゃんとやってあげようと思い、ミシンで縫ってしまわずにきちんと手縫いで表に響かないような、「奥まつり縫い」にして仕上げてやりました。

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①まずは、履かせて、裾上げの位置に折り上げまち針。そして、その折り山を黄色のしつけ糸でぐし縫い。そうすることで、裾を伸ばした時もどこが裾上げ線なのか、わかります。ひと手間だけど、針と糸でしかできない目印。

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②それから完全三つ折りに出来るほど、生地はあったので、二つ折りした時の布端が①の裾上げ線にかかる位置で布を断ちました。

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③折山にアイロンをあて、生地を整えます。まち針を折り幅の半分くらいの所でぐるりと留め、裏から見た時の縫い代の際、5㎜ぐらいのところをしつけ糸でぐるりとぐし縫い。

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④手縫い用の同色の糸で、端から5㎜の縫い代を外側に折りながら内側の縫い代の布を2㎜ぐらいすくって、5㎜くらい左の向かいの内側の布の縦糸1本を右から左にすくい、5㎜ほど進んだ手前の布内側1枚をすくう、ということを繰り返していきます。出来たら、しつけ糸を引っ張らないように所々で切ってから、引き抜いて、出来上がり。

こうすると、表に見える糸は、少しで、裾に平行にぐるりと縫い止められます。裏は、縫い糸が内側に隠れるので、脱ぎ着の際に擦れることが少なく、引っかけたりしないので、裾がほつれたりしにくい仕上げとなります。

この方法は、ていねいな裾上げの方法。結婚前の4ヵ月だけ、洋裁学校に通った時に教えてもらった裾上げの方法。その時、自分のWedding dressを作らせてもらいました。

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2024年7月 6日 (土)

Visiting a garden : 北海道大学植物園

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Botanic Garden, Hokkaido University          Jun.28.2024

 6月の末、結婚式があったので札幌に行きました。札幌に行くのは、いつも年末年始の頃で雪の中。今回は、大通り公園のバラ園を見て、北大植物園へ行きした。閉園までの時間が40分間でしたので、受付にあった『見ごろ情報』を頼りに回りました。

灌木園の場所には、花が咲いているものが多いようなので、巨木に囲まれた誰もいない散策路を地図を頼りにざくざく歩いていきました。

園芸品種では、名前を知っているなと思ってもここにあるのは、原種のものが多く、森の中でひっそり咲いているのをひとり占め状態で鑑賞できました。

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Hydrangea serrata var. yesoenisis

特に、印象に残ったのは、エゾアジサイです。鎌倉の明月院のアジサイを初めて見た時、品種を調べていたら、ホンアジサイ(ガクアジサイ)とエゾアジサイの交雑から生まれたということを知りました。そこから、「エゾアジサイ」は、開花しているのをなかなか見れないだろうな、と思っていたアジサイなので、今回、見ることが出来て、とてもうれしかったのです。とても美しい水色をして、楚々と咲く姿が気高く心に残りました。明月院に行った時のブログはこちら

今年の2月、サッポロっ子としては、珍しく2月5日の関東で雪が降った時に脚を滑らせ、足首を骨折してしまった主人は、あまり散策できずに建物付近にいたので、この写真を見せると「そこらで咲いているアジサイとどこが、違うの?」と聞いてきました。

「う~ん、葉っぱに艶がなかったよ。きれいなブルーなんだよ。」と言うと、「もっと、牧野富太郎みたいに言ってよ。」と朝ドラをしっかり録画してみていて、セリフもちゃんと聞いていたのか、難しいことを言ってきました。

植物好きな私としては未消化な感じがずっとしていて家に帰ってからも、写真を見て「葉っぱの先が尖っていたなー」とか、「葉っぱはセイヨウアジサイよりも薄かったよ。ダーク・グリーン!」と追加コメントを言ったりしていました。

そして、少し盛りを過ぎた職場で咲いていたセイヨウガクアジサイを見つけ、じっとエゾアジサイと比較するように見ると、装飾花と呼ばれるガクの部分の形がエゾアジサイは、「尖っている」ことがわかりました。厚みも薄い、ダブル装飾花ではなく、シングル、花序の大きさは直径12~13㎝ぐらいかな、とか。

エゾアジサイは、葉も装飾花も先が尖っている(余談ですが、園で見かけたエゾリスの耳も尖っている)ので、なんだか、野生の気品を感じさせる植物のように見える、と私なりに「植物の色、形の違いによる美を感じさせる要素」なるものを整理しました。これは、主人には、もう説明していませんが。

とにかく、この出会いは、貴重なものでした。

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Ribes sativum

近くに実をつけていたアカスグリ。思わず、誰もいないので、指でつまみたくなる程、つやがあり赤くなった実をつけていました。

祖母は、札幌の女学校に行ったので、高齢でベッドで寝ていた頃、側にいると「札幌で食べたクロスグリのジャムが美味しかったのよね。」という話をしてくれました。子どもの頃、そんなものを食べたことがなかったので、札幌ってなんてハイカラな所なんだろうと想像を膨らませていたことを思い出しました。

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Ulmus davidiana var.japonica

また、ハルニレの森では、「自生していたハルニレの樹々を残した。」という説明を見て、祖父もこの場所に立ってこのハルニレを見たかも、と思い、調べてみました。樹齢150~200年ぐらいということで、明治時代に札幌農学校の林学科で学んだ祖父は、この植物園で学んだことは間違いないと思いました。卒寿を過ぎた自称 ”元祖 山ガール” の母にこのハルニレの森の動画を送りました。

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Sahalin Husky ”Taro”      

そして縁のあるもの最後にもう一つ、南極観測に連れて行かれたタロウの剥製が展示されていました。東京国立科学博物館で南極展が開かれた時、タロウもジロウも並べられて展示され、父、夫、息子と見たのですが、それ以来、タロウは、久しぶりの対面でした。

南極から戻ってきてから、ここで飼育され、余生を過ごし天に召されたそうです。タロウは、私の父が南極で実際、「エサをやったよ。」と話していた犬で、南極で生き抜いたそのたくましい話は、聞いたり、報道されたり、映画化もされたた犬でした。

父が世話をしたというタロウは、アパート住まいで犬が飼えなかった私にとって唯一、身近なワンちゃんとしてとらえていた犬でした。

父は、その後、私がアルバイト先の部長さんから譲り受けた犬を飼うようになってからも「犬は犬。人間のように甘やかしてはいけない。」と言って、接していました。今のようにワンちゃんを子どものように飼う姿には、相容れないものがありました。

そんなこんなの北大植物園。ここを歩きながら、「進路選択を誤った。北大農学部に進学したかった。」と来年還暦を迎える私は、正直に思いました。

札幌生まれの主人と結婚することになって、初めて北海道の地を踏み、帰省の際に訪れる場所となった私ですが、それだけではない祖父、祖母の時代からの縁をこの土地は持っていることを改めて感じさせてくれた北大植物園でありました。

 

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2024年6月27日 (木)

Visiting a place : 旧安楽寺 

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和田長浜の波                Feb.5.2023

 今から10年ほど前から、鎌倉、三浦半島にある和田義盛ゆかりの場所を訪れてきました。何か、義盛の息吹きを感じたいというのが、究極の目的でした。母方のルーツに当たると子どもの頃から聞いていた話を本の上の話に終わらせないで、自分で訪ねてみる、といったことに夢中になりました。そういう中で東京国立博物館での『運慶展』があり、義盛ゆかりの浄楽寺の阿弥陀仏をはじめとする五体の仏像を初めて拝むことも出来ました。また、NHKの大河ドラマの『鎌倉殿の13人』も義盛が出てくることを知ってから、放送が終わるまでとてもワクワクする歴史探訪期でした。自分が頭の中でこんな人だろうと想像してきた義盛がこんなにクローズ・アップされて演じられたことはなかったので、拍手拍手の大盛り上がりでした。演じられた横田栄司さんには、史実として伝えられてきたことだけがモデルで、手探りの役作りであったと思いますが、若い頃から、最後の時まで豪傑で人に優しい義盛をしっかりと演じ切ってくださいました。

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                                        2023.2.5

 その放送が終わったあとの開けて2月、まだ訪れていなかった三浦市和田にある浄土宗の天養院に伺いました。国道134号から徒歩で上っていくと、大きな屋根に三浦一族の丸に三つ引き紋が大棟に見え、引き付けられるように登っていきました。

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浄土宗五劫山 天養院

ここは、「鎌倉光明寺の末寺(まつじ)」で1559年建立だそうです。末寺とは、本山のお寺より地域の住民に合わせて仏事を行う寺のことだそうです。鎌倉光明寺(実はまだ伺ったことがないのですが)は、由比ヶ浜からみて東側の材木座海岸に面した少し陸に入ったところに見える大きな緑青色のの大屋根(「瓦棒銅板葺」というそう)が見える寺院です。歌川広重の東海道五十三次の由比ヶ浜を表した浮世絵の左側にも光明寺が描かれていることがわかります。

話しを戻して、天養院のご本尊は、阿弥陀如来ですが、昭和18年に三浦半島に日本軍が軍事物資を運ぶための道路を整備する際に廃寺となった旧安楽寺という寺の本尊の薬師如来像を移し、安置しています。その旧安楽寺は、和田義盛の居城であった和田城の北西の鬼門封じの寺として建てられたものでした。

住職にご挨拶して、拝観させていただきました。薬師如来像は、ガラスの扉の中に安置されているので、よく見えませんでしたが、和田合戦の時に義盛の傷みの身代わりになり、血を流したという話は、知っていたので、義盛を思い浮かべながら、手を合わせました。また、義盛の木像と位牌があり、それを目にした時は、「ここに義盛がいる。」と強く感じました。

今まで、いろいろなゆかりの場所に行きましたが、この時ほど、義盛の息吹を感じたことは、ありませんでした。義盛は、三浦の家に代々伝わってきた奈良時代の行基作とされる薬師如来像に戦の怪我が元で亡くなった父の時や、闘死した祖父、また多くの人々が生死をさまよう時に手を合わせ拝んだであろうと思います。木像や位牌は義盛が亡くなった以降、多くの人々が拝んできたものだと思うと、想いのつまったタイムカプセルのように感じられました。

この訪問で、何か腑に落ちたような気持になって、今に至っています。

しかし、ずっと気になっていた旧安楽寺がどうして廃寺にされなければならなかったのかという疑問を本腰を入れて今回、調べてみることにしました。何回も三浦半島に行ったのですが、起伏があり、広大な北海道のような畑の中を走っていると思ったら、水平線が見えたり、なかなか難しい。Geographerであった亡き父に説明してもらったら、5分で終わりそうなこともようやく独学で立体的にとらえられるようになってきました。が、まだまだで、国土地理院の地形図を調べて和田のあたりの様子を私なりに地図にまとめてみました。

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神奈川県三浦市和田

南北を走る国道134号 ピンクが旧道 A-B黄色線の断面下図  

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国道134号線 黄色線A-B断面図

この旅の一つ前の訪問で和田地域を通る、旧安楽寺のあったであろう場所を歩いてみています。今回、断面図を作ることができましたので、地図中のA-Bの黄色線で切ると、上のようになり、1943年(昭和18年)の現国道134号を通す工事は、段丘面をおよそ10mは掘削して道が作られたことがわかりました。いわゆる「切り通し」。昔は、天養院のある東側の段丘と西側の段丘は、つながっていたのでしょう。ピンクの道がで段丘のへりをまわるような旧道だったということがわかります。最初に「和田城址」「和田義盛の碑」を訪れた時もピンクの道を使いました。

義盛の開拓していった和田の里の鬼門封じの場所が高低差がなく、まっすぐに南北に道を通したい軍によって突破されてしまったということなのでした。

和田にとって何度も襲い掛かる苦難としかいいようがありません。

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日蓮宗天王山 大泉寺            July.2022

しかし、旧安楽寺の本堂は、移築され、日蓮宗の大泉寺の本堂として今も使われているということを知りました。旧安楽寺が廃寺となった昭和18年、このお寺の本堂が焼失してしまったそうです。

そこで、廃寺となった旧安楽寺の本堂を移築したそうです。和田の里の人々は、宗派を超えて、義盛の残したものを大切にしてくださっていました。

この建物自体の当初の制作年は分かりませんが、義盛亡き後の和田の里で段丘の樹々を背後に旧安楽寺もこんな感じでたたずんでいたのかなとイメージすることができるようになりました。

私が関東にすむようになって、30年。ここ10年は、義盛の息吹を感じる旅で何度も何度も三浦半島に行くことで、故郷が増えたような気持ちです。

私の和田義盛をめぐる旅のきっかけになった参考ブログは、『みうけんの横浜原付紀行』さんです。感謝

 

 

 

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2024年6月22日 (土)

About An Artist : オラファー・エリアソン

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『相互に繋がりあう瞬間が協和する周期』 Olafur Eliasson 2023

 今年3月、麻布台ヒルズギャラリーの開館記念として開催されたオラファー・エリアソンの展覧会に行ってきました。横浜トリエンナーレでも作品は見たことがあったのですが、個展としては、初めて。また2020年の東京都現代美術館での展覧会もあったのですが、日曜美術館で紹介された番組を見ただけでコロナ下ということもあり、出かけていませんでした。とにかく、「自分の目で見ておかなくちゃ。」と思いで行って来ました。

すでに展覧会は終わっていますが、麻布台ヒルズの最も高層のビル"Tower"の吹き抜け空間に常設でモビール作品が展示されていますので、興味がある方は、それをご覧になれば、彼の作品の壮大なイメージに触れることが出来ると思います。

このモビールは、合わせて4つあり、大型で自由な軌線を描き、また繋がっているという形をしています。映画で見た宇宙空間に漂う物質が軌道上に並んでいる様子にも思えます。一つひとつの多面体が隣の形とつながっているという非常によく考えられた構造なのですが、全体の動きがのびやかで頭上にあっても圧迫感がないモビールでした。

素材はリサイクルされた亜鉛で作られているそうです。亜鉛を型に入れて作った鋳造作品だと思いますが、なぜ、エリアソンが亜鉛にこだわっているのかが気になり、調べてみました。すると、亜鉛は、「沸点が低く、気化しやすい。」性質なので、大気中に最も多く存在している金属なのだそうです。人間が亜鉛を採取し使うことで工場からの排煙、車の排気ガス、摩耗したタイヤの粉塵から放出され、大気中や海洋においても有害物質となっているのだそうです。そのことをふまえ、エリアソンは、人間が亜鉛を使うことは、最終的には、人間の肺に吸われるのだということを考え、この作品に塊の形に戻すことで、人間由来の放出を少しでも減らせる、と使ったようです。

科学的な意味がしっかりあっての作品であることが分かりました。

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『呼吸のための空気』   Olafur Eliasson       2023

 展覧会で特に印象に残ったものも、亜鉛で作られたモビールの作品。今、題名の意味がようやく理解できるようになったところなのですが、会場にぶら下げられ、ゆっくり回るのだけれど、人が予想している形とは全く違う姿をにゅるにゅると見せて動くので、しばらく見ていた作品。

知っている二重螺旋構造のような形かな、と思いきや2本のパイプ状の金属が自由な曲線で渦を描きながら絡み合い、離れ、そしてどこかでつながっていて、また戻ってくる形をしていました。

床に映る影も変化して、揺らぎを感じるとてもきれいな形でした。

 最後の部屋には、エリアソンの作品がのっている本やインタビューの映像が流れていて、彼がアイスランド系のデンマーク人であり、子どもの頃から火と氷の島であるアイスランドの自然に触れる機会が多くあったことで、それを自分の作品に活かしていきたいと考えているかを語っていました。また、環境問題や社会問題に対して、彼がその時々でどうとらえ、考え、人にそれを伝えるための作品にしていくプロセスを大事にしているかも知ることができました。

彼の作品は、世界各地でその場所に合わせて考え、作られ、展示され、見る人に地球環境の貴さ、美しさを再認識させ、地球の環境の変化が危ぶまれる今、一人ひとりに問題を投げかけるアーティストとして評価されてきています。

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2024年6月21日 (金)

Clearly Delicious : フムス

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Homemade Houmous

 おととし、フムスがスーパーで売られていたので、買ってみて、Hummと思い、昨年は、ひよこ豆を買ってきて、『血管をよみがえらせる食事』 コールドウェル・B・エセルスティン・Jr.著 ユサブル刊 を参考に自分で作ってみました。少し、薄味に仕上げたので、こんな感じかな、と思いながら食べていました。そして、今年3月、麻布台ヒルズ・ギャラリーで行われたオラファー・エリアソンの展覧会に行って、ミュージアム・ショップの隣にあったコラボ・カフェ”THE KITCHEN” で偶然食べたまかない飯のプレート料理にのっていたフムスは、とっても美味しかったので、印象がぐっと変わったフムス。下の写真のフォークの先のペーストがフムス。今見ると少し、黒っぽいので、黒ゴマペーストが入っていたのかも。

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スタジオ・オラファー・エリアソンが今回のみのメニュ―を日本人シェフと共同プロデュ―ス。日本の食材、根菜類、梅、麹、海藻などを上手く組み合わせたいわゆるお惣菜がワン・プレートにのっていました。このキッチンの料理本の日本語版も美術出版社より出版されています。買わなきゃ!

自分が最初に作った時より、レモンの酸味やスパイスがもっときりっと効いていました。その美味しかった記憶をたどりながら、この間、購入した『アラン・デュカスのナチュール・レシピ』世界文化社刊のレシピにもフムスが載っていたので参考にしながら、家にあるもので、アレンジして本日作ってみました。見様見真似でやってみた過程をまとめたものです。

●材料 (200mlぐらいの保存瓶2個分ぐらいの量)

ひよこ豆(ガルバンゾー)乾燥 200g

玉ねぎ 1/2個

にんじん 1/3本

ローリエ 1枚

塩  少々

クミン・シード 小さじ1/2

コリアンダー  小さじ1/2

パプリカ・パウダー 小さじ1/2

胡椒  少々

いりごま  大さじ1(タヒニと呼ばれる練りごまペーストを本来は、使うようですが、なかったので)

にんにく Ⅰ片

レモン汁  1/2個分

 

●作り方

① ひよこ豆を水に一晩つけ、ふやかす。

② ひよこ豆を柔らかくなるまで水煮する。(レシピは、香味野菜と一緒に煮るのですが、本を見る前に今回は水煮して柔らかくしています。)

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③ 冷めるまで放置しておき、薄皮をすべて、取り除く。(丁寧バージョン)

④ 皮をむいた玉ねぎの半割、にんじん4つ割り、ローリエ、かぶるくらいの水とともにひよこ豆に野菜のスープを吸い美味しくなるまで再び1時間ぐらい煮る。

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⑤ 煮ている間にクミン、コリアンダー、パプリカ、胡椒、いりごま、にんにくを石臼で粉砕しておく。

⑥ レモン汁を絞っておく。

⑦ ひよこ豆が柔らかく煮あがったら、軽く塩で味付けする。

⑧ ミキサーにひよこ豆、玉ねぎ、にんじん、煮汁半カップぐらい、スパイス類、レモン汁を入れ、粉砕して、ペースト状にする。

⑨ 味を見て、塩味を調整したら、出来上がり。

⑩ 保存瓶に詰める。

フムスは、元々は、アラブやトルコのお料理だそうです。ひよこ豆は、豆類の中でも特に糖質、たんぱく質、ミネラルが豊富でβ-カロチンやビタミンEといった抗酸化物質も含むそうです。

今日は、自家製サワードゥ・ブレッドにたっぷりフムスをのせて、お昼ご飯に食べました。昨年のフムスより、結構、きりっとしながら、甘味、旨味が感じられるフムスが出来上がりました。野菜のディップ・ソースとしても。

腹持ちがいいと思います。ン・でもガスが出るかも。

 

 

 

 

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2024年6月17日 (月)

About An Artist : シアスタ―・ゲイツ展 アフロ民藝

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Theaster Gates AFRO-MINGEI     Mori Art Museum

 NHKの日曜美術館の展覧会の紹介コーナーで知った六本木 森美術館で開催中のシアスタ―・ゲイツの展覧会に行ってきました。

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A Heavenly Chord                                                        2022 

会場の入り口には、この作品展についての彼の序文があり、彼の考えが語られていました。ゆっくり一読して会場に入ると、彼が作った彫刻作品や壁面に飾られた立体作品、インスタレーションでその展示空間に合わせて再構成されたものがありました。よくよく見ていくと、それは、人々が踏みしめてきた床材で作られた十字架であったり、多くの人が祈りを捧げるために集った教会の椅子と讃美歌を歌うために使われたハモンド・オルガンやスピーカーであったり、彼がその時々に出会った捨てられそうなものを「意味のあるもの」として見出し、再構成した作品でした。会場の床は、この展覧会のために常滑で焼かれた微妙に焼き色が違うレンガタイルが敷き詰められていました。

 彼は、1973年、シカゴで生まれのアフリカ系アメリカ人。大学で彫刻と都市計画を学び、2004年、愛知県の常滑市で陶芸を学ぶために来日。様々な文化への理解を深める中で、特に日本の柳宗悦による民藝運動「無名の工人たちによって作られた日常的な工芸品の美しさを称える運動」が、60年代、70年代、80年代のアメリカでの ”Black is beautiful” というスローガンの元、西洋中心主義の中で自分たちのアイデンティティーであるブラック・カルチャーを自分たちが大事にしていこうとする運動と重なったといいます。それ以来、自分が陶芸の作品を作るだけではなく、今までの自分たちの文化を発掘し、再評価し再構成していくという過程を通した作品を発表しています。

彼の活動を紹介したパネル展示の中で、感心したのは、自分の作品を売ったお金で、シカゴのサウス・エンド地区の取り壊される建物を買い取り、本を収集して、本棚を作り、地域の人が集まる図書館のようなコミュニティー・スペースを作り出していったというプロジェクト。これが最初で、その後もこの地区には、少しずつ、資金を作っては、そのようにそこに住む人たちのためのスペースを作っていったそうです。

芸術がアーツと日本でも呼ばれ、テレビに映って歌う人を「アーティスト」と呼ぶようになって、何か大衆に受け、お金を稼ぎだしている人が「アーティスト」となっていることに、違和感を感じていましたが、彼の活動は、まったく違います。同じ人間として見習うべき部分がたくさんあります。いつの時代でも人間が目指してきた「人々が日々を幸せに暮らしていける世の中を作りたい。」という目標のためのアーツなのです。

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Black Library & Black Space

 展示室の天井高いっぱいまで使って作られた無垢板の本棚も、圧巻でした。思わずいいな、と思い近づくと、「自由に取って読んでいいです。」というメッセージが書かれていたので、私は、いくつか私にとって面白そうな本を、引っ張り出してみました。それは、焼き物のテクニック本で釉薬の化学的組成をレシピのようにまとめた本でした。それを見て、「釉薬の配合を変えて、焼き物を作ってみる、なんてことをやってみたいな。」なんて思ったりして、一気にまた新しい世界の扉が開かれたような気がしました。

この本は、亡くなった人の蔵書を彼が収集、保存し、彼自身もそこからヒントを得たり、多くの人に図書館のように閲覧できるようにしているコレクションでした。わざわざ、アメリカから膨大の数の本を森美術館の53階まで上げているわけですが、その昔の本は、アメリカのブラック・カルチャーを形作ってきた一翼を担うものであるし、誰かの生きていくヒントにもなった本として愛読されたもの。これから手に取る人にも何かのヒントになる可能性を持つものとして、これを保管公開し、作品として位置づけていました。

これは、まさに中国の孔子の『古きを温めて新しきを知らば、以って師となるべし』という言葉を具現化したような本棚。

 「年表」の展示では、アメリカ史と日本史の出来事と民衆の運動、工芸に関わる事項が組み合わされた形で作られた年表でした。特に印象に残ったのは、日本の民藝運動の動き、アフリカ系アメリカ人の運動の歴史が書き込まれている所。民藝運動の歴史のみをまとめた年表ではなく、ミックスさせた形で見ると、今まで自分が気づかなかったことに気付いたような気がしています。それは、今まで日本の「民藝運動」は、西欧化の反動、機械化による大量生産への警笛と考えていました。しかしそれだけではなく、日本が軍国主義に傾き、諸外国との戦争の中で両方の人間の生命が脅かされる異常な状況への反動として生まれた思想であったのではということに気付きました。きな臭い状況と時代が重なっていると思いました。戦国時代に殺伐とした戦の中、心の平安を求めるべく、真逆の文化であるわび茶を千利休が大成していったのと、同じような動き。柳らの民藝運動は美しいものを集める趣味的なものではなくて、ものを作った一人ひとりを、人間の命を大事にするという意味をも隠し込めていた運動であったのではないかと思うようになってきました。

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最後の部屋は、亡くなった常滑焼の陶芸家の方の持っていたその方の膨大な作品を保存展示した棚があり、何やら重低音のイケイケ・ビートの効いた音楽が流れ、キラキラオブジェが回る昔のディスコ (クラブ?行ったことがないけれど)のような空間でした。しかし、バー・カウンターの裏の棚には江戸時代の日本酒の徳利が天井まで並ぶ渋いコーナーになっていました。一つひとつがろくろ作りで作られ、名が筆文字で書かれていました。名もない工人の手仕事によって機能的に作られたお酒を入れるのにちょうど良い徳利の膨大なコレクションが飾られたミックス・カルチャーなこの場所は、私達自身が忘れてしまっているこの日本で懸命に生きた人々の技を今に伝えるものでした。

アーツとは本来、人が記憶をたどりながら、手を動かし、新たなものを作りだすこと。そして、それを見た人の記憶を呼び覚まし、共感を呼ぶもの。

 

 

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2024年6月 9日 (日)

Useful Tools : さくらんぼの種取り器

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 サクランボの出回る頃となりました。昔から、サクランボの種を簡単に取ることが出来る道具があると知っていましたが、そこまではいらない、と思っていました。しかし、さくらんぼのクラフティ―を作った時に、種が簡単に抜けるといいなと思うことがありました。

昨年の春、子育てに追われて合羽橋をゆっくり見たことがなかったのですが、一人ぶらりと平日に見て回ることが出来ました。娘時代からいつか行って見たいなと思っていた有名な吉田菓子道具店に初めて行き、隅から隅までまるで博物館のように道具を見させていただきました。古い道具から知らなかったパンチングしてあるパイ皿等、色々あり、勉強になりました。お菓子の型などは、もういろいろあるから、と思っていましたが、ドイツ製のサクランボの種取り器を見つけ、お土産と思って買って帰りました。

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Cherry stoner         WESTMARK                        

クラフティは、また今度作るとして、この道具に先にサクランボを置いて、ハンドルを握ると種のところに短い円柱状の突起がくい込み、種が下に押し出されるといった仕組みで種が取れます。

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いつも食べる自家製ヨーグルトの上にのせて、ほおばると、あら不思議、サクランボが口の中でパチンとはじけ、ぎゅっとかみしめられました。そういえば、種を気にせず、フレッシュなサクランボを食べたことがなかった、と今更のように新食感を楽しみました。

小さい子どもちゃんにもこうして食べさせてあげるといいんだ、と気づきました。

 

 

 

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